第50話 正体が明らかになったことで

 太陽が勢力を敷衍していた時間が、もう薄くなりつつあった。

 何度かの波の往復を聞いてから、あきらめたようにして、両手を身体の横に置いて、サワは空を仰いだ。言い出す言葉に迷っているサワの様子を謙吾は察する。

「言いたくねぇことがあるなら……それも仕方ねぇとは思うぞ」

「歯切れが悪いな、ケンゴは」

「無理に聞くわけにゃいかんと思っただけだ。俺が気になるからって、お前には俺が知らんルールだのがあるだろう」

「まあ、そういうことなんだがな。ちょっとは理解できるようになったではないか」

「お前だって歯切れ悪いじゃねえかよ」

「そうだな。よし、言ってやろう。私はケンゴと違って潔いからな」

「なんだよ、それ」

「私は人魚だ。本当はこの言葉も使いたくないのだ。人魚などという呼称は、いかにも人間がつけそうな軽々で安直な呼び名だからな。けれど、それで分かるなら」

「俺がもう言ってるだろ、それ。けど、ホントにいたんだな。それが言いにくいことなのか?」

「ケンゴよ、何度言わせれば気が済む。海は広い。人間の見識をものさしにするな」

「そして、あなたのような種は姿を人に見られると泡になって消える。謙吾さん、波野さん。そんな伝承聞いたことありませんか?」

 サワをいじるとなると、この上なく饒舌になる沖水。サワが言いにくいこともあっさりと言いのけてしまう。

「童話や絵本で何度も読んだことある。本当のことだったんだね」

「昔と事態が違って正体がばれることは少なくなっていると言うのに、様ないですよね」

 人間の社会に残る人魚世界との接点に雪花はただただ感嘆している一方で、沖水は切れ味抜群の「舌好調」である。

「いくら何でも、それは言い過ぎだ」

「大丈夫ですよ、これくらい。そいつなら寝れば明日には忘れますから」

「子供か」

「そんな奴の話しよりもどうだ、それほどまでに私達のテクノロジーによって人間と人魚の境界線がな、それほどまでに素晴らしい技術を持った私達が……」

 子ども扱いされているのをかき消すような自己陶酔が展開されそうになれば、謙吾は止めなければならない。

「話しを進めろっての」

 やはり咳払い。

「それでもやはりばれたらいかんのだ。技術によって泡にならない方法を開発することができるようになりそうだが、今はまだな」

「だったら、お前……」

 言った瞬間だった。

 コサワが鳴った。

 同時に沖水もポケットからスマホを取り出した。ポケットに電子機器を忍ばせたまま海中へダイブしたのだが、瞬間的に乾燥できる性質ゆえか、謙吾達が心配するような水没状態ではないのだろう。何事もなく使用している。

 二人ともメールだったようだ。

「はあ」

 大きくため息をついたのはサワだったが、その内容を説明する前に、

「謙吾さん、波野さん。これから一つ問います」

 凛としたいつもの沖水の口調を聞くと、今に至っては季節外れの浜風に似た冷淡さを感じだ。

「私達に関わる記憶を消しますか? そいつがコサワとか痛々しく呼んでいる道具ならいとも簡単にできますけれど」

「消さねえよ」

「消しません」

 謙吾だけでなく雪花も即答だった。

「分かりました」

 言うと、沖水はスマホの画面をタップし出した。どうやら返信をしたらしい。

「私にも業務命令が来ました。それが今のです。謙吾さんと波野さんの、私とそいつに関わる記憶は消しません。そいつは泡になって消えることはなくなります。人間に正体がばれたのって、かれこれ百年単位ぶりのはずですけど。お二人に感謝しなさいよ」

「分かっている」

 まだコサワの画面を見ているサワは憮然としながらもどことなく安堵した様子で答えた。

「ただ」

 沖水は謙吾と雪花をキッと見つめながら、さらにまだ続ける用件。

「私は今後お二人の監視役になります。私とそいつのことを他言した場合」

「なんだよ」

 沖水が言葉の変な所でやめるものだから、謙吾は問う声を震わせ、雪花は息を飲み込んだ。

「言えません。ただ、お二人はそういうことはしないでしょう?」

「当たり前だ」

 謙吾の言いに雪花も大きく頷いた。

「それなら大丈夫そうです、ネ!」

 文末でサワをにらむように視線を投げる沖水。

「私に振るな」

 コサワの画面から目を離し、珍しく頭に手を置いている。

「そういや、沖水が『私にも業務命令』って言ってたな。つうことはお前にも」

 嫌なことを聞くなと言わんばかりの表情を浮かべ、そっぽを向きそうになるが、

「こちらで言うと各校長で構成された教育諮問機関になるでしょうか。そういう機関からのお達しです。そいつ風に言うならば、私達は校外学習、つまりは学生の身分に相当しますから、決定事項には従う義務があります」

「それがさっきの私達への質問だったわけですね?」

「そういうことです。で、あなた。自分のケツの拭き方はどうするつもりなの?」

 沖水が率直にケツなどという表現を使うものだから、謙吾は二度見し、雪花は耳を赤くして背筋を伸ばしたが、対サワに対して、良い言い方をすれば実直に、悪く言えば辛辣な沖水の問に、

「即時帰還と自宅謹慎一か月」

 ぶっきらぼうに答えるのが、今のサワのせめてもの抵抗だった。


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