第21話 返却された模試の結果を見せ合う教室の光景

 まだ模試結果を取りに行っていない謙吾の横で、これまた合格A判定が出された洋介に、B判定となった真澄がうっぷん晴らしのパンチを食らわす一方で、心ここにあらずな表情の雪花がいる。頭の中では、和泉から言われた「数学は龍宮にでも教えてもらったらどうだ」がリピートしていたのだ。

 ――けど、自分から切り出すのはさすがにハードルが高いんだけどな

 こんな時に限って真澄は、ちっとも目を合わせてくれない。ちらと送ってきた鋭利な横目が雄弁に催促していた。「あんた、それくらい自分で言いなさいよ」と。

どうしたものかと、模試結果を眺めていると、

「なあ、波野」

 謙吾に呼ばれ、

「ひゃい」

 それがあまりに不意で、背筋がピンと伸びる。

「波野、す……」

「す?」

 言った瞬間である。さすがにこういう時の雪花の反応速度は世界新記録レベルである。すでに妄想ストーリーを展開し始めていたのだ。

 ――

 橙色に染まる教室。

 そこには二人の生徒を除いて誰もいない。波野雪花の前には、龍宮謙吾が対面で座っている。

 一心にノートにペンを滑らせていく雪花。

「あ、そこ違ってる」

「え……ここ? そうか。ありがとう龍宮くん」

「大丈夫か? もう一時間やりっぱなしだ。休憩するか?」

「ううん。もう少しだし。がんばるね、龍宮くん」

「そうか。そうだ。そろそろ名前で呼び合わないか? こんなに近いのに名字で呼び合うなんて他人行儀だし」

「え? でも、恥ずかしいし」

「恥ずかしくないさ。洋介と清白はそうしているだろ?」

「いいの? 謙吾くんて呼んで」

「もちろんだ、雪花」

「謙吾くん……」

「雪花、毎日ひたむきに勉強している雪花を、俺はす……」

 顔を近づける謙吾に雪花は、

「謙吾くん、そんないきなり」

 瞼をゆっくりと閉じて……

 ――

「謙吾くん、そんないきなり」

 雪花は身を左右に捩らせながら、胸に抱き寄せた模試の結果はすでにグチャグチャと無残な有り様になっていた。

「波野、大丈夫なのか?」

 元気なさそうな状態からの唐突に動き出したフラワーロックを見て、謙吾は真澄に確認を取る。

「ええ、想像力の練習中みたいよ」

「想像力?」

「なんでもない。って、ほらユキ」

 どっから取り出したのか、保冷剤を雪花の頬に付ける。

「ヒャッ? え? どうしたの?」

「それはこっちのセリフ。龍宮君の話を聞きなさいよ。数学だから、す・う・が・く」

「え? あ、そうか」

 コホンと、わざとらしい咳払いをして場をどうにかして取り繕うとする。

「波野、数学苦手なら教えようか?」

「ひゃ?」

 声が上ずる。自分から言い出しづらかったことを、その相手から振ってくれる願ったり叶ったりに乗らない手はないのだが、こうもあまりに順当に向こうから提案されると、戸惑いというか躊躇いというかが反射的な即答に待ったをかけてしまう。

「んじゃ、明日の午後にしたら? 勉強会」

 洋介が提案をぶっこんでくるのは、唐突も追いつけない切れ味抜群なキラーパスである。

「「はあ?」」

 怪訝となる生徒が二人。

「明日なら午前で講習終るし」

「そうね。それは良い案ね」

 アイコンタクトもなしにパスを受け取った真澄が眼光を光らせ、シュートをぶち込む。

「だろ。どうだ、謙吾」

「いや、どうだって言われても。俺よか、波野の予定とかを聞いた方がいいだろ」

「私は……」

 伏せた視線と言い淀みで、洋介と真澄はこの話のお流れかと思ったのだが、雪花は頬を紅くして、

「宜しければ、宜しくお願いします!」

 またしても胸元の模試結果がぐしゃとなる。

 予鈴が間を作った。

「ああ、波野が都合いいなら。俺から言い出したことだし」

 教室全体が着席の振動をあちこちでさせ、休み時間のざわつきが鳴りを潜めようとしている。そんな中、

「ありがとう」

 雪花の頬の赤みは消えなかった。

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