第24話 外野
コンクリートの階段は植込みの木々の陰になり、休憩場所としてはうってつけの所になっていた。そこには給水のポットが置かれており、部員達が喉を潤す。また真澄も見学で座っていた。
「大丈夫? サワさん」
惨事が近づいて来た。
「ああ、なんてことはない。実にこう響くものだな」
その声は痛々しい。表情も。
「そりゃね、ああなってしまってはね」
「痛みよりもこやつの肩を借りてしまったことの方が……」
「今は安静にしていた方が」
「そうだな。しばらくは見学をしていよう」
重そうな身体を静かに下ろす。
「そもそも見学に来たのではなくて? それを試みに、プッ、いきなり準備もなく、プッ、跳ぼうとするから~」
どうやら沖水にはかなりなツボだったらしい。あれほどの高飛車を決め込んでいた者が勇んでみた結果である。ライバルとしては笑う以外に、ダメージを与える方法はないだろう。
「人間社会のこと、よくよく知っているようね」
今のサワには強烈、いや痛烈過ぎる皮肉だった。
「やかましい。痛みや失敗からしか学べんこともあろう」
そんな会話は視線に変わる。走り高跳びのゾーン。後輩一人一人に声をかける雪花の姿。
「なぜユキカは、ああなんだ?」
痛みが徐々に治まっているようで、いつもの口調へ戻って行く。抽象的なサワの言葉は誰に訊くともするものではなかった。ただあの様子を見ての感想のようなものだった。
「さあ?」
その言葉の意味を汲んだように真澄があきれるように答えた。
「ケンゴのこと好いておるのだろ?」
「まあ、見てれば分かるわよね、それくらい」
「ああ。気づいてないのはケンゴだけということか」
「どっちもどんくさいっていうか、初心って言うか。雪花もぶつかっていけばいいようなものなんだけど。龍宮君は龍宮君で……」
「三葉虫並みの鈍さだな、あやつは」
「そう。成績もいいし、人当たりもいい、周りにも気遣いができて、それでいて男らしい、けどね。どうしてユキに対してだけ、ああも見事に鈍いのかしら。ほはや仏像レベルよ。あ、サワさんに合わせてカブトガニとか言った方がよかったかしら」
「いや、そこはどうでも。まったく、ケンゴという人間は。と言っても人間はすべからく一様ではなかろう」
「そりゃ、一通りではないけれどね。でもサワさんは、気にならないの? あの二人がくっついたら」
「何を気にするというのだ?」
「サワさんの気持ち」
「私の? 私がどうしたというのだ?」
「いえ、いいわ」
「もしかして、私がケンゴにホの字とか言いたいのではなかろうな」
「表現が古いわね、化石級よ、それ。でも、そういうこと」
「それはないな、マスミよ。まあ、そうだな、ケンゴが私の国の住民だったとしたら、ヤツの子を産んでも良いと思えるくらいかな」
「子?」
「ああ、そうだが」
「いや、それ恋愛感情超えてるでしょ」
「子を産むのに恋愛は必要なのか? 良い遺伝子を残すだけではないか」
「随分、前衛的な考え方なのね」
場が一瞬止まる。予想の傾斜度が急すぎて真澄はついていけない。
「ちょっと」
サワの右肩に手が乗る。
「今ここで抹消してあげましょうか?」
十全な憤怒を隠そうともせず沖水がサワの肩を握っていて、その力は徐々に強くなる。下手をしたらこの場で水幽霊の再来になりかねない。
「貴様まで何を興奮している。マスミには分からんかもしれんが、少なくとも貴様は理解できるだろう」
サワはあくまで一例にしか過ぎないと、面倒臭そうに肩の手を払いのける。
「ええ、理解できますよ。けれど、なぜだかこう沸き立つ情動を抑えておけなくてですね」
そこでフフと失笑があった。
「あ、ごめんなさい。別にバカにしたわけじゃないのよ」
真澄が普段のクールさでない、実に愉快そうに笑んでいた。
「サワさんの口調が古めかしいのに考え方が前衛的なギャップが面白くて、それに今まであんなに大人しく思えた沖水さんがそんなに感情的になるなんて、それがどうにもおかしくて」
コホン。咳払いを同時にして、サワと沖水は居住まいを正した。
「マスミも人が悪いな」
「清白さんも人が悪いですね」
と、これまた同時に言うものだから、真澄の笑いは本格的になった。
二人は居心地の悪そうに素知らぬ方を向いた。
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