第肆話
卯月 弍拾壱日
「そういや、聞き忘れたけどさ」
夏目がそう言いながらも三人の席に近付いたんだが、途中で「あー、やっぱいいや」と中断した。
「なんだ? 聞きたいことがあるなら、遠慮せず聞いてくれ」
「いや、授業にちゃんと付いて行けるかなと聞きたかったけど、頭のいいお二人さんに聞く必要もないかって思い出しちゃった」
「ま、まあ、今のところ問題ないわな」
「左に同じく」
「さっすがだね。かく言うアタシは付いて行くだけで精一杯だよ。とほほ……」
「おのれえ神様め! オレにも少しくらい知恵を恵んでくれてもいいじゃねえか!」
「それな」
漫才コンビのような二人に合わせて駿之介は苦笑いを浮かべつつも冷や汗が背中に滲むのを感じた。誤魔化すように先日夏目に渡してくれた時間表のコピーに視線を逃す。
「次の授業は……現代史か」
それを聞いた夏目と光風の顔には何とも言えない微妙な表情が浮かんだが。逆に転校生コンビはどうして彼らがあんな顔付きになったのかが分からないとでも書いたような顔をした。
「ああそっか。二人は初めてだっけ」
「そうだけど……」
そう返答した駿之介の顔を、次は大蔵の顔を見た夏目は納得したかのようにうんと大きく首肯。
「まあ、おぐりんとシュースケなら大丈夫か!」
同時に首を捻る大蔵と駿之介をよそに彼女は光風の方に振り向いた。
「みっちゃん。毎回必ずこれ言ってるけど……」
「『くれぐれも暴れるな』だろう? オメエに言われなくてもわーってる。あとみっちゃんと呼ぶんじゃねえ」
「うん、分かってるならよろしい! じゃあね~ん」
手を振って席に戻る夏目を座ったまま見送ったら、戸が開けられた。
思春期特有の妙な浮き立つ雰囲気の中、彼女は圧倒的な存在感を放ちながらふわりと壇上へと訪れ。そして、丁寧な会釈と共に授業を開始した。
「世界には、独裁者によって圧政が敷かれている国家が多数存在します。我がネグラシムニア共和国は、そういった国々を独裁者の手から救うために戦っています。この皇国も、私達が皇帝の圧政から救った国の一つです」
教師に指名された副総督でもあり生徒会長でもあるクラリスが、お決まりの解答を述べると、内容に納得しかねない転校生コンビは同時に「は?」と言った。その際、光風が思わず噴き出してしまいそうになったはさておくとして。
現代史。一般的に考えれば皇国が敗戦した時から現在までの歴史を思い浮かぶが、生憎皇国のそれが何一つも含まれていない。学ぶのは共和国の歴史ではあるが、それだけならまだ許される範囲である。
かれこれ十分が経過したが主な内容は、共和国による世界侵略の正当性に関するものばかり。まるで殺人犯が自らの罪を正当化すると似通うものがあり、聞いていれば聞く程反吐が出る程だ。
更に面倒なのは通常の授業とは違い、共和国の授業は議論主体で進行すること。おまけにこんなのが必修科目なのが尚更厄介だ。
(他国を侵略した上に大勢の現地民の命を奪っておいて、それが『世界平和』のためだと説くとは。全く、面白過ぎて笑うことすら忘れたわ)
とは言え、こんな屁理屈みたいな授業を毎週聞かなければいけないと思うと、気が遠くなりそうだ。
「なに、この時間」
「クソッタレの連中の行動を、正当化するお時間だと」
「くっだらない」
教師役の目を盗んで大蔵と光風がひそひそ話をしたのに、当の彼女にバレてしまった。あら、と微笑を崩さず優雅にスカートを翻す姿はやはり恐怖心が掻き立てられる。
「どうやら、そちらの転校生さんは意見があるようですね。ご起立ください」
年長者として敬語と相まってそれが更に増すだけだ。彼女の挑発に乗るかどうか判断している大蔵はやや怒りを抑え込んでいるようにも見えた。後に彼女が決心して立ち上がろうとした時、
「穏便に」
「分かってるわよ」
一応駿之介が念を押したのだが、やはりどうしても一抹の不安が残る。
「転校生の……大蔵さんでしたね。現在の共和国の在り方について、どう思いますか?」
あたかも今回が初対面のような感じで持って行こうとする生徒会長に対し、妙に落ち着いている大蔵。
