第漆話

「い、一体どうなってんだあれ……」


 薄暗い路地裏の壁に凭れかかり、酸素欲しさに胸を大きく上下させながら額の汗を袖で拭く駿之介。ここから出れば目的地に辿り着けるはずなのに、いまいち達成感が湧かないのは、結局前回と同じ流れになったからだ。

 出し抜こうとしても何故か毎回毎回彼の前に現れ、迂回させられた。実はGPSを付けて追跡してたんじゃないかくらい、出現するタイミングの正確さで。


「いや、付けるのか流石に。プレイヤーしゅじんこうだしな。全く、シャレになんねえぜ」


 とは言え、もしこれが本当にシナリオの作為だとしたら、ライターさんがきっと卑劣極まりない鬼畜人間に違いない。いない人間を胸中で罵って気持ちがスッキリした彼はふうーっと溜息を吐き、預けていた壁から汗だらけな背中を外す。

 あちこち走り回っていたせいで膝が笑っている。が、突いていいのは休んでいい時だけだ。


「よし、最後の踏ん張りどころだ」


 これから爆発が起きるコンビニに向かいながら、勇の言葉を思い返す。


『ツンデレを無理矢理にある場所から遠ざけるには、強硬手段に出るしかありません』


『ツンデレって……。いや、あいつはそんな可愛げのある生き物なんじゃ――』


『世間一般では、それがツンデレだと言うんですよ。流石原始人、相変わらず知識が疎いですね』



「うーん、でもあいつをツンデレとして一括りにするのがなんか違う気がするんだよなー」


 自動ドアが開き涼しい冷気で回想から引き戻され、人混みを縫うように大蔵のいる方へ進みながら脳内で彼女をここから離れさせる方法を模索したが。彼女の姿を視界に捉えても何も思い浮かばなかった。

 やはり勇の言う通りに強引的に引き離すしかないのか、と悩んでいると丁度顔を上げた大蔵と目が合ったがすぐさまに顔を背かれた。前回とは違う展開に「どうしたんだろう」と彼が内心で首を傾げると、今度は『こっちに来い』的な視線を投げかけられてきた。

 不安を押し殺しつつ普段通りを装いながらその視線に応じると、


「こ、このバカ! 変態! 付き纏う者!」


「きゅ、急にどうしたんだ? らしくないぞ」


 まさか第一声で罵詈雑言を浴びさせられるとは思わず、無意識に首を触る駿之介。


「ア、アンタが、こんなところまで付いてきたんでしょ! そ、それで? 何しに来たの?」


「やけに顔が赤いな……。まさか熱でもあるのか?!」


 やっと彼女を連れ出せる口実を見つけて興奮気味になった彼は、彼女の額に手を伸ばしたが、あっけなく叩き落される。


「ほ、本当に何でもないから!」


「いや、しかし――」


「何でもないと言ったら、何でもないのっ!」


 大蔵は一歩、また一歩後ろに下がって行った。そこに客がいると知らずに。


「危ないッ」


 ぶつかりそうになる彼女を、間一髪のところで駿之介が細い手首をぐいっと引き寄せ。何とか接触を免れ、ふうーと安堵の息を吐き出すと、


「大丈夫だ……ったか――」


 問い掛けようした先に言葉を詰まらせた。耳の付け根まで火照っている大蔵がすぐ目前。瞬きすら忘れそうになる刹那の瞬間、今朝の出来事が駿之介の脳裏をよぎった。

 柔らかな感触、鼻孔をくすぐる花の芳香のような匂い、吸い寄せられそうな深紫の双眸。お互いが固まったまま見つめ合って数分後、駿之介はハッとなった。


(って、何呑気にラブコメしてんだ俺は。バカか!)


