第25話 三千円の乱入

 今年も煌びやかな New Year Eventで店は動き始め、龍志はNo.1ホストの生活に戻った。本年初のハッピィ・ニュースはタカシさんが年末に結婚したと発表したことだ。タカシさんは「龍志も早く身を固めてパパになれ!」、俺をフロアに引っ張り出してダンスを始めた。無理やり抱かれてタンゴを踊る俺は、ムチャハシャギするタカシさんにあっけにとられた。

 時々、凛子から画像添付のメールが届いた。

「君はこんな有名小説家の担当なのか、驚いた!」

「へへっ、編集者から嫌がられている先生が私の担当なんですよ」

「嫌われている先生ならアクが強くて大変だろう。なぜ仕事中の君は黒っぽいパンツスーツと大きなメガネでノーメイクなんだ? 魔除けか?」

「そうです、大当り! 余計な気を使わないでいい作品を書いて欲しいからです」

 その言葉でわかった。若い女への嫉妬や誘いを遮断するのか、仕事中はまったく魅力がない女か、なるほどなあと笑った。


 2月の初め、龍志は最終関門の4日連続で実施される面接指導を受けた。内容は雇用に関する法律が4問、保険関係が3問と手続き関連が1問だが、指導最終日に口頭で合格の判定を告げられた。礼を述べて椅子から立ち上がったとたんに緊張と疲労で眩暈がした。ヒロキに1時間ほど遅れますとメールし、7時過ぎに出勤した龍志にヒロキは、

「オマエが遅刻したのは初めてだ。今日が面接の最終日だと聞いたがお疲れの様子だな。どうしたんだ? 上手く行かなかったか、そんなことは人生では当り前だ、気を落とすな! 今日も頑張ってくれ」

「あの~ すみません、心配かけましたが合格しました」

「オマエが? へえー、信じられんが良かった、良かった!! 実はなオマエのファンのオバさまたちがお祝いしたいとお待ちかねだ。そんなシケた顔してないで早くホストに変身しろ。俺はヘルプに付くぞ、わかっているだろうが俺のヘルプは高いぞ!」

 そう言って龍志の背中をドンと押したヒロキはホストの顔になっていた。


 店内は「合格おめでとう!」のコールが響き、龍志の前にシャンパンタワーが築かれた。オバさまたちが割勘でシャンパンタワーを注文したと聞いて、俺は嬉しくて涙ぐんでしまった。

「あれっ? 龍志くんでも感激するんだ!」

 隣の席からオミズの恵子が駆け寄った。

「龍志くんを何回も口説いたけど落ちなかったのよ。こんなホストにお金使ったのは初めてだわ、マジにフザケテル!」

「甘い、甘い。龍志くんは大人よ。子供のあなたには渡せないわよ!」

 オバさまたちが大口開けてゲラゲラ笑った。

 

 部屋に戻った龍志はシンジと美由と凛子に合格したとSNSした。目覚めるとコメントがたくさん並んでいた。シンジは父親の名刺を添付して近々訪ねて欲しいと書いていた。美由はお兄ちゃんはスーパースターだと喜んだ。凛子は携帯して来た。

「やりましたねぇ! 社労士の合格率って知ってますか、7%程度なんですよ。東大合格よりスゴイです! 明日は新宿の近くに単独取材に行きます。デジカメで画像を撮るだけなので会えませんか? ランチでお祝いしたいです」

 

 龍志は落合駅前で特上ランチをご馳走になり、取材先の林芙美子邸にお供した。落ち着いた寄屋造の屋敷だ。シャッターを切り続ける凛子に、

「風情はあるが意外と狭いなあ、庭も邸も。こんなものなのか」

「昔は鬱蒼とした竹藪や美しいバラ園があったらしいですが、往時を偲ばれる建物が残ったので我慢しましょう。玄関を入って左に小部屋があったでしょ、あそこが編集者の詰所だったらしいです。ここは戦災に遭わずにすみましたが丘の下の神田川流域は壊滅状態でした。戦争から半世紀以上経っても崖に防空壕の跡が残っています。次は漱石山房記念館に行きましょう」