前回の反省を生かしてこのまま受け流すつもりだろうか。もしそうだとしたら出番がないな。心のどこかで余裕を持つ駿之介だったが、
「あら、ここで意見を言ってもいいの? 他国の在り方に口を出すのは独善的だと私は思ってるけど」
「大蔵さんはまだ転校してきたばかりで分からないかもしれませんから、改めて説明いたしますね。現代史は、このようにディスカッション形式――つまり、討論会のような形式で、意見を交わしながら授業を進めるものになっております」
「へえ。つまり、ここでの意見はあくまでも授業の一環、という解釈でよろしい?」
「はい、それで大丈夫ですよ。是非とも、忌憚のない意見を聞かせてください」
「じゃあ、お言葉に甘えて――その理念を一方的に押し付けてくるの、止めてくれません? ハッキリ言って迷惑なんですけど」
まさか二分後に彼が頭を抱える羽目になるとは。
「まんま挑発に乗ったとはコンビニの時から何も学習していないのかこいつは」といった軽蔑的なものから「あの『分かってるわよ』は何だったの! 逆の意味じゃねえか! まあやると思ったけどな!」といった開き直りまで様々な感想が脳裏を駆け巡る。
「国境一つ越えれば文化や思想、生き方や宗教まで違うのは当然だわ。ならどうして世界平和を掲げてたであろうお国が、世界各地に押し掛けておいて理念まで押し付けているのか。どうして戦争を起こしたのか」
「ふふ、面白い見解ですね。けれどそれは『戦争』ではなく、『独裁者から解放してあげた』と言いますよ」
「では共和国は何を基準にして当地の指導者を独裁者と判断するのか、聞かせてくれる?」
「ええ、構いませんよ。我が国が編み出した独自のシステム──失礼、仕組みで評価して一定の基準を下回った場合、解放作戦を決行します」
「さっき『独自の仕組み』と言ったけどさ、そんなもの今まで一度も聞いたことがなかったけど?」
「ふふふ、それは『企業秘密』――とでも言っておきましょう」
クラリスが長々と自信ありげに語るも結局はどの内容も信憑性が欠けている。物的証拠が皆無の状態で主張するのは、悪質な政治家の手口とは大して変わらない。
聞けば聞く程、胡散臭さが増すばかり。
「じゃあ聞くけど、その“大義名分“の元で死亡した者は何人いるのか。その数字すら公開しないような国に、果たして国民が安心して命を預けられるのかしら。真の世界平和を目指すには無干渉の方が被害者も著しく減少できるじゃない?」
「それは単純の数字の見比べの話ですね。現に共和国の指導の下で解放前の時よりも経済的繁栄をもたらした国々も6割存在しています。それに、大きな目標を成し遂げるには犠牲が付き物ですよ。理想論だけ掲げては誰も付いて来てくれませんので」
「……それって、皇国を守るためならば皇国人が犠牲になっても仕方がないみたいに聞こえるけど?」
「ふふ、どう受け取るのかはご想像お任せします」
ずっと微笑を維持するクラリス。その表情はある種の余裕の表れとも受け取れるが、どちらかと言うと長年失くしていたおもちゃがようやく手元に戻った子供と似だ。
対して、大蔵は深紫の双眸に怒気を孕ませながら静かな声色で応戦している。
「では逆に聞きますが、皇帝が国民を支配する根拠は何でしょうか」
「何ってそれは────……なんで、だろう……」
その質問されるのを予想しなかったのか、彼女の身から放っていた険悪な空気が一気に霧散。戸惑いで揺らぐ双眸をちらりと見て駿之介はマズいと思った。
しかし彼が助けたくても助けられない。何せこちとら皇国の歴史に関してはからしきである以上、この世界の住人でもなければ皇国人でもないからだ。
次第に教室がざわつき。他の共和国人にまで冷やかしを受けることに。
本来であれば教師役のクラリスが言及するところなのに何もせず。ただ静かに微笑みを湛えてじっと。むしろその嬉々とした表情は、秩序を失われていく現状を好んでいるすら受け取れる。
やがて悪ふざけが誹謗中傷へと変化し、波紋が渦巻く中──、
「んなもん、どうだっていいだろうが」
一人の少年の大声量が暗鬱な空気を切り裂く。
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