第37話 サワ&沖水vs巨大コブダイ

 謙吾や雪花に気付いていない様子で、見晴らしが開けている船の後方へ。血相を欠いてというのは今のサワであろうと、近づいて声をかけた。手摺を握ったまま、これまでの航路を凝視していたサワは、

「おお、ケンゴ、ユキカよ。無事か?」

「ああ、無事も何も……」

 サワのピンとした張りつめた声に小首を傾げている雪花の横で、返答をした謙吾はサワの慌てた様子から鳥肌が沸き立ちそうになった。プールで巨大化した沖水の姿が頭をよぎったからである。

「おい、まさか……」

 言葉を端折ったのは二つ。隣りにいる雪花に再び奇怪な出来事に合わせてはいけないという思考。もう一つはサワとは別の階段から上がって来て、

「謙吾さん達は船室へ戻ってください」

 サワよりかは落ち着いているものの、悠然とはしていないことが鮮明な沖水の声色。

その沖水が海水で更なる変身を遂げたわけではないことを知り、そこは安心するものの、二人の様子から謙吾は予想すら思い浮かばない。

「その方がいいなら」

 サワだけでなく、沖水が来ている状況が尚更に杞憂でないことをシグナルさせ、それに従おうと、雪花にそれとなく言おうとした瞬間である。

 船後方一〇〇〇メートルくらいであろうか、その所で爆発が起きたかと思うほどの音を立てて、一匹の魚が海面上へ飛び出した後、あっという間に海に戻ったのである。それは一頭と呼んだ方が適していた。なぜなら、

「あれ……」

 という謙吾の横で

「コブダイだね」

 意外に冷静に現象を眺めた雪花が言ったように、ジャンプした魚の全長を頭の中で三角関数を用いて計算したところ、ざっと三十メートルはありそうなコブダイだったからである。

「雪花、あれ見て驚かんの?」

「ん? 何が? 初めて見るけど、おっきいんだねぇ」

「初めて?」

「うん。写真とかで見たことはあるんだけど、本物は初めて。やっぱりコブとかあるからかな。あんなにおっきいの」

 全長三十メートルと言えば、シロナガスクジラと同程度である。そんなコブダイがいるわけがない。一メートルを超えれば、でかいとの評価が与えられるくらいだ。桁違いな、いるはずのないはずのコブダイが現前にいる。

 “バグッ!”

 内破するような感覚が頭と体に起こった。

 無邪気な関心の雪花は、あれだけの巨大魚がジャンプしたなら起こりそうな余波とか、あるいは注意喚起などを促す船内放送や、他の目撃者なんかのことは完全に頭にないようだ。

「もはや、あそこまでいくとリードシクティスだな」

「リー……?」

 謙吾の感嘆についていけない雪花は再び小首を傾げている。

「リードシクティス。最大の古代魚と言われていて、中生代ジュラ紀後期、今から約一億五五〇〇万年前にいたとされる魚だ。あれくらいの大きさだったって言われてたけど、最近はもっと小さかったって説も出て……って、どうした雪花?」

 謙吾の解説にキョトンとしていた雪花は、

「ううん、何でもない」

 見つめていた謙吾から再び海へ視線を向けた。

「ケンゴよ」

 それまで沖水と何やらを話していたサワが小声で言ってきた。

「あやつと私で対処する」

「対処って、どうすんだよ」

「あのでかさは個体の成長でなったものではない。だから、通常の大きさに戻すこと、そしてあの原因を回収する。詳しいことは後でだ」

 サワが見せたコサワはマナーモードなのか鳴りはしてないが、アラームぽい点灯を瞬かせていた。謙吾は眉をひそませるが、ここは専門家に委ねるしかない。

「で、どうやるんだよ」

「あやつは既に他の者に気付かれないよう、おっ始めているようだ」

 危険を知らせる船内放送や騒ぎ立てる乗客の声がまだないことを考慮に入れれば、荒波の防止や水の煙幕であのでかいのさえも隠しているとしか考えられない。ともなれば、もはや何かの術レベルだと帰結する謙吾。

 フェリーの五階にあたる、この甲板にいるのは幸いにして、この四人。どうやら、ここ以下の階層、及び船体前方の六階にあるスイートルームへも乗客だけでなく船員にも気づかれないように、術を施しているらしい。

