第22話 ランチタイム

 謙吾は連日やらかしてしまったとうなだれた。宿題プリント以外に忘れ物があることに気付いた。弁当がなかった。

 この日、謙吾周辺の誰一人弁当を持参した者がいなかった。特に雪花に至っては昨晩ふと、

 ――そういえば、なんでサワさんや沖水さんがいたんだろう。それにあのお化けみたいなのは……先生も二人は龍宮くんに任せてみたいなこと言ってたし

 などとプリント作業中に頭をよぎり、謙吾にメールを送信したところ、「サワがここで知り合った観光客が帰る前に驚かそうとしてやったこと」で、「沖水も忘れ物があったらしい」との返信があり、さらにそこに沖水が謙吾宅の隣の貸家に住むことになったことが付け添えられていて、それがまた良からぬ妄想や手につかず状態にさせたことが原因だった。

 そこでランチルームへ、ということになった。

 その会話中、通りかかった沖水に洋介が誘うものの、

「私は用事があるので、皆さんでどうぞ」

 と譲られた結果、ランチルームに来たのは、謙吾、雪花、洋介、真澄、そして生徒でもないのにしっかり登校し、授業に出席したり、校内散策をしたりしているサワであった。

「あやつなどおらんでもいい」

 相変わらず沖水をけん制する言葉を述べているが、どこか心ここに非ずな理由がある。今のサワにとっては食券販売機のメニューとにらめっこの方が最優先事項だったのである。

 他のメンバーはすでに食券を購入済みで、謙吾は日替わり定食を、雪花は冷製パスタを、洋介はかつ丼と味噌汁替わりの味噌ラーメンを、真澄はベジタブルサンドウィッチにアイスティのついたセットに決まっていた。

「おい、さっさと決めろよ」

「待つのだ。よく吟味してだな。よし、これだ」

 迷った挙句、サワが選んだのは、

「海鮮丼か……」

 厨房から伸びる割烹着のおばちゃんの年季の入った手に食券が渡る。ルンルンな様子で食器が渡されるのを待つサワ。

「やっぱお前、魚介類が好みなのか?」

「そういうわけではない。こうなんだ、安定感というか、まずはこの賄処の腕を確認せねばなるまい。それには新鮮な品の方が分かるというものだろ」

「そうなのか。まあ、いいや。行くぞ。皆、座ってんだから」

 サワの理由はいま一つ納得しきれなかったが、おばちゃんから渡されたトレーを待って、謙吾はサワを雪花達が陣取っているテーブルに着かせた。

食事を進めながら、雑談をしていると、

「今日、放課後遊び行かねぇ?」

 脈絡なく切り出す輩は決まっている。明日勉強会の提案をしておきながら、今日は遊ぼうとは何ともお気楽な洋介である。彼のそんな性格は重々承知している居並ぶ面々を代表して、

「お前はまた……」

 謙吾があきれた風に一言。

「待てって。気晴らしは必要って言ったろ。明日も勉強会やるんだろ。ここんとこ毎日真面目に勉強ばっかりしてストレスたまってさ。カラオケでもどうよ。声出して発散てな」

 謙吾の記憶が正しければ、洋介は三日前の講習終了後にOBでもないのにバスケ部の部活に行って後輩達と試合して大声出していたはずである。

「カラオケとはなんだ?」

「お、サワ嬢、知らねえのか。カラオケってのはな」

 留学生に懇切丁寧にカラオケという文化を紹介し始める。

「龍宮君。カラオケ、ユキ、すごくうまいのよ。人の心を打つっていうか、情感を込めて歌うっていうか。十八番は『ユア・マイ・オンリー・シャイニン・スター』。現代っ子なのに昭和のバラードなのよ。こないだ新境地を開拓してフリップサイドの『シークレット・オブ・マイ・ハート』なんて切々とし過ぎて聞いてられないくらい」

 淡々とそつのないPRを挟む真澄の横でむせる雪花。

「へえ。聞いてみたいもんだな。こないだ借りたCDに入ってたな、その曲。……ん? そういや、このメンバーでカラオケ、ないな」

 謙吾も箸を休めて思い出してみた。来島して親しくなってからのこのメンバーでおこなったことと言えば、ボウリングやナインボールのまねごとみたいなビリヤードをしたくらいで、謙吾と洋介だけなら体育館でバスケのワンオンワンをするなど、おもに洋介提案による発汗を促す肉体的活動がメインだった。

「なあ、どうよ?」

 アグレッシブの申し子が再び促す。

「私は、ちょっとダメだな。皆で行って来て」

 申し訳なさそうに、訳ありげに雪花が小声になった。

「どうした、雪花嬢。腹でも痛いんか?」

 デリカシーの欠片もない輩には、腐れ縁な真澄から

「お前、トレーって痛えじゃねぇか」

「バカなこと言ってるからでしょ」

 容赦のない殴打が無料サービスされる。

「どうかしたのか?」

「今日もね、部活なんだ。後輩に教えて欲しいって言われてて。皆と行けたら良かったんだけど」

「大変だな、毎日。高跳びだよな」

「うん、そう」

 加入していた部活だけなく、種目までもきちんと覚えていてくれたことに、雪花はわずかに高揚した声色になり、それを隠すようにうつむいてしまう。

「龍宮君、雪花は北信越大会の決勝まで進んで後一歩でインターハイに行けるほどの実力の持ち主なのよ」

 真澄による、詳細な補足説明という雪花PRに、

「覚えてるよ。六月にあったばかっりじゃないか。でも惜しかったよな」

「う~ん、そうかなぁ~」

 謙吾からの労いに、すでに頬を朱に染めて、もじもじとテーブルの上を指でなぞっている。筆記具でも持っていたら、ミステリーサークル史上類を見ない出来栄えの図象になっていただろう。

