第25話 洋介の提案

「よ! どうだ? こっちは」

 雑巾のように絞ったら、さぞかし滝になるであろう発汗吸収済みティシャツの洋介が謙吾の横に駆けて来た。謙吾は熱気が伝搬してくるのを避けるため、半歩分横にずれた。

「いやあ、頭詰め込んでるだけじゃ、やっぱ志望校は受かんねぇよな」

「何言ってんだよ」

「だって俺二次試験実技だもん」

 洋介志望の教育学部体育専攻の二次試験は、彼の言ったように実技試験となる。バスケットボールやバレーボール、体操など様々な競技から二種目を選択して行う試験。もちろん陸上競技も入っているが、洋介の運動神経からすれば何を選んでも盤石にこなすだろう。

「だからよ、こうやって、一見するとあたかも遊んでいるように見えていてもだよ、身体の隅々の筋肉を均等に使い、神経系に異常はないか確認をし、バランスのいい身体機能を発揮しようという実に考えつくされた活動なのだよ、けんごくん」

 汗の引かない二の腕が謙吾の肩を狙っていたが、またしても半歩ずれてウザったそうに払いのけた。

「はいはい、じゃせいぜい遊んできてください」

 ホイホイ、あっち行けと言わんばかりに手を前後に振る。

「で、お前跳んだの?」

「お前はホント文脈を無視するな。跳んでねぇ」

「ここにいんのに? マジで?」

「マジもへったくれも、いるからって跳ぶとは限んねぇだろ」

「じゃあ、お前何しに来たん?」

「何しにって……」

 謙吾は雪花を見やる。洋介にしては的を射ていた。雪花が後輩の指導に行くというから来たものの、身体を動かそうともしていたはずである。それをすっかり忘れる程に、雪花の熱心な指導に感服していた。

「雪花嬢は? 跳んだん?」

「ううん。今日は教えてるから」

「でもよ、雪花嬢も身体動かしておかんとって、言ってたじゃん」

 雪花の志望学科でもやはり二次試験は小論文と運動の実技試験。同じ実技試験と言っても、洋介の専攻とは異なり、一種目の選択のため、彼女は当然走り高跳びを選ぶ予定。

「そうね。私も練習しないとかな」

「そうだぜ。それによ、後輩にも自分が跳ぶのを見せるってのも、連中の勉強になるんじゃね?」

「そうだね。じゃ、跳んでみようかな」

 そう言って雪花が足首を回し始めると、洋介はさらなることを放り込んできた。

「よっしゃ。んじゃ、雪花嬢と謙吾の高跳び対決だ!」

「あ? なんでそうなるんだよ」

「だって、ただ跳ぶだけじゃ面白くねぇだろ」

「面白いとか面白くないとかじゃなくてだな。波野は練習をだな」

「お前だって、跳べねぇことはねぇだろ。俺と拮抗できる運動神経あんだから。跳んでみろって。世界が違って見えるから。お、閃いた」

「すまん、もう閃くな」

「んなこというなよ。賭けようぜ」

「あ?」

「謙吾と雪花嬢が対決して、勝った方は負けた方に何でも一つ言う通りにさせることができる罰ゲーム実施とか」

「お前、べた過ぎるだろ、それ。波野だっていい迷惑だろ……」

「やる! やります!」

 それまで男子二人の会話に傍で聞き耳を立てていた雪花は即答する。すっかり目の色が変わっている。謙吾はしぶしぶ従うしかない。四月からのこの流れは、謙吾にはお決まりのプロセスでもあったし、また負けたとしても、雪花が無茶ぶりな要求をしてくるとは思えなかった。

「んじゃ、決定。ルールはな……」

 勝手に話しを進める洋介が決めたのはこういうルールだった。

 試技は一回勝負。集中力が勝負の高跳びってことを後輩に見せるためだとか。

バーの高さは次のように決められることになった。真澄が持っていたトランプを使う。百の位は一定にしておいて、十の位、一の位は一から十までのカードを裏にして見えないようにしておく。それを一枚ずつ謙吾と雪花が二回引く。例えば、十の位で五のカードを引き、次に一の位で十のカードを引いたら、百の位は一〇〇そのままで統一していたので、合計して一五〇センチのバーの高さになるという仕組みである。というのは、自己申請でバーの高さを決めるのは容易に跳べる高さになるから面白みに欠けると、洋介が指摘したからである。それでは対決にはならない。後輩達の興味深そうな視線が洋介のごり押しを通すことになった。

そこで決まった各自の高さは、謙吾が一八六センチとなり、身長の一〇センチオーバーとなった。雪花の方は身長より三センチ高い一六七センチとなった。

 その決定に後輩達もざわめく。女子にとって一六七センチはまさに全国レベルであり、なおかつ北信越大会の決勝で雪花が跳べなかった高さである。雪花の自己記録は一六六センチ。この一センチはハイジャンパーにとっては、ゼロ一つつけて桁を上げるくらいに、数字以上の差異を感じさせるものである。

「龍宮くん、大丈夫?」

 対決が決まり、再び体操し始めた謙吾に雪花が申し訳なさそうに言った。事態の展開もさることながら、選手の雪花は走り高跳び用のスパイクを履いているが、謙吾は普通のランニングシューズだった。この段階でも差が生じる。

「何言ってんだよ。あのアホが言ったことで、対決ってはあれだけど、俺も見てたら跳んでみたくなったってのも本当だし。跳べるかは分からんがな」

「跳びたくって、龍宮くん高跳びの選手だったの?」

「ん? ああ、中学の時、ちょっとな。じゃ、お手柔らかに」

「あ、うん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る