「謙吾さん、また機会がある時にお話しします」

 沖水が耳打ちしてきた。それは術のことなのか、巨大コブダイのことなのか、問うている猶予は現場にない。

「これを使えば万事解決だ」

 コサワを握っている。巨大化した水の沖水を平静に戻したツール。あの発光に類したことをするのだろう。

「で、俺がしといた方がいいことってあるか?」

「そうだな。雪花には見られない方がいい」

 巨大コブダイがジャンプした辺りを呆然と見つめ続けている雪花。

 さんざん謙吾の前では変身やら見えないクッションの発生やら各種発光現象などコサワと名付けられたスマホ型ツールの多機能を見せびらかしていたというのに。そこはやはりできる限り地上の人には知られない方がいいということなのだろう。その証拠に、ちらりと見た沖水も無言で頷いていた。

 とはいうものの、雪花の視線を外す方法といえば、「洋介や清白に言いに行こうか? どでかいのがいるって」くらいのこととかを言ってこの場から去るのが定石なのだが、そんなことを無視するかのように、サワが画面上をいじり始めるものだから、雪花の手を引っ張って船室に戻るのも、いかがなものかとした謙吾がしたことは、

「ア、ユーエフオー!」

 船首前方上空を指さす。さすが古文が苦手なだけはある。実に古典的な誤魔化し方がド下手にもほどがある演技である。

「え? どこ?」

それにつられる雪花も雪花だが。見えるのは島影であり、日没であり、海鳥である。

「UFO、見えないよ」

 再び船体後方に向き直そうとする雪花に対して、謙吾の次の策は、

「ひぇ? けケけケけ、謙吾くん?」

 きっと雪花は目を白黒させているだろうが、その目を見ることは出来ない状況だ。すなわち、雪花の背後から彼女の目を両手でふさいだのであった。

「太陽光が海面を反射しているのを見続けると目を傷めると聞いたことがあるから。雪花はサングラスとか持ってないだろ。ここにずっといるから目を守らないと、と思って」

 などと言うしかなく、サワに向けられた彼の視線は「とっととやれ!」と強く催促していた。

 サワはコサワをかざす。画面には海上の景色が映り、カーソルが揺れている。スマホで写真や動画を撮るのを変わりない。

「いくぞ!」

 スマホ本来であればカメラの位置にある円形から出た光線は謙吾の想像ごと突き抜ける勢いだった。

海面へ飛んだのは、レーザー弾と呼べるものだった。

「……やったか?」

 あまりの威力にあっけにとられながらも、小声で尋ねる。

「いや、感触がない」

「早くしろ、こっちはな」

「分かっている」

 と言っていると、再び巨大コブダイがジャンプ。斜陽に照らされたコブが冬の満月のように輝く。そこを沖水が水平チョップのようなしぐさをした。するとコブダイは着水した途端に、アイスリンクで着氷を失敗したスケーターのように、体勢を崩し背びれから海中へ落ちて行った。

「遅かった」

 沖水が言うように、サワの第二砲も空を切ってしまった。

「えーい、こうなれば」

 サワは痺れを切らしたのか、第三砲、第四砲、第五砲と海中目がけて立て続けに光線をぶっ放すが、それが射抜いた証しはなかった。

「おい、そんなむやみやたらにやんなよ。他のものに当たったらどうすんだよ」

「他のものにあたっても害はない」

 第六砲の射出。と同時に、沖水が片膝をついた。その額にはかなりな量の発汗がある。ほぼ船全体をたぶらかし、さらにはあの巨大魚から来る波から船体を守っているような術をしているから、相当の体力を使っているのだろうことは、容易に見て取れる。

「いい加減、早くしてくれない?」

 沖水が恨みがましく言うのも無理はない。

「分かっておる。でかい割に動きが速いのだ」

 言いながら、第七砲目の構えを取る。

「次は決めなさいよ。私も加勢するから」

 沖水が立ちあがり、両掌を水平線に向けてかざす。

「沖水」

「大丈夫です。そいつが失敗しない限りは」

 海面に漂う影が一瞬止まった後、三度目のジャンプをした。

 サワが光線を放つよりも早く、沖水が対コブダイの術をするよりも前に、巨大コブダイ目がけて一線が風を切りながら飛んだ。サワも沖水も動きが止まる。音速より速いそれは巨大コブダイの頭部を直撃。コブダイの動きが止まった。

