第27話 開店

『喫茶さくら丸』


 まじですか…。両親とともに2週間ぶりに自宅に戻った絵梨は驚きを禁じ得なかった。


「お店の名前、本当に変えちゃったの?」


 父の滋はにやっとした。


「うん。ピッタリだろ。カンナちゃんのセンスには時々びっくりするわ」


 そのまま採用した父の方がびっくりだわ。まあ、桜の木が無くなった喫茶さくらなんて有り得ないと思ったし、外構にウッドデッキが敷き詰められた時から『さくら丸』だとは思ってたけど、本当にそうなると改めてびっくりする。


 そして、店内に入った絵梨は唸った。なるほど、こう来たか…、ってカンナさんのパースどおりだけど、変われば変わるもんね。これで昭和テイストを残すのは両親だけだ。大丈夫かな、お父さんとお母さん。新品のカウンターを撫でながら歩く。一席ずつアクリルプレートで仕切られていて、これは衛生上だけでなく図書館のように個室感を出すためだ。半透明なのは明るさを考慮したものだろう。丸い窓に自習コーナー。計画通りだ。そして、あれ。


 カウンターの一番奥は材質が違う…、というよりモノが違う。いや、これって…。


「絵梨、気がついた?」


 母の美鈴が笑う。


「1卓?」

「そう。磨いてくれたからピッカピカになったでしょ。高さもカウンターと合ってるから、三咲ちゃんと隣り合わせで勉強できるのよ。普段は予約席にしてCloseさせておくし」

「あ、有難う…」


 新1卓の表面を掌で撫でる。ピカピカ、ツルツル。真新しい机のようだ。うわー。


 しかし絵梨は同時に心配にもなった。お金、大丈夫なのかな…。その顔色を察してか滋が笑った。


「カンナちゃんがエコ設計にしてくれたからさ、光熱費が大幅ダウンなんだよ。器具も新しい方が省エネルギーだしね。結局席数も増えたから、ちゃんと回収できるよ。絵梨の結婚費用は確保してるから心配するな」


 いや、そんな心配はしてないけど…、まあ何とかなりそうなんだ。ひとまず絵梨はホッとした。


+++


 新装開店は翌日からだった。噂を聞きつけて朝から常連さんが押しかけている。そして皆口を揃えて『なんということでしょう』と唱和している。


♪ カランコロン


 ドアベルは前のままだった。滋がこれは使うと主張して、センサー型ドアチャイムは却下されたそうだ。入って来たのは常連のクリーンナップ、漁村婦人部の千枝だった。


「開店おめでとうございます」


 千枝は抱えて来た花束を滋に渡した。


「いやあ、有難うございます。お口に合いますかどうか…」

「と言うより、座るところ一杯よね。流石は開店初日」

「ですねぇ、カウンターならいけますが」

「うーん、ま、物は試しに座ってみよう、勉強コーナー」


 千枝は自習コーナーであるカウンターのスツールに座った。高さは抑え気味なので普通に座れる。


「ふうん。お尻がすっぽり入って案外座り易いわね。へぇー」


 目の前の丸窓から外を見る。ウッドデッキのチェアのみならず、係船柱ベンチにまでお客さんが座っていた。


「本当に船みたいだ、流石はさくら丸ね」

「吉祥さん、本日はサービスしますよ。アールグレイと自家製クッキーです」

「あら、有難う」


 改めてカウンターに手を置いてみる。なるほど…。千枝の脳裏に子どもの頃の思い出が去来する。ノートを拡げて、鉛筆を握って、それでそっと前を伺うと…、そう、兄さんたちが並んで勉強していたっけ。私の字の練習ノートを時々覗き込んで、花マルをつけてくれた。懐かしいな、駄々こねて連れて行ってもらった高校の図書室。何だが私も若返ったみたいだ。また、勉強しても、いいのかも。


 千枝がウッドデッキに目をやると、あの桜の切り株が見えた。接ぎ木とか三咲ちゃんが言ってたっけ。ちゃんと枝が伸びて葉っぱもついてる。きっとあれが大きくなる頃には、お店の名前も『喫茶さくら』に戻る事だろう。さて、私は何の勉強をしようか…。千枝の中にも若木が宿り始めた。

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