 折角大蔵が大人しくしているのだ、この機会を見逃してたまるか――恥ずかしさを堪えつつも彼は真っ赤な耳にそっと口元を寄せ。


「いや、ちょっ、バカ。ななな、なに考えて――」


「裏口で、待ってるから」


「は、はぁ? ちょっと、それ、どういう――」


 それじゃ、と慌てて出て行った駿之介の背中をボーッと見送り、


「もう……何がしたいんだあいつはっ」


 得体の知れない感情の波に翻弄された大蔵は気持ちを切り替えるように仕事を続けようとしたが、すぐに先程の出来事を思い出しては再び顔を紅潮させたのだった。








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









 それから待つことに十分後。裏口の扉が開かれ、長く待ち侘びていた空色の長髪が現れる。しかし彼女の顔にはいつもの覇気がない上に、どこかしおらしげに俯く。

 流石の駿之介も心配になった。


「なあ、やっぱりどこか具合が悪いんじゃないか? なんだか様子が変だぞ?」


「べ、別に何でもないから」


「そ、そうか……」


 口ではそう言っても先程から彼女は、視線を合わせてくれない上に時折髪の毛をいじっている。しかし彼女が頑なに大丈夫だと言うのなら、こちらも気遣い不用。

 一刻も早くここから離れさせるべきだ――覚悟を決めて深呼吸一つ。


「ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれるか?」


「うん? 何言って――」


「今から俺と一緒に、月華荘に戻ってくれ」


「……呆れた。また夢の話? 悪いけど、それは応えられないわね」


「理由を聞いても?」


「いや、理由って……」


 呆れ混じりに言った大蔵は、見せ付けるようにエプロンを摘まみ上げる。


「これ、見ても分かんないわけ?」


「ん? エプロンがどうしたって? 似合ってると思うが」


「ちっがう! 今仕事中だって言ってんの!」


「そうか……それでも俺と一緒にここを離れて欲しいんだ」


「どして?」


「ここ、爆発するから」


「はあ……あのさ、これ以上ふざけたら――」


「いや、ふざけてなんか――」


 言い掛けたところで眉間に皺を刻む大蔵を見て、手遅れだと知り焦り始める。


「いや、ふざけてんじゃん。たかが夢物語一つで人に仕事を止めさせようとするヤツは邪魔者以外にないでしょ」


「違っ……! 俺は、ただお前を助けようと――」


「はあ!? 人の仕事の邪魔をするのが助けだあ? ハッ、アンタ、頭おかしいんじゃないの?」


 すぐに捲し立てられるかと思いきや、わざとこちらにも聞けるような大きな溜息を吐かれた。


「何の話をするのかと思ったらこんなしょうもない話のために私は――じゃあね。全くもう……」


 おざなりの応答が返されて長髪を翻す大蔵の背中に精いっぱい腕を伸ばす。

 これから危険な目に遭うのは彼自身でもないのに、周りがゆっくりに見える現象が突発的に起きた。

 それだけ恐れていたのだ。あの時の惨状を。


「――ちょ、ちょっと待ってって!」


「ちょっ、何!? 痛いって!」


 思わず力んで彼女の手首を痛めたが致し方ない。後で幾ら罵られても構わん。これ以上大蔵をこの場に留まらせるわけには――。


「ここから逃げるんだ! 早くッ!」


「だから、こっちは仕事だって言ってんでしょうが!」


「そんなことを言ってる場合じゃねぇって! 頼むから、俺を信じてくれよッ!」


「――うっざ」


 聞く者の心の芯まで凍らせる言い方に、駿之介は唖然として思わず「はあ?」と返す。もっと速く走ってくれと促そうと振り返った矢先に、

 

「だから、うっざいって言ってんのっ!」


 やはり彼女を説得しようとするのは間違いだったのを思い知らされる。

 大蔵が言い終わったと同時にこちらの手を振り払った。睨み殺しに掛かってそうな獰猛さが孕む両眼で。


「……アンタさ、私を拾ったからと言って、あんま調子に乗るんじゃないわよ」


「おまっ……。言っていいことと悪いことがあるんだろうがっ! この分からず屋め!」


「どっちが分からず屋だよっ! 人の職場に来ていーっつもからかってくるしさ。そんなに人をからかって楽しいなわけ!?」


「ちがっ――俺はただ、お前を心配してただけで……」


「心配? ハッ、今更保護者気取りですか? はいはい、それはどうもありがとうございました。でも私はアンタに心配される程のガキじゃあるまいし、そもそも同い年なんだからアンタに保護されただなんて、一度も思ったこともない!」


 議論の余地を与えないとばかりに一気に捲し立てられる大蔵をよそに、駿之介は差し迫る時間制限に危機感を覚え。慌ててスマホを取り出しては通話履歴で一番上の番号を押し、スピーカーモードを起動しては懐に仕舞う。

 向こうに繋がるまで待っていられないとばかりに、すぐさまに大蔵に駆け寄る。


「大体アンタは――」


 悪い、と謝罪の言葉と共に不慣れながらも彼女の身体を横抱きにして持ち上げる。


「ちょっ、バカ、何勝手に……! 下ろしてよ!」


「ああもう、頼むから! 暴れないでくれる? 落としてしまいそうだったから!」


「だったら、落としてもいいじゃん!」


「事情は後で説明するから、捕まってろよッ!」


 散々走り回って悲鳴を上げた足を酷使し、ひたすら前へと走る。

 普段から筋トレをしたことがなかったという今更過ぎる後悔が胸中に覆い尽くす。けれど、無力なりにも戦い方もある。それが長い間準備していた者よりもずっと無様で滑稽に見えるだけで。

 そんなもの、構うものか。

 今の彼に出来る、力の限りで大蔵たいせつなものを守るだけだ――!


 参、弐、壱――後方から鼓膜を破るような爆発音が炸裂。

 建物が崩壊され、人々は悲鳴を上げ。


「ぐおっ?!」


 強烈な爆風が彼の背中を嬲り、受け止め切れず前のめりに倒れていく。


「きゃあああああ?!」


 腕の中にいるはずの大蔵が宙に浮いている――咄嗟に視界の中で捉えた腕を掴んで引き寄せて共倒れに――。








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









 ぼんやりとした意識の中でジーンと耳鳴りが続く。重たい瞼を押し開け、瞬きを繰り返す。焼けるような灼熱が肌を撫で、鼻の奥にツンと来る煙臭さに顔を顰め。

 どこから聞こえてくる、悲惨な『駿兄』と呼ぶ声が耳鳴りを突き抜けてきた。が、今は応えられる余裕がない。


 朧気な感覚の中で、目前の少女の生暖かさがハッキリと伝わってくる。その後頭部を守った腕が痛み始め、視界も何故か赤くなっていったがそんなのは些末なことに過ぎない。

 重要なのは、悲劇を回避できたのだ――彼自身の手で。


 やがて瞼が開けられ、深紫の双眸が覗く。


「ちょっ、ちょっとアンタ、大丈夫!?」


 先程の剣幕と打って変わって、本気で心配してくる声。

 出会った当初と比べて華奢でとても温かい、血の通う少女のことを、彼は守り抜いたのだ。

 ああ、良かった――。


「や、っと……おまえを……助け……た……」


「ちょっ、ちょっと! 更に抱き付くなって! 苦しい……! ねえ、起きてるならちゃんと返事してってばっ! もう、放してよっ!」


 ようやく誓いを果たせたという安心感で胸をいっぱいになり、儚い達成感に包まれながら駿之介は意識を手放した――。

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