決戦 二

 伊吹に脇腹を蹴られ、千早は再び地面に転がる。顔だけは何とか起こすが、痛みで身体がうまく動かせない。八岐大蛇は静観を決め込むようで、八つの頭から舌を出しながらこちらを見ている。

 両腕に力を入れ上半身を起こそうとしていると、影が近付いてきた。


「俺の両親は、金色の瞳を持って生まれた俺をそれはそれは可愛がってた」


 頭上で伊吹の声がしたかと思うと、千早の背中に痛みが走った。伊吹が千早の背中を踏みつけたのだ。


「うあ……!」


 何度も、何度も踏みつけられ、そのたびに呻き声が辺りに響く。


「ある日、祠に連れて行かれた。この祠をどうにかするのが、お前の仕事だと。俺は祠を見て逃げ出したよ。あんなの、相手にできるはずがない」

「逃げ、た?」


 千早の言葉に、伊吹は笑い声を上げた。背中から足がどけられたかと思うと、頭の近くで伊吹がしゃがみ込む。


「ああ、そうだ。逃げたんだよ。そもそも、おかしい話だ。金色の瞳を持って生まれただけで、化け物が封印された祠をどうにかしろって。あの化け物に、立ち向かえって。なんで、俺らだけが?」


 前に、伊織が言っていた。幼い頃、伊吹から何も持っていないことを羨ましがられたと。それが何を指していたのかはわからないが、おそらく金色の瞳のことではないかと伊織は推測していた。

 その推測は、当たっていたのかもしれない。

 何より、伊吹の言っていることが、まったくわからないわけでもないのだ。

 どうして金色の瞳を持って生まれてしまったのだろう。普通に生まれたかったと思ったときが幾度もあった。金色の瞳を持たない祖父や祖母、写真でしか見たことがない両親を羨ましいとさえも。

 されど、わかりはするものの、同時に怒りも込み上げてくる。

 祠の封印について千早が何もできていないことに苛立ち、暴言や暴力を振い、嘲笑ってきたのは何だったのか。自分は真っ先に逃げておいて、何故。

 身体も、心も、散々痛めつけられてきた。どれだけ痛かったか。どれだけ傷ついてきたか。

 怒りから身体が震える。千早が地面の砂を握り締めたとき、伊吹がぽつりと呟いた。


「千早、お前も逃げればよかったんだ。何であんなことされてんのに、逃げなかったんだよ」

「え……」


 あんなこととは、何だ。必死に頭を働かせる。

 思いつくのは、一つしかない。まさか、と千早は息を呑んだ。

 伊吹からの暴言や暴力は、千早が祠の封印を諦めるように仕向けるためだったのではないかと思ったのだ。

 砂を握っていた手が緩み、中からサラサラと溢れていく。その感覚に呆然としかけていた意識がはっきりし、手の中にある残りの砂を握り締めた。

 暴言や暴力は到底許されることではない。許すことはできない。

 けれど、伊吹の真意を知った今、彼にどのような感情を抱けばいいのかわからなくなってしまった。


「俺の親もお前にうるさかっただろ。あいつら、俺にもうるさかったんだ。千早よりも早く祠を何とかしろって、毎日毎日飽きずにさ。自分達は何もしない、何もできないくせに、偉そうに……!」

「それで、食べたんですか。そんな、理由で」


 伊吹は薄らと笑みを浮かべ、千早に向かって手を差し出してきた。


「お前ならわかるだろ? 俺の気持ちが。俺から八岐大蛇様に言ってやるからお前もこっちに来いよ。来るべきだ。そしてスサノオの血を継ぐ者を絶やそう。俺達のような、悲しい存在をなくすために」


 伊織を鬼にしたのは、さすがに手をかけることができず強引に引き込むしかなかったというところだろうか。

 差し出された手に、千早は砂を握っていた手を伸ばす。伊吹の手に乗せると見せかけ、触れる寸前で手の中の砂を顔面に投げつけた。


「おい! 千早、お前何しやがった!」


 目に砂が入り、伊吹が口汚く怒鳴る。くそ、くそと目を擦っている隙に千早は立ち上がり、八岐大蛇に向けて天羽々斬を構えた。


「伊吹さんの気持ちはわかります。でも、その考えはわからない。わかりたくもない。だから、そっちには行きません」

「何でわからないんだよ! 千早だって嫌だっただろ、蔑まされて、嘲笑われて!」

「嫌でしたよ。嫌でしたけど……悲しい存在だと思ったことはありません」


 八つの頭が一斉に襲いかかってきた。千早は前に飛び出して行き、動きを見ながら紙一重で躱していく。少しでも攻撃をくらってしまえば、大怪我は間違いないだろう。絡まりでもしてくればいいのだが、残念なことにそこはしっかりと統率が取れているようだ。

 ならば、こちらからそのように仕向けるしかない。


 ──それには、お酒がいる。


 玉藻が投げ入れてからが勝負。今はできることをするだけだ。

 左端の頭に狙いを定めた。迫ってきた別の頭の上に飛び乗ると、長い首を滑り降り、身体部分に降り立つ。すると、左端の頭が千早を目掛け、大きく口を開きながら突っ込んできた。

 喰われる寸前に身体から飛び降りる。左端の頭はその勢いを止めることができずに自身の身体に噛み付いていた。すぐさま別の頭が千早に迫るが、今度は天羽々斬に力を込めて斬撃を浴びさせた。

 怯んだところに他の頭を使って飛び移っていき、大きく開いている口元に向かって再び斬撃を放つ。斬撃はその頭を二枚におろすかのように、長い首を切り裂いていく。


≪やるな、千早≫

「でも、ちょっと、息が」


 巨躯に対し、小さな千早。攻撃を躱すにも走り回り、こちらから攻撃するためにも走り回らなければならない。


 ──これじゃ、わたしの消耗が半端ない。


 玉藻に託した酒はいつ出番が来るのか。とにかく、少しでも息を整えなければと距離を取ろうとしたが、いろはが叫んだ。


≪千早! 避けろ!≫


 いつの間に距離を詰めていたのか。気が付いたのが遅く、長い首が千早の身体に巻き付いていく。身動きが取れなくなった千早は持ち上げられ、七つの頭が舌なめずりをしながら囲んだ。

 舌打ちをしたくなる。先程切り裂いた頭は元通りになっていた。自分からの攻撃なら回復しないのではと思ったが、身体についた嚙み傷も再生している。

 やはり、攻撃は心臓にのみに絞り、八つの頭は動きを止めるほかない。そうは思うものの、身動きが取れない今、どうしようもできない。


「ドノヨウニシテ、クロウテヤロウカ」

「アタマカラ?」

「ヨクウゴク、アシカラ?」


 どこから喰らうか、口々に言い始める。生臭い息が千早の周りに充満し、もう駄目なのかと唇を噛んだ──そのときだった。パリン、と何かが割れる音がした。

 その瞬間、ふわりと香るにおい。玉藻が酒を投げたのだとすぐにわかった。

 七つの頭が千早から目を逸らし、うねうねと動き出す。パリン、パリンと何度も割れる音が響く。一体、どこに向かって投げているのだろうか。


「燃えてまえ!」


 玉藻の声が聞こえたかと思うと、八岐大蛇が青い炎に包まれた。

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