第40話 海中

 ――雪花、どこだ?

 普通に海に入ったのならば、遠浅のこの海ですぐに姿を見失うことなどない。それなのに、今雪花の姿は、

 ――なんで、あんなに遠いんだよ

 夕方の海中は透明度がどうのと言えないほど、謙吾には不愉快な視界だった。そこを鈍くなった白がかすかに揺れていた。ダイブして数秒。その海中を済むスピードは人とは言えない。サワと沖水の警告を踏まえれば、またしても海中の某かが襲来したのだ。現に雪花の横にうごめく形態が見えた。

 追おうにも海中の抵抗力と息継ぎをしなければならない肺呼吸という性。日中の澄んだ水色はすでに群青色よりも濁りがあり、これ以上差をつけられたら、雪花は視界から消えてしまう。

 ――雪花! 

 言葉には出来ない。無数の泡ぶくが海面を目指して浮上するだけで、謙吾の呼吸は次にはならなくなってしまう。

 だから、伸ばした手。掴むことどころか、触れることすらできない。遠くに行ってしまう雪花。そのいかんともしがたい無力感が焦燥と苛立ちを募らせようとした。その時、綱が一本謙吾を目指して突き進んできていた。訝し気に、それを触れてみようと、さらに手を動かし、謙吾は止めた。それは綱ではなく、タコやイカの足のようなものであった。それにしては鮮やか、というよりもド派手な斑模様である。この暗い海中にふさわしくないくらいの。

 ――つうことは、攻撃?

 謙吾はおぼつかない身体を動かそうと試みるが、ビーチフラッグスの奮闘がここにきて響く。身体が思うようにスムーズにならない。もう謙吾まで数メートルを切り迫る原色で彩られた足。

 ――ヤバい

 かわそうとする謙吾の身体の助力になったのは、

「謙吾さん、大丈夫ですか?」

 海中にもかかわらず、地上と同じように平然と会話をする沖水だった。

彼女に肩を支えられながら、

 ――ああ、なんとか 

 と言おうにも言えないので、首肯を一つ。

 すると、沖水は謙吾の顔前に手をかざし、頭がすっぽり覆われるくらいの水泡を作った。カプセル状になったそれを謙吾の頭部に被せる。

「大丈夫ですか。これで呼吸ができます」

 まるで空気の補充用のフルフェイスのヘルメットである。ようやくできた呼吸。

 伸びて来ていたはずのサイケデリックは、いつの間にか視界にはなかった。

「ケンゴ! 何をしておる! バカか、お前は!」

 サワも来た。

「何って、雪花が! ……いや、お前……」

「分かっておる。これから追いかける。お前は陸に上がって待っておれ」

 そう言うと、サワと沖水は群青色の沖へ突き進んでいった。そのサワの姿に謙吾は仰天になった。自分の目を疑いそうになるくらいに。イルカでも人間でもない姿に成っていたからだ。

 “ドクン”

戸惑いの中、謙吾が思ったことはただ一つ。

 ――頼む。雪花を助けて来てくれ

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