 林邸を後にして狭い路地を辿っていると携帯が鳴った。ぎぁ、三千円だ! 静かな住宅街に鳴り響く呼び出し音に負けた龍志は電話に出た。

「お兄さん、助けてよ! もう何もかもイヤになった! 死にたいよー」

「おい、落ち着け! 何があったんだ? イヤになっただけじゃわからない、そう簡単に死ぬな!」

 携帯の向こうであの子は泣いていた。そのとき、凛子はすっと龍志の携帯を取り上げた。

「代わったわ、私はリンコよ。泣かないで話してね。何があったの? 聴くことぐらい出来るわよ」

 凛子は優しい声で諭した。

「アンタ誰? お兄さんの恋人? デートだったんだ。ごめんなさい」

「そんなことは気にしなくていいのよ、どうしたの、話してくれるかな」

「聞いてよ! 卒業旅行に行ったんだ。タチンボしてたのがバレてみんなにバカにされて、やらせろって囲まれた。そいで、ハサミで脅かして逃げて来たの、こんなのイヤだよ!」

「あら、よく逃げたわね、エライ、エライ! 今どこなの? 迎えに行くから教えてちょうだい」

「新宿の高島屋の前」 

「そこだったら10分ちょっとで行けるから動いちゃダメよ、必ず迎えに行くから、わかった?」

「うん、わかった」

 龍志はボーッと三千円と凛子の会話を聞いていた。


 高島屋の前で大きなバックを抱えて座り込んだ三千円は泣いていた。

「あなたがアンちゃんね。さあ龍志さんの部屋に行きましょう。歩ける?」

 あー、どうなってるんだ! これは夢かと目を見開いたが夢ではなかった。俺の部屋に凛子は三千円を抱えて乗り込み、冷蔵庫を開けて首を振った。

「早く下のコンビニで温かい飲み物と食べ物を買ってきて」

 龍志は命令を守って両手にどっさり食品を抱えて戻った。


「それでどうするの? どんなことがあっても学校は続けなさいね。もうすぐ卒業でしょ、負けちゃダメよ! そんなサイテー男なんか相手にしないことよ、過去は過去、そんな過去は忘れなさい、捨てなさい!」

 三千円は両足を抱えてグズグズ泣いていた。

「わかったよ、お姉さん。私は話を聞いてくれる人がいないんだ。お姉さんが聞いてくれたから嬉しかった。昔ね、家出したんだ。でも保証人がいなくてマトモに働けなかった。そんなとき、知らないオジさんが私を抱いて1万円くれたんだ。こんなんでお金もらえると知ってからタチンボになった。ママが亡くなって継父(ままちち)からやられたんだ。だから初めてじゃなかった。どうってことないって割り切った」

 龍志はたまらず、

「おい、やめろ! 話はわかったからヤメロ!」

 龍志は泣いていた。

「アンちゃん、もうやめようね。過去を思い出しても過ぎたことは終わったことなの。過去は捨てるためにあるのよ。これからのアンちゃんが幸せになれることだけを考えようね」

 凛子は三千円を抱き包んで一緒に泣いていた。


 しばらく経って、やっと落ち着いたのか泣きやんだ三千円は、チンしたグラタンを食べ始めた。

「時間だわ、龍志さんは仕事に行ってください。私はアンちゃんとここに泊まります。心配しないで行ってらっしゃいね」

「そうだよ、お兄さんは仕事に行っていいよ。お姉さんがいるから寂しくないよ」

 はあ? こいつは何を言ってるんだ? 自分が騒動を持ち込んだくせに、お姉さんがいるから仕事に行けって? 呆れ返った。どうにでもなれ! ふたりの行ってらっしゃいに送られて龍志は職場に向かった。

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