「今だ!」

 画面から放たれた光がコブダイを捉える。みるみるうちに小さくなる全長。光が止むと、謙吾には見えなくなってしまったが、コブダイは正気を取り戻したように、静かに着水すると、尾鰭を左右に動かし海中へ戻って行った。

「終わったか?」

「ああ、ふう。冷や汗もんだな」

「それはこっちのセリフだ」

 事態が片付き、沖水が言いたいであろうセリフを謙吾は先んじた。言ってから、その手はまだ雪花の目を抑えたままだと気づいて、

「悪い、雪花。もうそろそろ……」

 さっきから雪花はやたらに大人しい。手を離す。

「雪花?」

 とろんとした目。妙ににやけた口元。島の稜線に沈む太陽に引けを取らない頬の色。

「そんな、いきなり。でも、私は……」

「おーい、雪花……おい」

 目の前で一つ手を打ってみた。

「ハッ、け、謙吾くん」

「目、大丈夫か?」

「へ? め? 目って……う、うん。大丈夫。視界良好。今も謙吾くんに」

 と言った所で口を押えた。どうやら目隠しをされていた時に何かしらの妄想をしていたらしい。雪花のうろたえの理由は、謙吾には分からなかったが。

「と、ところでコブダイさんは?」

「ああ、もう見えなくなった」

 間違ったことは言ってない。こういう時は嘘ではないが、本当でもないことを言って切り抜けるに限る。

「そう。でも見られて良かった。真澄にも言おうっと」

「そうだな。そろそろ戻るか」

 さんざんコブダイがジャンプし、サワが光の矢をぶっ放していたが、その兆候すら雪花は気づいていない様子に、謙吾は安堵した。

 サワ、雪花が甲板から階段を下りていく。

「沖水、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫です」

 手摺をしっかり握っていた彼女はやはりかなり体力を消耗したのだろう。それでも船室への移動を謙吾に促す。

 謙吾達が場を去ろうとするのを見やりながら、沖水はクイッと人差し指を手繰り寄せる所作をした。さっきまでコブダイがいた場所からえらいスピードで彼女の手中に収まったのは、三五〇ミリリットルのビールの空き缶だった。軽く息を吐いてから握ったまま振って、缶の表面の海水を払い、ポケットの中へ。

 甲板からの階段を下りると、

「何やってんだ、お前達?」

 和泉が手摺に肘をつきながら缶ビールを飲んでいた。

「えっと、かくれんぼみたいなものを」

 実に歯切れの悪い謙吾の答え。

「高校生にもなってか? てか、上の甲板に隠れるとこかったか?」

「先生は何してるんですか?」

 とりあえず質問に質問で答えて誤魔化すしかない。

「見ての通りだ」

 缶ビールを手に持ったまま左右に軽く揺する。和泉が一戦を見ていなくて、謙吾はほっとする。

「はあ。じゃあ俺達は船室に戻るんで」

「ああ、うるさくすんなよ」

 互いに背中を見せ合う。缶に口をつける和泉の横に、三人の後ろからついていた沖水が並んだ。

「どうした?」

「いえ、これ」

 沖水はポケットから空いたビール缶を和泉に差し出す。和泉が今飲んでいるのと同じ銘柄の缶。

「海に投げないでください」

「もちろんだ。海には投げてない」

「ありがとうございました」

「なに、大したことはしてない。お前は大丈夫なのか?」

「はい。なんとか。どっかの誰かさんがさっさとしてくれればもっと気楽にできたんですが」

「ま、無理すんなよ。で、いつから気づいていた?」

「最近です。さすがです。随分と御身分を誤魔化……隠されるのがお上手なんですね」

「こっちに暮らしていたら、知恵の一つもつくさ」

「そう、なんでしょうね。では、今後ともよろしくお願いします。先生、と呼んでおいた方がいいんですものね」

「お前は知恵の二つも三つもつきそうだな。サワ君とは合わない訳だな」

「褒め言葉と受けとっておきます」

 沖水は一礼をして謙吾達の背中を追った。謙吾達の担任は缶に口をつけながら、手を振る。

「手間のかかる生徒達だねえ」

 和泉からこぼれた言葉も、穏やかな海上を進むフェリーのエンジン音に消えた。

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