第22話 自分勝手な女

 ラストの客を送って戻った龍志にヒロキが、

「今日はマジにブチギレそうだったな、モニタで見ていたぞ。アフターは客とホテルに直行だと! ホストは薄っぺらで下品か! ホストクラブはいやらしい場所か! とんでもないババアだ! 俺はぶん殴りたくなった。ネットで見たがデブババアは編集長と不倫を重ねて浮かび上がった女だ。俺も読んだがあんな本は資料が揃えば誰だって書けるさ、人気作家になれたのはヤリテ編集長の力だ。東大卒業かは良かったぞ」

「なぜヒロキさんはそんなに興奮してるんですか? 僕は腹が立ったけど忘れました。文壇の重鎮だか大御所になるには人に言えないこともあったでしょう。それより、お客さまが危険に遭わないか心配です。あの方たちは歌舞伎町の怖さを知りません。ホストをガードに付けていいですか?」

「それはいいがヤバイ展開になったら、ババアは置いてメガネの女だけ連れて逃げろと言うが、いいか?」

「最高です! そうしましょう。僕のカンでは両先生は本指名になってくださると思います。新規のお客さまが増えたから許しましょう」

「そうだな、ご苦労さん。さっさと帰って早く寝ろ、俺もあんなアンモナイト・ババアは苦手だ」


 帰宅途中に凛子から携帯が入った。

「お疲れさまでした。龍志さん、怒ってませんでしたか? ホテルに直行とかホストは薄っぺらで下品だの、あの暴言には驚きました。両先生は化石みたいな方なので刺激が必要だとお連れしたのですが、ご迷惑だったらごめんなさい」

「君もお疲れさまだった。あの先生たちは夜の歌舞伎町に取材に来るか? 君の感触を教えて欲しい。もし来そうだったら安全を確保したい」

「多分、行かないと思います。現在のご自分に安住なさっている気がします。あっ、車の音がしますが外ですか?」

「そうだ。家に帰る途中で甲州街道だ。月がすごくきれいだ」

「待ってください、外を見ます。ホントです、丸く膨らんだ月が見えます。私の予想では両先生は必ず龍志さんに会いに来ます。龍志さんをお気に召した様子でした。きっといいお客さまになってくれますよ」

「何だって? 僕の新規客を連れて来たのか、ありがとう。おかしくて笑いそうだ」

「いけませんか、ニセモノでも恋人なんですよ」

「そうだったな。あっ、あれからジムでローイングマシンをやった。次回はちゃんとボートを漕ぐぞ。女が漕ぐボートに乗ってる男なんて、みっともなくてゴメンだ」

 ふたりは夜空を見上げて笑い合った。


 同伴の光子と店に入った龍志の耳元でヒロキが、

「沙奈江さんがお待ちかねだ。オマエは同伴だからタケルが接客している。いいな、あの話が出たらはっきり言った方がいいぞ」

 光子を接客しながら俺は覚悟を決めた。

「龍ちゃん、悩みでもあるの? どうしたの、何だかノリが悪いわ」

「ごめんね、光子さんに会うと田舎の妹を思い出すんだ」

「なーんだ、そうかあ。ねぇ、妹さんの名前は?」

「ミユだけど、事情があって結婚して半年で離婚した不憫なやつです。だから光子さんは幸せになって欲しいなあと」

「えーっ、嬉しい! 私なんか誰からも心配されたことがないの、チョー嬉しい!」

 どうやら光子の機嫌は治ったようだ。タケルさんが俺を呼びに来た。少しの間チェンジする許しをもらって、沙奈江のテーブルに移動した。


「今日はね、お願いがあって来たのよ、ぜひ聞いてちょうだい。もう時間がないの、絶対にイエスと言ってくれないと見通しが立たないわ。撮影が終わって編集段階だけどこれでは売れない! そう判断したの。龍志くんしかいない、本当に今回で最後だから助けて! モデルになってくれない?」

 龍志は身勝手な説得を聞いていた。見通しが立たないって? それはアンタの判断ミスで俺とは無関係だ。この女は既に撮影済み画像で気に入らないパートのみ俺を使って再撮するつもりだ。“モデルになってくれない?”ではなく、“モデルになってください、お願いします”だろ? 相変わらず傲慢な女だ。不愉快な気持ちで聞いていたが、そうだこの女に貸しを作ろう、そう考えた。

「それで僕はどうすればいいのですか?」

「急で悪いけど時間がないから明日撮影したいの。何とか時間を都合できない? 頼むわ、この通りよ」

 沙奈江は手を合わせて俺を拝んだ。多分、三千円も参加するだろう、その前できっぱり言おう。そう考えたら少しは気が楽になった。


 翌日、龍志は撮影に挑んだ。いつもと同じで沙奈江の妄想だかひらめきで撮影のシチュエーションがコロコロ変わる。これではプロのモデルでも腹を立てるだろう。指示されたイメージを心に描いてその気になった途端に、違うアクションを言い出す女だ。今日の俺は完全にホストの龍志になりきって、いくつかの撮影バージョンをこなした。裸にひんむかれて髪をいじられようが、頭から水をぶっかけられても命令どおりに動いた。

「3回目となれば見違えるようにいい表情が作れるのね、すごいわ、驚いた! 次はね、恋人が消え去ったドアの前に佇む後姿よ。悪い、チェンジ! 床に座り込んで! そう、それで行こう」

 沙奈江の突発的な思いつきでヘアとメイクは何度もやり直しを命じられた。三千円はメイクとヘアのヘルプをしていたが、継母の気まぐれと強引さに嫌気がしたのか、時々俺に視線を移してため息をついた。撮影は休憩なしの4時間を費やしてやっと終了した。沙奈江はモニタをコマ送りで確認しながら、

「私のイメージにぴったり、最高よ! 龍志くん、ありがとう。これは絶対に売れるわ! お疲れさま! でも龍志くんは変わったみたい、何だか優しくなったかな? いや、そうじゃない、もしかして好きな人がいるの?」

「はい、います」

 三千円の目が輝いた。

「あら、本当なの? どんな人? 教えてよ」

「友人の紹介ですが普通の会社員です」

「ふーん、失礼だけどおいくつ?」

「26です。これ以上はお話できません」

「そういう人がいるから、1年前とは見違えるような男の色気がファインダー越しに伝わったのね。お陰でいい画像が撮れたわ」

 娘と真面目に交際してくれと言ったことを簡単に棚に上げて、ぬけぬけとよく言うなと呆れたがほっとした。俺はそそくさと撮影現場を立ち去って仕事に向かった。三千円の顔を見たくなかった。

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