第陸話
恐ろしい悪夢から目覚めた駿之介は絶叫しながら飛び起きた。しかし、そうしたのは何も彼一人だけではない。
「ひゃあああ?!」
え、と荒い呼吸を繰り返している中でゆっくりと振り向くと、
「ま、全く。もうちょっと普通に起きてくれない? はあもう、心臓に悪過ぎ……」
つい先程まで瀕死だった大蔵が、自分の胸を撫で下ろしている。
蒼白だった顔が、今でもは紅潮していて。自身の血で黒く染まった皇服が、今では主の美麗な容姿を更に引き立てるように濃紺色の優雅さを保っている。
大蔵が、生きている――その事実だけで粉々に砕けた心が少しずつ元の形に戻っていく。つい先程までは色んな感情に押し潰されそうになったのに。
どうして顔を見ただけで、声を聞いただけでこんなに安心するだろう。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
大丈夫だ――そう強がるつもりだったのに。けれど生気で満ちている深紫の眼を見つめていると、声が詰まってしまった。
あ、ダメだ。
「悪い大蔵。ちょっと胸を貸してくれ」
「は、はい? な、何を――きゃっ」
有無を言わさぬ勢いで手首をグイッと引っ張り、姿勢を崩した大蔵を身体で受け止めた後、華奢な腰に腕を回す。
「ちょっ、いい、いきなりどうしたのよ! もう、離れろって」
押しのけようとする彼女を放さないと言わんばかりにすかさず力を込め、泣き顔を見られまいと更に顔を埋める。
「うるせっ、ちょっとくらい泣かせろこのバカ!」
「んな?! バカって……はあ、アンタねえ……」
唐突に啜り泣き始めた声に彼女は「全く」とこちらの背中に腕を回してきて――。
「もう、男なんだから悪夢を見たぐらい泣かないでよ。カッコ悪いな……」
(ああ、ダメだ。急に優しくされては……また涙が出て来るじゃねえか、このバカ……)
「うるせぇ……これは目から出る汗だ」
「あはは、もう……どんな汗なのよ、それ……」
この日、彼は生まれて初めて誰かの前で号泣した。溜まり込んでいた鬱憤も悲しみも後悔も、何もかもを吐き出すように泣き続けた。
そんな彼が落ち着くまで大蔵は文句を言わず、付き合ってくれた。
自分の死ぬ間際で同じ会話を交わしたことを知らずに。
気持ちを落ち着かせるために深呼吸してから大蔵と目を合わせる。が、いざ視線が絡み合った途端、彼女は顔ごと逸らした。これから仕事があるから、という言い訳で背を翻し立ち上がる大蔵に焦り出す駿之介。
「待てっ! その……だ、大事な話あるから」
ビクッと肩が震え立ち止まる彼女の後ろ姿に不安がよぎる。
説得が無理なら力ずくでも聞いてもらうしか――と、良からぬことを画策し始めた時に振り返ってきた赤面の大蔵にドキッとした。
やがて彼女は溜息をつき、のろのろと戻ってくるが。高ぶる気持ちを誤魔化すように、駿之介が咳払いした。
どうやって話を切り出すのも問題だが、そもそもどういう風に話せば彼女に信じてもらえるんだ。相手が夏目ならまだしも、あの大蔵だ。
慎重に考えなければ――そう決めたのは良かったものの、お願いしたわけでもないのに何故か彼女が正座している。しかも長考している間に、ずっと。
「その、足辛くない? くつろいでくれるといいけど」
「だだ、大事な話なのでしょ? い、いいから、さっさと済ませてよ」
そういうことなら、とまた一つ咳払いを置いてから、これから起こることを話した。無論、ありのままを話すわけにはいかないから正夢の体で話を進んだ。
そのせいで大蔵の強張った顔が段々怪訝な面持ちになったわけだが。
「はあ? そんなの、ただの夢だけの話でしょ? 現実で起こるわけないじゃん」
「いや、俺、よく正夢を見るんだ」
「だから?」
「それがよく当たるんだよ。だから、今日一日だけでいいからさ、仕事を休んでくれ」
「はあ……心配し過ぎ。そんなの起こるわけがないじゃん。はいはい、それじゃあね」
おざなりに手を振られて離れられた。知らずに死地に赴く颯爽とした背中に手を伸ばしても、それが虚しく宙を掴み、襖が閉められた。
