第46話 未知

「それは……」

 思考から現実に戻り、言いかけた。

 それを止めたのは、イルカから奏でられた電子レンジが仕上がりを告げるようなデジタル音だった。

 同時に開かれていく背中。雪花は目を閉じてそこに仰向けでいた。

「謙吾さん、出してあげてください」

 いつもの沖水の口調になっていた。

 言われるままに、雪花をお姫様抱っこする。

「ケンゴクン?」

 振動のせいか、ゆっくりとまぶたを開けた雪花は、ぼんやりした寝起き状態で、何点かの視点移動をさせる。謙吾の顔、砂地、サワ、沖水、それから謙吾の胸。

「ごゴご、ごめんなさい」

 慌てて着地を決め、髪を整える。海中に連れ込まれたとは思えない、濡れた所はまるでなかった。イルカのネックレスも海水の影響をまるで受けていない新品同様に、雪花の首元で光っていた。

「大丈夫か? 雪花」

「ウ、うん。何ともない……みたい」

 夕日に照らされてもないのに赤い顔の雪花は、その視線をサワに届けた。

 目が合って、サワはようやく安堵した表情に変わり、それから瞬く間に再び、うつむいて落ち着きなく身を捩り出した。

「二人とも申し訳ない。私の、その……従者が迷惑をかけた」

 いきなりの謝罪。いや雪花の件だから、その原因なのだとすればそれはそれでおかしくはないのだが、おかしいのは、

「従者?」

 謙吾が眉をひそめ、雪花は首を傾げる。

「ああ、そうだ。ユキカをどうやら勘違いで私だと思ったらしいのだ。それでああも愚かなことを……。さっきひとまずブチキレておいた。謝りに来ると言ったのだが、帰した」

 早口だった。どうも言いにくいことなのだ。なのだが、

「あのさ、雪花をさらったのって、見えなかったんだけど」

「私は、海の中でクラゲもどきみたいなのが、ちらっと見えた気がするけど」

 従者とやらが一体何者なのかを謙吾も雪花も判然とせず、言いが鈍い。

「ああ、まったく私の指導不足と受け取ってもらっていい。それで手打ちにしてくれ」

 またしても早口になって、顔の前で手を合わせさせしている。

「あれ、生物ですよ」

 沖水が言っちまった。もう禍々しい物を見るかのように睨むサワだが、過失である分沖水はまったく意に介しない。

「人間は海から進化し、地上に出た生物です。それと同じように、進化した生命のパターンが違うだけです。

 原始地球から話は始まります。できたばかりのこの星にどれほどの時間が経過したでしょう。気象の激変で、雷が海中へ落ちました。それは電気的刺激によってアミノ酸の生成に役立ちました。生物で習ったことですよね」

「ああ、それくらいは知ってるが」

 と、短く頷く謙吾。雪花も頷く。

「謙吾さん達人間につながる生命の始まりです。そして、また別の生命の始まりがありました。それこそ星の数と同じくらいに数えられないほどの落雷です。人間が好き好む確率的に言っても、別の生命体の元が作られていたとしてもおかしくはないでしょう。あ、これ皮肉とかではありません。 

 ある時、一つの気泡が海底から浮かび上がりました。そこへちょうど雷が落ちた。すると、その気泡は壊れることなく、電気を閉じ込めた状態で維持されたのです」

「そんな……」

「そんなことが起こったのです。落雷はその気泡内の気体を刺激し化学変化を起こすと、それ自体が人間でいう所の一種の脳のような状態になりました。あるいはそれ自体が濃密な地球の相似だとも言えます。つまりは独自の生態系を築ける、あるいは種の保存を始めたのです。意識を持った気体と言ったら分かり易いでしょうか。そして、海中に生息し繁殖を繰り返し、こうして変身する能力も獲得する進化を遂げたという訳です」

「いや、訳ですって言われてもな……」

 ――水泡の中に脳が? で、生殖しているってことは、種の保存になっている……。ん? 水泡のあの“中”って、水の膜がなく、その“中”って……気体だろ! ……てことはだ!

