第44話 戻って来たサワと沖水
浜に体育座りをする男子高校生の傍らには一頭のイルカが、まるで打ち上がっているとしか見えない状態で隣り合っていた。
「よくもまあ、人が通らないものだ」
頭を掻き、くしゃみをして謙吾は嘆くように言った。
遠くで物音がするたびに、びくついてしまう。こんな状況を見られるわけにはいかない。イルカを運ぼうにも持ち上げられなかった。浜へは波の力を借りて上げたのだ。それにそんな姿を見られたら、何を言われるか知れない。イルカ型のボートとでも言って通すしか弁論が浮かばない。謙吾はただ、とにかく待つしかなかった。雪花が回復することを。サワと沖水が戻って来ることを。
謙吾を海面に見させる音がした。見知っていなければ、それこそずぶ濡れの幽霊が揚がって来たとしか思えない、普段通りの私服姿の人間態サワと制服姿の沖水滴がゆっくりと、左右に身体を揺らしながら浜を目指していた。
「おい!」
思わず立ち上がって駆け寄る。
いつもなら不遜この上ないブロンドヘアの女子はいつもと同じ姿なのだが、どことなく居心地が悪そうに、制服女子の後ろでうつむき加減でついて来ていた。
「大丈夫です。何してるの、あなた」
そばに来た謙吾に答えつつサワを促すが、
「いや、私は……」
歯切れも悪い。
「例によってこいつのポンコツメカも使ってどうにかできました。それよりも波野さんは?」
焦れた様子の沖水はそう言って、
「雪花っていうか、イルカは現状維持のままだ」
半乾きにもなっていない男子とイルカを囲った。
「ほら。あなた開発者でしょ」
促されるまま、サワも屈んでイルカの顔色を窺うように覗き込んだ。
「もう……もう少しというところだな」
非常に具体性の無い返答だった。謙吾も嘆息の呼吸で問おうとしたが、
「謙吾さんは、どうなんです?」
沖水に制せられ、
「見たまんま。おかげで何ともない」
まだ海水を含んだ服のまま全身を立ちあがって見せるしかなかった。
「それは何よりです」
言ってから、沖水は髪の滴を払うように頭を左右に何度か振った。すると、髪どころか全身のずぶ濡れ状態が、乾燥機から出したばかりのようになった。
「謙吾さんも」
頭上にかざされた手がつま先まで全身をなぞるように振り下ろされた。謙吾の身体も、海水など浴びなかったように、元に戻った。沖水クリーニング店に感謝しなければならない。
「ありがとう、沖水」
「お礼は要りません」
サワにも同じように手をかざしたが、
「私はいい」
姿勢を正し、コサワの画面を何度かタップすると、淡い光がサワを包み、その光が収縮すると、彼女もまた乾燥機から出た状態になった。
「おい、すげえ今さらだがよ、お前のスマホ型の万能性は嫌というほど見て来たんだが、沖水が降らしたあの雨を、防げなかったにしろ、びしょ濡れになった俺らの衣服を瞬間乾燥させるくらいは出来たんじゃねぇのか?」
思いもよらぬことを聞かされて、サワは手の平を一つ打った。いつものような感じのサワに戻り、謙吾が安堵の鼻息をつくと、
「あなた、まず謝罪じゃないの?」
こちらも平常どおり、サワをけしかける。
「そうだな。すまない。ケンゴよ」
槍の雨が降りそうなほど珍しく沖水の言うとおりに頭を下げた。気味悪ささえ催しそうになると、
「詳しいことは、波野さんが起きた時に説明することにして、ところで、謙吾さん」
沖水がまじまじと目を合わせてきた。息をのむほどだ。
「なぜ、ああまでして波野さんを助けようと、助けたいと思ったのですか?」
「だって、訳分かんねえのに連れさらわれそうになってたから……」
沖水は謙吾の言いを承服できないような残念な色を瞳に宿して、
「質問を変えます。謙吾さんをあの行動に奮い立たせた思いの名前は何ですか?」
「思いの名前……?」
“ドグ ドグ ドグ”
「目に見えないと心は分からないのか」
和泉がいつだったか言った言葉が波紋になって広がった。謙吾は答えようとした。どんな名前が適しているだろうかと、頭を回転させようとした。ビーチフラッグスや海中戦での疲労のせいで、まったく動かないはずなのに。心が弾けるのを謙吾は再び感じ出していた。それはこれまであえて考えないようにしてきたことでもあった。この鼓動が思考を潤滑させていった。
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