第36話 ヒーロー
三人三様の時間が流れる。もう誰も城先生の存在を疑うことはなかった。
「でもさ」
三咲は切り出す。
「1卓の裏のさ、桜の花の絵はまだ謎だよね」
老人はまたにっこりとする。
「桜の絵か。ワシもよう描いたな。見る角度で白になったりピンクになったりするのもな、ここのお城まつりで展示してもろて、結構評判やったな」
「見る角度…。ん?」
絵梨は閃いた。私、先生が、厳密には先生の弟さんが絵を描いた後で、1卓の向きを入れ替えたんだ。
「ね、お店に戻ろう! 1卓、反対から見てみる!」
「え?」
「お店で説明するから。とにかく戻ろう」
絵梨は勢いよく立ち上がった。そしてペコリと頭を下げた。
「あの! 絵を描いて下さって有難うございました。これは城先生じゃなくて、あの、弟さんのへのお礼です!」
老人は微笑んだ。
「ああ、まあどっちでもええんやけどな、兄貴も上手いことやったもんやな。ほんならワシは兄貴の墓に報告しとくわ。絵梨ちゃんと三咲ちゃんがちゃんと判ってくれたってな。喜びよるやろなあ。せやけど、もうワシの身体は勝手に使わせへん。いつの間にか手がサインペンの色だらけって言うのはやめて欲しいからなあ」
「でも、さくらティーは美味しいって、城先生言ってましたよ」
「それな。ワシは損した気分や。塩味にメイプルシロップやなんて、味わいたかったわ。ほんなら、気ぃつけてな」
「はい! 有難うございましたっ! 電車、あと5分だ。急ごう!」
二人は並んでベンチの老人にお辞儀をして駈け出した。
+++
電車に乗り込んだ絵梨がポツリと言った。
「ねえ、あの弟さん、三咲の名前、知ってたっけ? 絵梨ちゃんと三咲ちゃんって言ってたけど」
「え?」
「私の名前は、さっき三咲が呼んだから判ったと思うんだけど、私は三咲の名前を呼んでない」
絵梨は窓の外を眺めた。
「それにさ、記憶がなかったのに『さくらティー』の味のこと、知ってた」
三咲が身を乗り出す。
「どういうこと?」
「記憶がなかったんじゃなくて、なりすましたんじゃないかってこと」
「えー? なんで?」
「弟さん、お兄さんの、つまり城先生の
一瞬ポケっとした三咲だったが、やがて頷いた。
「有り得る…。弟さん、指がサインペンの色だらけって言ってたよね。誰もサインペンのカラーの絵なんて言ってないのに」
「それもあるね。でもさ、いいんじゃない? さくらティーの味は地元では有名だし、三咲の名前は、きっと無くなった筈の記憶からポロっと零れて出て来たんだろうし、桜の絵は白黒ってないから、細かい事は放っておこう」
絵梨は小さく微笑んだ。弟さん、超演技派だ。流石は芸大卒。でも、今さらどうでもいいや。きっとお兄さんのことが大好きで、城先生は弟さんにとってヒーローだったんだ。そう、弟さんの記憶がなかったと仰る間は、本当に、弟さんは城先生だった。城先生がしたかったことを弟さんの身体がしてあげただけのこと…、そう、たったそれだけのことだ。
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