 知識が即座にそれを否定し、好奇心がそれを肯定する。

「地球は何回か生物種が壊滅的になったことがあります。それでも生物は生き残ってきた。それは人間への系譜だけがたった一つのパターンではなかったということです」

「つうことは何か。スノーボールアースやK/T境界なんかの時も健在だった生命について、俺達はまだまだ分かってないってわけか?」

「謙吾さん詳しいですね」

「ちと、小学の時にまんが百科事典みたいなのを読んだことがあるだけだ」

 勢い勇んで訊いてしまったことが、恥ずかしいらしく沖水から目をそらして小声になった。

 ちなみに、謙吾が言うスノーボールアースとはおよそ六億年前、地球自体が厚い氷に覆われ氷球になったことで、K/T境界とはまさに恐竜が絶滅した白亜紀末のことである。どちらも沖水が言う、地球における生物の壊滅の一種である。

このように、地球は温暖な気候が恒常的に継続して来たわけではなく、気象の激変や生物の大量絶滅を何度も繰り替えてして現在に至っているのである。

「いや、てかさ。そうするとあれって、気体の生命体ってことか? いや、気体が生命って」

“ドクン、 ドクン”

 言い淀みながら謙吾は雪花を、沖水を、そしてサワを見た。人。半漁人。イルカ、いや違った。ここまで来たらはっきりさせなければならない。

「サワ、お前さ……」

「サワさん、もしかして」

 謙吾と雪花の推測は

「何、恥ずかしがってんのよ。本当の姿見られたぐらいで何しおらしくなってんの、柄にもなく」

 沖水によって断定された。

「ふっ……フフフフフ。貴様に言われるまでもない。何を恥じらうことがあろう。ケンゴよ、見たであろう。私のあの美しい姿を」

 虚勢の仁王立ちは様にならない。柄にもなく声が上ずり、頬が赤いままだったからである。

「サワさん、かわいい」

「な! 何を言うのだ、ユキカよ。私は……」

 言いかけて、眉を寄せ難しい顔をしたかと思ったら、鼻を一度鳴らすと、サワはコサワの画面をタップしてから、画面をイルカに向けた。ほのかな光がイルカに向かう。その全身を包み込んだ光が一瞬にして画面に戻る。そこにいたイルカは見る影もなく消えた。砂は水に触れた黒色にもなっておらず、体重がかかっていたはずのへこみなかった。

「沖水さんもあのなんていうか、……少し変わってたんですね?」

「どういうことです?」

「海の中で、沖水さんがシャボン玉みたいなのを投げてきて。始めは手品か何かかなと思ったんだけど、サワさんが『あやつが』って言ってて、サワさんが『あやつ』って呼ぶ相手は沖水さんしかいなかったし、どうやらサワさんと似たような存在なのかなと」

 それを聞いて、一気にサワの眼前に近づく沖水。

「あなたね、何やらかしてんですか? 地上の人にはばれないよう厳重に秘密固持をしなければならないとあれほど学校で習ったでしょう。いくら私に特別権限があるとはいえ、極力秘匿しなければならないというのに」

「緊急だったのだから仕方あるまい。それとも何か? ユキカにネタありの子供だまし扱いされたのが癪にさわったか、いい気味だな」

「そもそもあなたが軽率な行動をして、謙吾さんの前で倒れることが発端でしょう。自分の技術に満足して行動計画の確認をしないからそういうことになるって、何度注意されれば理解できるのかしら」

「貴様こそ仕事をしておらんかっただろうが。だから深海魚が打ち上げられるやら、私にお鉢が回って来るやらするんだろうが。それにな……」

「いい加減にしろってんだよ!」

 お決まりのパターンである。謙吾の一喝に、二人してそっぽを向いた。

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