第23話 異次元の叫び
龍志は心配かけたヒロキの前で、撮影時の会話を録音したレコーダーを再生した。しばらく聴いていたヒロキは呆れた表情で、
「オマエを尊敬するぞ! 撮影ってこんなにムチャクチャなのか、腹が立たないか? よく我慢できたな」
「沙奈江さんの撮影に慣れました。モデルは人間じゃなくて、感情を持たないマネキン人形としか考えていない人です。最後の方を聴いてください」
録音のラストに近い部分を聴いたヒロキは、
「沙奈江は諦めたようだ。オマエを丸め込んで利用しようと考えただけだろう、娘はどうした、いたのか?」
「いました。聴いたはずです」
「そうか。聞いたとしても自分の都合がいいように思い込む娘だ。気をつけた方がいいぞ。無料のヘアカットをさせてくれと来たが長続きしなかった。ヘルプたちの髪をいじりながらオマエのことを探ったらしいが、あの娘が期待するニュースはなかった、オマエは優等生でシッポを出さないからだ。あんな妄想タイプが思いつめたら暴走する、怖いぞ」
「妄想タイプですか…… あの子をよく知っていたら、少しは妄想を理解できそうですがまったくわかりません」
龍志は携帯が鳴るたびにドキンとしたが三千円の電話はなかった。俺は空き時間のすべてを事務指定講習に費やした。幸いなことに夜の仕事だから助かったが、昼職の人は大変だろうと同情した。凛子の推察どおりに大御所先生は来店し、ホストに囲まれてご満悦のようだ。ある日、凛子に電話した。
「僕だ、龍志だ。話をしていいか?」
「はい、どうぞ」
「まず、礼を言いたい。お客さまを紹介してくれてありがとう。君が言ったように通ってくださっている。それで感謝の気持ちを込めて君をボートに招待したいが、時間が取れるか? それに話もあるので会ってくれないか」
「感謝されることはしてませんが、練習の成果を見せたいのですか? 千鳥ヶ淵は混んでるから善福寺にしませんか、行ったことはありますか?」
「善福寺? 行ったことがない。東京はよく知らない」
「西荻窪の駅で待ってます。善福寺公園の池は広くて都心と違って混んでません。衝突の危険が少ないうえに浅いです。龍志さんをラクラク救助できます」
俺は凛子説を信じるしかなかった。
冷たい風の日曜日、肩を寄せ合って善福寺公園に急いだが、龍志は同じ歩幅で歩く凛子に驚いた。こんなに大きな子だったか?
「失礼だが君は何センチなんだ?」
「ははっ、ウドの大木なんです、170あります。龍志さんは?」
「180だが中途半端な高さだ。バレーやバスケをマジにやるには最低10センチは足りない。高校は女子が多いバレー部に入ったがすぐ飽きて、サッカーに転向した。それ以来スポーツと無縁だ。君は水泳部と聞いたが4年間そうだったのか?」
そうだと言う凛子を見つめた。生半可な気持ちで4年間も大学の運動部は続けられない、強い女だ。俺よりも彼女の方が芯がありそうだ。そんな思いを抱えて、たわいもない会話を続けていたら着信音で現実に引き戻された。ゲッ、三千円だ! 顔を曇らせた俺に遠慮した凛子は離れようとした。
「待ってくれ、この子を傷つけたくない。傍で聴いてくれないか。母親に僕は恋人がいるとはっきり伝えたが、この子もいたから聞こえたはずだ。どう話せばいいのかわからない」
「普通に自分の気持ちを伝えてください」
「お兄さんは私の携帯にもう出てくれないと思ってた。この前さ、恋人がいるって言ったけどホント? 私のこと嫌いなの? 答えてよ!」
「恋人がいるのは本当だ」
「だったらお兄さんは私が嫌いなの!」
「嫌いじゃないが妹にしか思えない、君とは恋人にはなれない! よく聞いて欲しい、君は美容学校を卒業して自分の店を持て! 沙奈江さんから独立しろ! 君がマジに頑張れば実現できるだろう。僕は沙奈江さんにきっぱり断ったが君は聞いていたはずだ。そのうち沙奈江さんは新しい男を君に勧めるだろう。会社の後継者にすると甘い言葉を投げるだろう、そういう人だ。君は沙奈江さんが持っているカードの1枚にすぎない」
「継母のカードでもいいから教えてよ! どうしてもお兄さんは恋人になってくれないの?」
「嫌だ、ならない! 君はとても狭い世界にいるようだがもっと世間を見て欲しい。君が言う恋人とは何だ?」
「うん、いつもデートして、キスして、抱き合って、ハッピィになるのが恋人よ、違う?」
「違うな、心はどこにあるんだ? 君は人を愛したことがあるか? ないはずだ」
「あるよ、だってお兄さんを愛してるもん」
「それは愛ではない、僕に兄か父親のように甘えたいだけだ。君は自分の世界に閉じこもっていないで外を見ろ。君を嫌いじゃないと言ったのは君が心配なんだ、わかるか?」
「わからない! でもお兄さんから嫌われてないんだ、ちょっぴりラッキー! あっ、継母だ!」
突然切れた電話に龍志はふーっと長すぎるため息をついた。
「聞こえていたと思うが異次元に住んでいる子だ。僕はさっぱりわからない、あんな言葉でわかってくれたか不安だ」
「あのお嬢さんとどこで知り合ったのですか? 孤独な悲鳴が伝わって泣きたくなりました。幾つぐらいの方でしょう?」
「22くらいだと思うがわからない。あの子は新宿のタチンボだった。雨が降りしきる夜に『お兄さん、私を買ってよ、何も食べてないんだ』と呼び止められた。驚いて立ち止まったが雨は本降りになり、手を引っ張って駅に走ろうとしたが、あの子は力尽きて水溜りに座り込もうとした。本当に腹ペコだった。駅チカのマグドナルドでビックマックを食べさせた。僕は理由も告げずに東京に逃げて来たばかりで、職はなく新宿の街を彷徨っていた。4年前のことだ。次に会ったのは2年以上経って、お客さまのお嬢さまになったあの子が登場した。飛び上がるほどびっくりした」
凛子には三千円で抱いたとはさすがに言えなかった。
「哀しい言葉を聞きました。恋人になれないことを知っていながら、あんなセリフを投げかけるお嬢さんは、誰かにすがりたいのでしょうか。一度会ってみたい気がします」
「やめてくれ! 君が翻弄されるだけだ。多分、君の言葉は通じないだろう」
「そうね、私に人を救う力なんてありませんよね。自分だけで溺れそうですもの」
「飛び入りで驚かせて悪かった、謝りたい。気持ちを切り替えられるか?」
「大丈夫です、溺れかかった男性をスピーディに救助する方法をシミュレーションしているとこです」
「なんだって?」
俺は凛子を軽くデコピンした。にっこり笑った凛子とボート乗場へ急ぎ、練習の成果を披露した俺は合格の判定をもらった。ボートを漕ぐ俺に水をかけて戯れ、写メして笑っていた。
「写メした画像を母に送っていいですか」
「いいよ。僕が生まれて初めてボートを漕いだ記念だ。僕にもくれるか?」
凛子は吹き出した。別れ際に肩を引き寄せた龍志に凛子は驚いたが、何も言わず水辺に視線を落とした。
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