第5話 別れと再会

 俺はマネージャーに告げた。

「シンジはマナーを知っていて遊んでいます、退屈しています。もう僕のヘルプは卒業させましょう。シンジが新天地でマナーどおりにやるかどうかはヤツに任せます。シンジをアイドル系ホストでデビューさせてください、お願いします。そして、枕営業と仲間の本指名は奪うなときっちり約束させました。ヤツの成功を応援したいと思います」

 シンジの姿は店から消えた。俺のロッカーに、濃紺に赤いラインが入ったReebokのスニーカーが置かれていた。サイズはピッタリだ。シンジ、ありがとう! 女から時計をもらったときより嬉しかった。


 その日は突然やって来た。場違いな雰囲気の若い女が現れた。

「初めてのお客さまですか、どうぞこちらへ」

 マネージャーは、本指名を送り終えたヒロキのテーブルに案内した。ヒロキはNo.1ホストだ。華やかな笑顔を作ってテーブルを訪れたヒロキの前に、女は1万円札を5枚並べて、

「あの~ これで足りますか?」

 ヒロキは少し驚いたが、視線を踊らせて不安な表情のこの客は、ホストクラブなんて初めてなんだろう、磨けば上玉になりそうだ、ホストの欲を垣間見た。

「お客さま、大丈夫ですよ、十分です。お飲物は何にいたしましょう?」

「コーラとかありますか」

 乾杯しようとしたヒロキを無視して、女はコーラのグラスを両手に抱えて一気に飲み干し、

「龍志兄ちゃんはどこですか、会わせてください!」


 立ち上がろうとした女の肩にヒロキは優しく手を乗せて、諭すように言葉を重ねた。

「龍志くんはいますが、今は仕事中です。心配はいりませんよ、僕が声を掛けますから少しお待ちください」

 ヒロキは本指名の相手をしている龍志に耳打ちして、テーブルから立たせた。

「妹さんだ、お前を心配して店に来た。後ろのテーブルだ。客は俺がさばくから、あっちへ行け。こんな内輪モメはホスト全員の足を引っ張る。早く妹さんを連れてパウダールームに消えろ、妹さんを泣かすな。それからな、俺のヘルプは高いぞ、お前のツケだ」

 ヒロキは龍志の手に5万円を握らせてニヤリと笑った。龍志は振り返って妹を見て驚いたが、客に何やら告げて頭を下げ、美由(みゆ)の手を引っ張って通路を駆け抜けた。

 お前はいいなあ、俺よりマシだ。俺には親兄弟はいない。後姿を目で追ったヒロキは呟いた。


 涙を溜めた美由をパウダールームに押し込むと、「兄ちゃん!」、龍志に抱きついて、なかなか泣き止まなかった。

「泣くな、俺は元気だ、心配するな。どうしてここがわかったんだ」

 抱きついた美由の頭をなでて落ち着かせ、涙を拭いてやった。

「泣いて帰って来た私を、いつも兄ちゃんはいい子いい子してくれた。変わってないね」

「田舎で何かあったのか? どうしたんだ?」

 美由は首を振った。

「そうじゃないの、兄ちゃんは毎月お母さんの口座に振り込んでるでしょ、それが新宿から振り込まれてるとわかったんだ。そして、ホストしてるのはネットでいっぱい検索して知ったの。でも誰にも言ってない」

「ふーん、そういうことか。よくここまで来れたな、驚いたよ、名探偵だ」

「兄ちゃんがホントに元気か確かめたかったけど、ケイタイが通じないから来たんだよ。兄ちゃんに知らせたいこともあるんだ。保育士してるけど、来年の春に結婚するの」

「どんな男だ? 大丈夫だろうな?」

「へーん、兄ちゃんみたいにイケメンじゃないけど、お父さんのように真面目な人よ。事務職だけど同じ保育園なの」

「そうか、おめでとう! 俺は何も言う資格はないな」

 マネジャーが香ばしい珈琲を運んで来た。

「あと1時間ほど仕事があるから、外に出るな、ここで待ってろ。話は後で聞く。今夜は俺の部屋に泊まれ、いいな、わかったな」

 龍志はフロアに戻った。


 一方、龍志のテーブルではデリヘル嬢の知美がカンカンに怒っていた。

「龍志くんはどこへ消えたのよ! 私をほったらかしてあんな田舎じみた子の手を引っ張って行くなんて、許せない! あの子はカノジョなの? まったく、バカにしてるわ!」

「違います、知美さん、落ち着きましょう。約束を守ってくれますか、人には喋らないでください」

「何よ、約束って?」

「あの子は龍志を2年間も捜して、やっとここを見つけた妹さんです。龍志は何も言わずに田舎を捨てたらしい。まあ、いろんな事情があるのでしょう。知美さん、今夜だけは龍志を許してください、お願いします」

 ヒロキは知美の両手を包んで、頭を下げた。ようやく落ち着いた知美は、

「そっかぁ、知らなかった。そんなの聞いた事もなかった。私だって、いきなり家を飛び出したんだ。あーあ、いろいろあるんだ、人生って。わかったわ、許してあげる。私はこう見えても商売柄口は固いのよ、さあ、飲も、飲もう、妹に会えた龍志くんにカンパーイ!」

 知美は機嫌を直した。


 知美が帰ったのを見届けて、龍志はテーブルに戻った。

「ヒロキさん、ありがとうございました」

「気にするな、どうってことないさ。俺は久しぶりにヘルプをやって楽しかったよ。お前の客はあと1人だな、しっかりやれ」

 龍志がNo.1になりたがらないことを、ヒロキは薄々勘づいていた。あいつは月末になると決して客に高い酒をねだらない。信金に勤めていた龍志は、俺の売上を頭の中で計算しているようだ。俺に遠慮してNo.2に甘んじている? 抜こうと思えば抜けるのになぜだ? 先輩の俺を立てるのか? そんな男か? まてよ、No.1になったら風当たりが強いからか?


 一方、パウダールームで兄を待つ美由のもとに、キラキラ系の若いヘルプ・ホストが交互に訪れた。化粧や髪を直す合間にチョコレートや大判焼きを差し入れし、チャラけた言葉を投げかけた。グラスを探す振りしてパウダールームを覗いた龍志は、こいつらは美由が勝手に店を出ないように見張っているようだ。ヒロキさんの指令か? 若い彼らに感謝した。仕事が終わった龍志が迎えに行くと、美由はホストたちのトークに魅入られて、楽しそうに笑っていた。

「悪かったな、ハプニングでみんなに世話をかけた。ありがとう。美由、帰るぞ」

「美由さん、また来てくださーい!」

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