一人になった途端に、改めて部屋の大きさに気付く。
「それだけ、あいつの存在が大きい……ということか」
改めて心の内を再確認したとは言え、ここではいそうですかと引き下がるわけにはいかない。彼女のあんな姿を目撃したら尚更。
「どうにかしてあの分からず屋を説得しないと……」
そのためにも、もう一人に協力要請をしないといけない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ちょっと遅めの朝食を永里勇はマイペースで食べている。無表情に見えても実は食事は彼女が認めた、ごく少ない娯楽の一つだ。
『よく噛んで、よく味わってこそ、作った人への恩返しになる』――それが、彼女がずっと持っていた信念である。
彼女を住まわせた人に感謝しても感謝しきれない程の恩があるが、未だに当該人物の人物像が全く見えてこないというのもまた事実。
(まあ、それは追々解き明かされるということにしておくとして)
短く結論を付けた彼女は白米を口に放り込み、一粒一粒味わうようにゆっくりと咀嚼していると、
「勇、俺の話を聞いてくれ!」
邪魔者のせいで至福の一時があっさりと壊された。
他の三人に注目されるだけならまだしも、一人の時間が他人の都合で破壊されるという非合理的な状況は、あってはならない。
「落ち着いてください。今は食事中ですので後にして頂けると――」
「そんな場合じゃないんだよ! お前(の知恵)が欲しいんだっ!」
あ、これはマズいです――彼女がそう思っても時すでに遅し。傍観者の三人が目を輝かせて勝手に盛り上がっているからである。
「あわわわ、大胆です! 大胆過ぎますよ!」
「わぉ! いつの間にか、名前で呼び合う関係になったのか…! これは、恋の予感! うひゃああ~!!」
「おかしいのう~。観たがっていた歌舞伎が始まったのかのお~?」
向こうの三人組は一旦さておくとして、切羽詰まっている彼の顔から一つの結論を導き出される。
(これは、ループしましたか)
ループが関わっているのなら話が別。三食の飯よりも仕事優先の勇は素早く皿を平らげ、そのまま流し台へ運んでいる間にも頭を働かせる。
あの様子から鑑みるに、恐らく今度は誰かが目の前で亡くなられた。そして相手は十中八九、今この場にいない大蔵のことだろう。
脳内で組み立てた推論の精度を確認している間に皿洗いを終わらせ、彼に向き直る。
「では、ワタシの部屋に行きましょう」
「ああ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
手っ取り早く緊急会議を終わらせた駿之介は大石から大蔵の巾着袋を受け取り、月華荘を飛び出す。作戦があると言えど、今回で何としても彼女を助け出すと彼が決めた以上、勇が『やるなら上手くやりなさい』と見送り出してくれた。
ループを起こして手掛かりを集めて最適な方法で解決するなり、リアエスのチャットで情報収集するなりできるのに彼は敢えてそれをしなかった。
無論、今やろうとしていることがどれだけ無茶で滑稽なのを、彼自身だって理解している。
『たかがゲームだ』
『キャラ一人が死んだくらいでムキになるのは滑稽だ』
『ましてやいい歳の大人が子供みたいに感情的になってんじゃねえ』
『大人なら大人らしく頭で行動しろ』
否定的な言葉が執拗に彼の耳元を纏わり付く。確かに、と一言諦めてしまえば楽になれるだろう。
でも、だからと言ってこっちの都合で何回も大蔵を死なせていいはずがない――!
「マジかよ……」
生半可な正義心を再燃させた先に忌々しい通行止めの看板に邪魔されて、『諦め』の二文字が一瞬脳裏にちらつく。
前回のループで散々弄ばれた苦い思い出が蘇り、グッと拳を握り締める。
「上等だ……」
「は、はい?」
眼前のスタッフの当惑をよそに、駿之介は走り出した。
だったらより早くコンビニに辿り着けばいいだけの話だ、と闘争心を剥き出しにしながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます