第五章

第38話 ビーチフラッグ大会

「俺、呼ばれなくても良かったんじゃね?」

ハーフタイプの海パン姿の謙吾だけでなく、いつものメンバーが謙吾の家の裏にある海岸に揃っている。南中を過ぎた天空からも、砂浜からも灼熱は溢れている。

「よーよー、謙吾クン。ご機嫌麗しゅう」

 いつもの調子で謙吾をこの日この場所へ誘った洋介は、昨日の今日で日焼け具合が進行している。

 謙吾達の住んでいる地域では、年間行事が旧暦扱いの一か月遅れで行われる。そのため、七夕は八月七日に当たり、その日を挟んで三日間の日程で祭りが催される。今年は、祭りの一環として初めてビーチフラッグス大会が企画されていたのだ。

謙吾が出場することになったのは、例の巨大コブダイの一件の後、船室に戻ると、いつものお調子者が、

「青年会からのご要望で、どうやら参加人数不足なんだとか。けんごく~ん、出るよね~?」

 おネエ言葉で接近してきた。それ以上気持ち悪い声を聞きたくない謙吾は、

 ――人数合わせなら、まあいいだろ

 と軽い気持ちで同意をしたのだった。

 青年会某からのメールを一同に見せると、

「私も出ますッ!」

 息巻いて雪花も出場を決めた。となれば、真澄も観戦に来ると言い出し、サワと沖水も参加はしないものの、近所ということで応援に出るということになった。

 会場にはそれなりの人が来ており、それは観客の他に、週末とあって海水浴に来ている人々がいれば当然と言える。

 防砂林から浜辺へ降りるアスファルトの最上段に大会本部との幟をともなって、テントが建てられ、長机やパイプいすが並べられている。その長机の一つには賞品のコーナーが設けられ、順位に合わせて並べられていた。テントの横には、氷を敷き詰めたクーラーボックスがあり、そこにはジュースやらスポーツドリンクやらが浮かんでいる。

 参加者達の顔ぶれを見れば、洋介の勧誘とは裏腹に、男子の参加者は、高校生が何人かと帰省中の大学生、厳つい消防団員やらライフセーバーもいる。

 砂地に二者がスタートラインの方に足を向けうつぶせになり、審判が鳴らすホイッスルを合図に、二〇メートル先のフラッグまでダッシュ。それをゲットした方が勝者となる。

 男女別のトーナメント形式で行われる今大会。女子の部から行われた。

スポーティな水着の雪花は、疾風怒濤の形容が似つかわしい勢いで、一回戦から順当に勝ち進んでいた。

 サワや沖水、真澄は観客として声援を送っているが、謙吾関係者でもう一人参加している女子がいた。和泉である。いかにもトライアスロンにでも出場しそうな黒い水着。

 試合の前に参加を聞いて謙吾は驚きつつも挨拶をしたのだが、その際隣にいた洋介が

「いや、女子っていうかさ」

 などと要らぬ一言を付け添えてしまうものだから、無言で洋介を瞬間で砂に埋めるという、マジックを趣味とする彼のお株を奪う早業が披露された。あっけにとられる一同。

「そういえば、おい、サワ君。これは君のではないか?」

 思い出したかのように、和泉の手から差し出されたのは、コサワであった。

「あれ? これは感謝する。アカリ教諭」

 いつ、どこで落としたのか、まるで覚えがなかったが、

「いや、礼には及ばんよ。足元にあったのを拾っただけだし」

 それこそ腰元に忍ばせていたものがなくなるという感覚さえなかったのか、サワはしきりに上半身をひねり腰回りを目視したり、ポケットに手を入れて穴が開いていないかの確認をしたりして、どこにも落ち度がなかったようで、首を傾げる結論。

謙吾にしてみれば、地上ではスマホにしか見えないそれだが、数多の機能を備えた、ある意味物騒なものである。レーザーみたいなのをぶっ放したのを目撃しているし。それを易々と落とした上に、気づかなかったではまるで自覚の欠如以外の何物でもなかった。それにサワの足元にあったというが、それならば他の誰も気付かないというのは、特に沖水辺りが皮肉どころか嫌味を滔々と述べる機会を見逃すはずはないのだが、こうも炎天下の下では、通常の思考を持ち出すのも野暮というものであるかもしれない。

 決勝まで勝ち進んだ雪花は和泉と対戦することになった。ある意味で師弟対決である。

「波野、手加減はいらんからな」

「はい……」

 もちろん雪花には手を抜くことは毛頭もないが、それを露骨に返答で表せることも気が引けた。その初心な様子に、和泉が心なしか微笑んだ。

「波野、手に入れたいものがあるなら、手を伸ばし、身体を飛ばし、抱え込んで、そして決して手放さないことだ」

 不意に言われた和泉の言葉に雪花は素っ頓狂な表情だったが、すぐに頷いた。

 審判が大声で「Ready」を叫ぶ。スタートラインに寝そべる。二人してスタートラインにつま先がかからないように、うつぶせになる。身体前面がジリジリと焼け痛むような熱を堪えるのはもう何度目か。背中を刺す陽射し。顎から一滴の汗が落ち、砂に蒸発した瞬間、甲高いホイッスル。

 声援が轟く。二〇メートル先に、地に刺さっているフラッグ目がけて猛然とダッシュする。スタートは雪花の方が速かった。

 ――いける!

 そう思った五歩目。膝から力が抜け、カクっとなりバランスを欠いて、身体が砂地に沈みかけた。この日既に四本の砂地ダッシュをしていた。それは思いのほか疲労を付加させていたようだ。とはいえ、それは和泉とて同じのはずだった。そんな推定よりも体一つ分の和泉の先行があせりと、この短距離でのふらつきが致命的な敗因につながるあきらめを催させるのは、雪花が陸上部だったからこそ体験的に感じさせることであった。

 そんな雪花の頭に、スタート前に言われた和泉の言葉が浮かんだ。

「手に入れたいものは、手を伸ばし、身体を飛ばし、抱え込んで放さない」

 それは

 ――負けたくない!

 の力を沸き起こさせた。瞬間、雪花の耳に聞こえた、

「雪花! ガンバ‼」

 謙吾の声援が雪花の追い風となった。

 フラッグが近づく。砂の海に飛び込む雪花と和泉。

 ――届いて!

 砂が噴水のように舞いあがった。地に伏せた二つの身体がゆっくりと持ち上がっていく。

「波野、良かったな」

 先に立ち上がった和泉の言葉に、雪花は手が握っているフラッグに目をやった。

「先生!」

 身体の砂を払うことなしに立ち上がる雪花。頬にも額にも髪にも砂がついている。

 和泉はそそくさとコースから外れていく。その背に生徒は尋ねた。

「先生、あの……手に入れたものを落としちゃったら、どうしたらいんですか?」

 足を止め、軽く振り返って

「見つかるまで探せばいいだろ」

 教師は一言だけ答えて行ってしまった。

 

 一方の謙吾は、陸上部員や消防署員といった猛者達との勝負を経て勝ち上がった決勝戦で、ライフセーバー相手に健闘はしたが、準優勝の結果になった。

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