第6話 美由が残したものは

 美由を部屋に連れて帰ったが、室内を眺めた途端に、

「兄ちゃんはこんな狭い部屋しか住めないの? いっぱい稼いでるんでしょ、どうして?」

「東京は家賃が高いんだ、新宿だからなおさらだ。これでも20万だぞ」

「へえー! びっくりした! 私の手取りより高い」

 月に2日しか休まないで兄ちゃんが頑張ってるのに、お母さんは…… 美由は言おうか止めようかと迷った。


「聞いてくれる? 心配なことがあるの。お母さんは兄ちゃんのお金をお父さんに内緒で、勝手に使ってるみたい。隣のおばさんからお礼を言われて初めてわかったんだ。婦人会の旅行とか言ったけど、コンサートに新潟市まで近所のおばさんたちを連れて行って、古町でご馳走したらしいのよ」

「母さんは今まで贅沢ひとつしないで俺らを育てたから、その程度はいいじゃないか、そんなに怒るな」

「違う! 兄ちゃんはまったくわかってない! お父さんに黙って、高そうな指輪やブランド品をローンで買ってるお母さんはおかしい! エスカレートしそうで怖いの。

 お父さんが『龍志はどこで何をしているのか』って心配したことがあったの。そしたらお母さんは『さあ、どうしてるんでしょうね』ってトボけた。ウソつき! 兄ちゃんはきちんとお金を送ってるじゃないか! そう言いたかったけど言えなかった。本当のことを知ったらお父さんが可哀想だもの。これからさ、送金するんだったら信金じゃなくて、郵貯のお父さんの口座にしてよ。これ以上お母さんをヘンにしたくない、兄ちゃん、お願いだよ!」

 美由は数字が書かれたメモを開いた。


 俺は考えた。つましく家計をやりくりして子供を育て上げ、余分な金はなくても老後は親父の年金で何とか暮らせるだろうが、自分が自由に使える金は1円もない暮らしだっただろう。欲しい物を我慢したこともあったろう。俺から密かに金が振り込まれ、つい使ってしまった。浪費と贅沢を覚えた女の転落をいくつも見た俺は、ため息しか出なかった。

「美由の話を聞いて頭が痛くなったみたいだ。お前はベッドを使え、俺はリビングで寝る」

「ヤダ、私は興奮しちゃって眠れそうもないよ。寝る前にちょっと見て。こんなに名刺をもらったの。すごくいい匂い! 名刺に香水をつけるなんて初めて知ったわ。そしてね、たくさん話をしてくれたの。あの人たちは次を考えてホストしてるんだって。ユウジさんはケーキ店を開くためにパティシエの学校に通ってるの。ジョーさんはプログラマー志望の専門学校で、イッペイさんは調理師学校よ」

 ヘルプの名刺の裏には専門学校や通信教育の書き込みがあった。あいつらはそれになりたくて店に来たのか、あいつらに比べて俺は、俺は……

「兄ちゃんはホストを卒業したら何になるのかな? ワクワクしちゃう。じゃあ、お休みなさい」


 俺はショックだった。美由に指摘されるまでもなく、この仕事をいつまでも続けられるとは思っていない。しかし、心の片隅にはどうにかなるだろうと甘えがあることは否定できない。この歌舞伎町には29歳で年間1億円以上の売上を出すホストがいるが、俺がそうなるとは到底考えられない。

 美由、今日はお前に会えて良かったよ。逃げ出した俺に代わって両親を支えたお前に、俺は恥ずかしい兄だ。


 翌朝、美由は朝メシの用意をして俺を起こした。睡眠不足でぼんやりした俺に、

「兄ちゃん、目ヤニがついてイケメンぶち壊し。早く顔を洗ってご飯にしようよ」

 テーブルに懐かしい朝ごはんが並んでいた。

「お前、まさか田舎から米を担いで来たか?」

「バーカ、1階のコンビニで1キロ買ったんだよ。兄ちゃん、日本人はお米を食べなきゃダメだ。冷蔵庫は飲物ばっかりでまともな食物はない、最低だ! ご飯作ってくれる人はいないの?」

「そんな女はいないよ。おーっ、旨い! こんな旨い朝メシなんて最近は喰ってないなあ。お前は絶対に幸せになれよ」

「大丈夫だよ。それよりさ、いつまでも隠れんぼしてないでケイタイちょうだいね。親には言わないから」

「わかった、それでお前はいつ戻るんだ? 東京見物したいか?」

「うーん、したいけど兄ちゃんは仕事でしょ、無理かなあ…… ディズニーランドに行きたい!」

 こんなとき、いつも美由は上目遣いで俺を見上げて、悲しそうに俯く。この仕草に騙された俺は、おやつをよく取られた。変わってないなあ、相変わらずのしっかり者だ。

「わかった、俺は18時までに仕事に入ればいい。時間がない、急ごう!」


「兄ちゃん、手をつないでよ。子供の頃、いつも手をつないで遊びに行ったのを思い出したんだ」 

 美由と手をつないでディズニーランドを楽しんだ。

「兄ちゃんがイケメンだから、みんなが振り返ってる、面白い!」

 俺は東京に潜んで2年経ったが、ディズニーランドは初めてで面白かった。ただ、ここはやたらと金がかかるなあと思った。楽しい時間を過ごして着替える暇がないまま店に入った。


「あらあ、龍志くん、その格好は? ふーん、デートだったの? 私の同伴をドタキャンするなんて失礼すぎるわ。ちゃんと説明なさいよ」

 アパレルの輸入会社を経営している沙奈江は眉を吊り上げた。

「すみません。ちょっとアクシデントがありまして、大変申し訳ありませんでした」

「同伴は妹さんでしょ」と笑った。

 沙奈江は既にヘルプで席に着いたホストから昨夜のことを聞いていた。水割りを口に運びながら、


「いつものスーツじゃなくて、こういう革ジャンにセーターのカジュアル系もいいわね。新しいファンが出来るわよ。私の小さな会社は輸入品を中心に、メンズウェアや服飾小物をネット販売してるの。この子たちに服を提供して、デザインや着心地をアンサーしてもらっているのよ。けっこうシビアな意見で役に立つの。龍志くんはゴールドヤングのアンサーになってくれないかなあ」

「はっ? どういうことでしょうか?」

「ヘルプくんたちはYoung Group、つまりね大学生までのグループなの。32歳までがGold Young Groupで、33歳から上をMiddle Groupと分けているの。男性が服にいちばんお金を使える年代が龍志くんのグループ、つまり23~33歳なのよ。だから龍志くんのアンサーが欲しいの、モデルもやってくれると助かるわ。この子たちもやったのよ。簡単に言うとギブ&テイク。私はボーッとお酒を飲んでるだけじゃないのよ。ヘルプくんたちのお陰で売上が伸びたのよ」

 驚いた俺をYoung Groupが笑って見ていた。

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