第21話 アンモナイトの客
俺はSNSで凛子に事情を説明してニセの恋人依頼した。寝ようかとベッドに転がったら携帯が鳴った。三千円なら出ないぞ! 誰からだと恐々覗くと凛子だった。
「お休みでしたか、夜遅くすみません。お話しても大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。申し訳ないが君の協力が必要な事態が発生した。今晩、お客さまのお嬢さまと真面目に交際して欲しいと言われたが、お断りした。母と娘の両人とも苦手なタイプで、悪い人じゃないが強引すぎる。今日はお引き取り願ったが安心できない。マネージャーが恋人がいると言うしかないだろうとアドバイスをくれた。それで君にお願いさせてもらった」
「仕事なら苦手な方も我慢できてもプライベートは遠慮したいですね。それで私はどうすればいいのですか、その方とお会いするのですか?」
「いくらなんでも会わせろとは言わないと思うが、恋人はどんな人かと探りそうな人たちだ。そのとき僕は君をイメージして答えようと思っている。名前は言わない、言う必要がない!」
「私はちっとも困りませんよ。ご存知のように恋人はいませんから」
凛子はふふっと笑った。
「なぜ君は笑うのか?」
「この前は父の厳しい質問に堂々と応えていたのに、アタフタしている龍志さんがおかしくて」
「それもそうだな。少しドキドキしたけど、あのときは仕事スイッチで乗り切れたんだ。悪いが君をイメージして話すことを許して欲しい」
「許可しますよ。母が龍志さんとはうまくいってるかとよく訊くんですよ。はい、はい、心配ないわよって応えてますけど、とんでもないウソつき娘ですねえ」
「お互いさまだ。こんな時間に付き合ってくれてありがとう。君はまだ寝ないのか?」
「仕事が残ってるんです。夜中に校正して翌朝は先生に届けます」
「へぇ、君の仕事も大変だな、悪いが僕だけ先に寝かしてもらうよ。やっと安心して眠れそうだ」
「そうですね、安心して眠ってください。お休みなさい」
お休みなさいなんて言われて眠るのは何年ぶりだろう、少し心が温かくなった。いい夢を見られそうだ。
数日後、凛子が大御所の小説家の先生と来店した。今日は大きなメガネで地味なパンツスーツだ。ふたりはホストクラブに初めてのようで、戸惑いながらもヘルプ・ホストたちと談笑していたが、No.1ホストだと紹介された龍志に質問が集中した。
「仕事が終わったらどうするの、お客さんとホテルに直行なんでしょ? 朝は昼まで寝てるの?」
「何か大きな勘違いをなさってませんか? お客さまとホテルには行きません! 食事やカラオケ程度はお付き合いさせていただきますが、アフターがなければ全員で掃除して帰ります。戻るとネットで社会の動きを確認してから寝ますが、遅くとも9時には起きて新聞に目を通し、週に2回はジムに通ってます」
(アフター=閉店後に客と食事やカラオケに行くことを言うが、ホストはそう簡単に客とホテルに行かない)
「えっ新聞? ホストが新聞を読むの?」
「朝日と日経と東京です。お客さまの話を理解する、または話題を探すには必要です。ホストの常識です!」
凛子は笑いを堪えて聞いていたが、
「凛子さん、聞いたことをしっかりメモってね。ホストはもっと薄っぺらで下品な、あら失礼、そんなイメージだったけど、こんなに勉強家なんて初めて知ったわ。それに、ホストクラブっていやらしい場所だと思っていたのよ、違うの?」
我慢の臨界点に達した俺は、
「お言葉ですが、ホストクラブは決していやらしい場所ではありません。そしてホストは下品で薄っぺらな人間ではありません。お客さまは人に話せない悩みや葛藤を胸に秘めて、ここへいらっしゃいます。僕たちは微力ですがお客さまのお話をお聞きして、来店なさったときよりも少しでも晴れやかなお気持ちでお帰りいただけるように努めるのが仕事です。僕の話はご理解いただけましたか」
「あらあら、龍志さんだったかしら、なかなかしっかりした方ね。大卒なの? 大学はどこ?」
少々酒が効いたのか、大御所は大上段から愚問を発した。
「大卒です。店には現役の大学生ホストもおります。失礼を承知で言わせていただきますが、先生は東大卒業でいらっしゃいますか? 大学を出た、出ないは人の評価には無関係と存じます。どう生きているか、どう生きるかが人間の真価ではないか、僭越ながら思っておりますがいかがでしょうか」
東大卒かのケンカ台詞に凛子は顔色を変えたが、俺は知らんふりをした。
「あーあ、私としたことが失言したようね、確かにどう生きるかが大切だわ。学歴なんてつまらない小事よね。若い人に久しぶりに説教されて面白かったわ」
「申し訳ありません。生意気を言いました、ご容赦ください」
もう一方の大御所が口を挟んだ。
「いいのよ、失礼な質問した方が悪いわ、気にしないことよ。龍志さんは私の本を読んだことはある?」
「はい、高校で図書部の女子から勧められて何冊か読ませていただきました。女性が主人公の作品でしたが、不思議に思ったことがありました」
「高校生の龍志さんが不思議に思った? 教えてくれる?」
「明治・大正・昭和時代の女性が苦労しながら懸命に生きて行く物語でしたが、現代女性を描いた作品はないのか、不思議に思って捜しましたがありませんでした」
横でメモを取る凛子の顔がこわばった。
「高校生の坊やがそう思ったのね。私のデビューは大奥の女性たちを書いた作品で、その後は龍志さんが言ったように、明治・大正・昭和に生きた女性の一代記を発表してベストセラーになったの。版元からはその延長上を依頼されて書き続けたわ。いつかは最先端で活躍する女性を書きたいと思うけど、現代女性がわからない、時代について行けないのよ。痛いところを突かれたわ」
「先生がご存知の現代女性は優秀な方々で昼間の職業でしょう。僕は新宿しか知りませんが、歌舞伎町にはクラブ、ラウンジ、キャバクラ、バー、スナック、ピンサロ、メンズエステ、デリヘル、ソープランドなどがあり、そこで働く女性たちがいます。この他に17や18歳でタチンボの子がいるのをご存知ですか? バックが反社会的勢力の子もいるでしょうが、大半は家を飛び出した普通の子で苦労しながら生きています。三千円前後で自分を売り、公園や路上で眠ってる子もいます」
「ちょっと待って、タチンボとは売春婦のことね?」
「そうです。テレビで女子高校生が“援交”で何十万も稼いだニュースを見ましたが、その陰に二千円、三千円で買われる若い子がたくさんいるのが現代です」
「その話に興味が湧いたわ! 凛子さん、メモは取ったわね、自分の目で確かめたいから次は現場に行きましょう」
「先生、女性だけで夜の新宿を取材するのは危険です。強盗に遭うだけではすみません。お立寄りくださればホストをガードに付けます。麻薬や人身売買が行われている危険なエリアもあるようです、ガードが必要です。絶対そうしてください、お願いします」
先生たちは小説のネタを見つけたのか、知らない話が珍しかったか、満足のご様子で店を後にした。
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