「ちょっと何してんのよ」

 真澄が怪訝そうに、雪花に顔を近づける。

「だって、覚えててくれるなんて」

「は?」

「だから、私がインターハイにもう少しで行けたってことを覚えててくれて」

 頬を両手で押さえる仕草をするものだから、

「そんなことでそんな気持ち悪い仕草してんの?」

 真澄は半目になって眼光を鈍くさせた。

「気持ち悪いって……」

 まだ続く小声の競演に謙吾は何をしているのか分からなかったが、咀嚼後、箸を止めて、

「あのさ、じゃ見学行っていいかな」

 という謙吾の発案に、

「「「……はい?」」」

 雪花、洋介、真澄の動作が同時にフリーズ。洋介の策としては、カラオケにでも強引に誘って謙吾と雪花の距離を縮めさせようとしたのであり、それは真澄にも阿吽の呼吸で伝わっていた。だから、二人にとっても謙吾の言葉は予想外なものだった。いわんや部活の後輩指導に身を置くことになっている雪花をや。

「いや、カラオケって気分じゃないし、波野がどんな跳び方するかも見たいし」

「見たい―――ッ?」

 スクワットでプロ認定があれば即座に合格するくらいの勢いの良い雪花のスタンドアップを、これまたすごい勢いで真澄が座らせるやり取りに、洋介はラーメンのスープを飲み干して、

「俺も出ようっかな。ちょいと身体を動かさんとならんしな。謙吾、お前もジャージな」

 見学からエクササイズへの強制変更である。

「お前、だからこないだバスケ……ま、いっか。そうだな。見学って言ってもな。ちと、汗流すか。邪魔にならんようにそこいら走ってもいいか?」

 人間変態イルカやら自称半魚人やら頭をもたげる数々のことを考えずに、すっきりしたいという気持ちに謙吾はなっていた。

「もちろん! 私から現部長に言っておきますから!」

 教室でのしょげていた感はもうなく、鼻を鳴らすほどの答えに謙吾は押され気味になる。

「そ、そうか。じゃあ、トレーニング付き合うからな」

「つ、ツッ、つ、ツッ、つ、ツッ、付き合う―――――ッ?」

「はい、どうどう。トレーニングって言ってんのよ」

 またしてもカタパルト発進レベルのえらい勢いで立ちあがった雪花を真澄がなだめすかす。

 そんな中一人静かに食後の麦茶に手をかけている、

「しかし、味噌汁の出汁のとり方をもう一工夫」

 と残念無念そうに語るサワに、

「そういや、サワ嬢。留学生な割にザ・日本食選んだね」

「ああ、新鮮な食は好みだからな」

「へえ、じゃ、寿司とかもいいかもね」

「スシとはなんだ?」

 ここで再び日本文化の紹介がなされていく。カラオケの件といい、寿司の件といい、先輩達が地上に来ている割には、サワがその辺りの事情を把握していないのは、情報収集としては杜撰ではないかと、謙吾は聞きながら思うものの、校外学習という名目がある以上、日本文化にはまだ疎い留学生の体を保つのも策なのかもしれないと、自己完結するしかなかった。

「なあ、寿司って言えばさ、どんなんがいい? 俺は廻ってるより、配達してもらっての、やっぱ特上だな」

「贅沢なヤツだ。俺は並みの方が好きだな」

 謙吾がそう言い終わると。

 ガタ。

 テーブルに両手を肩幅で着いて、雪花が立ち上がっていた。先程のえらい勢いではないが、いきなりの感ではある。その顔はうつむいたままである。

「ちょっと、ユキどうしたの?」

 横にいる真澄が座ったまま、その顔を覗き込み、再び怪訝な顔つきになる。というのも

「ナミノホウガスキダ」

 などと、深夜の境内なら呪文以外には聞きようのない声が雪花から聞こえて来たからである。

「ナミノホウガスキダ」

 さらにそれを二度三度小声で言ったかと思うと、

 ガタン。

 一気に脱力して雪花が椅子にへたり込み、さらには

「気失ってる」

 真澄が身体をゆすって確認した。力なく顔が天井を向くとそこには満面の笑みで、先程自身が食した冷製パスタの材料となっていたトマトよりも赤い顔の雪花だった。

「龍宮君、おばちゃんから冷たいタオルもらってきて。洋介はこのまま扇いでいて」

 指示通りに席を立つ謙吾と、トレーを団扇代わりにする洋介。

「でも、なんでこんな突然」

「どうやら龍宮君が言った『並の方が好きだな』が、『波野の方が好きだな』とか『波野……が好きだな』って勝手な解釈が起こったみたい」

「雪花嬢、そんなんで……」

「まったくよね」

 扇いで風を送る洋介と鑑識眼優れた真澄。あきれる二人の脇で、サワは我関せずで麦茶を啜っていた。

「人間とは不器用なのだなぁ」

 という声を誰にも聞かせないようにして。

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