決戦 一

 空は雲一つない晴天。燦々と降り注ぐ陽の光に汗が流れるほど。

 だが、伊吹山の麓に着いた瞬間から天気がおかしくなった。寒いはずがないのに足元から身体が冷えていく。来た道を振り返れば晴れているが、伊吹山付近は灰色の厚い雲が太陽の光を遮っている。祠に封印されているときも太陽の光に弱かった。今もそれは変わらないようだ。


「ここだけ、別世界みたいですね」

「それだけ八岐大蛇の力が強大ということだ。気を引き締めていくぞ」

「じゃあ、作戦通りボクは後から入る。気ぃつけてな」


 三人揃って入れば、気配でわかってしまう。そこで、玉藻だけは狐の姿に変わってもらい、後から入ってきてもらうことにした。山に迷い込んだ狐として。

 いろはと千早は顔を見合わせ頷いたあと、伊吹山に足を踏み入れた。

 麓よりも空気が冷たく、重たい。挙動の一つ一つを監視されているように視線を感じる。まるで、眠っているときに見た夢のようだ。

 辺りに生えている草木は夏だと言うのに元気がなく、木々に至ってはすでに冬を迎えたかのように葉が地面に落ちている。進めば進むほど木々は痩せ細っていき、その姿により不気味さが増していた。

 二人は黙って歩き続ける。闇雲に歩き続けているわけではない。八岐大蛇の気配が「こちらだ」と案内している。

 近付いてきているからだろうか。空気がより冷たくなり、息を吸うたびに肺が痛む。胸元部分の服を握っていると、いろはがその手に触れてきた。二人の足が自然と止まる。


「呑み込まれつつある。しっかりと意識を持て。私がいる。……玉藻もいる。千早一人ではない」

「はい……」


 周りの空気に完全に呑まれていた。千早は空いている手でいろはの手に触れ、目を瞑る。このあたたかさが、恐怖に呑まれかけていた千早の身体を包んでいくような、そんな気分になった。

 ゆっくりと目を開け、いろはを見る。


「ありがとうございます」

「礼などいい。支え合うことは当然だ……と書物で学んだ」


 いつも通りの返答に笑ってしまう。

 そのとき、肺が痛まないことに気が付いた。痛みから浅くなっていた呼吸も元に戻っている。

 千早が落ち着いたことを確認したいろはの手が離れた。少し寂しく感じたが、もう大丈夫だ。千早も胸元からも手を離し、前を向く。行きましょう、と千早はいろはに声をかけ、二人は再び歩き出した。

 何となく、気配でわかる。八岐大蛇が近いと。

 そして、伊吹も。

 いろはと千早の手が当たり、どちらからともなく指が絡まる。お互いのぬくもりを感じながら、二人は八岐大蛇と伊吹が待ち受ける場所へと向かった。



 * * *



 そこは、山の中だと言うのに空漠たる平原が拡がっていた。

 にもかかわらず、辺りは一段と暗い。頭上を見上げると、ここが一番分厚い雲に覆われているようだ。

 巨躯がごろりと寝そべり、うねうねと八つの頭だけを器用に動かす。その八つの頭はいろはと千早の元まで近付き、ニチャリと音を立てながら大きく裂けた口を開いた。


「キタ、ホントウニ、キタ。ハハ、ハハハハハハ!」


 八つの頭がおぞましい声で一斉に笑い出す。その声量は耳を塞ぎたくなるほど。

 眉間に皺を寄せていると、千早の目の前にあった頭がすぐそこまで近付く。大きな舌をチロチロと動かし、ベロリと頬を舐めてきた。

 その行動のとおり、いろはと千早を舐めているのだ。

 いろはの手をぎゅっと強く握ったあと、千早は小さく息を吸った。


「天羽々斬」


 姿が刀剣へと変わる前から力を込め、変わった瞬間に八岐大蛇へ斬撃を飛ばす。

 予備動作なしの攻撃。千早の頬を舐めた舌が切り落とされ、ぼとりと音を立てて地面に落ちた。

 ぬるりと舌はすぐに再生するものの、切り落とされた頭は苛立ちから絶叫する。そんな中、千早は袖で舐められた頬を拭っていた。


「舐めないでいただけますか。汚いんですよ」


 不思議なものだ。最初、八岐大蛇を見たときはその恐ろしさから動くことができなかったのに、それが今こうして戦えるようになったのだから。

 一人ではないということが、どれだけ心強いことか。

 八つの頭が襲い掛かってくる。天羽々斬を構え攻撃に備えるが、千早はすぐに身体の向きを変えた。

 刹那、青銅色の剣が振り下ろされ、天羽々斬の刀身に力を込めて受け止める。

 その力の強さに踏ん張ることができず、身体が押されて八岐大蛇から引き離された。


「やっと来たか、千早!」

「……っ、伊吹さん」


 何とか押し返し、伊吹と距離を取る。ちらりと刀身を見ると、欠けてはいない。力を込めながら受け止めたのは正解だったようだ。

 とは言え、何回も攻撃を受け止めればいずれは欠けていく。注意しなければ。


「八岐大蛇様、俺にやらせてくださいよ。せっかくこの草薙剣をいただいたんですか、ら!」


 八岐大蛇の返事を待たずに、草薙剣を振り上げながら伊吹が走ってくる。

 やはり、と千早は確信を得た。天羽々斬を構えることもせず、伊吹に向かって走る。馬鹿な奴と草薙剣が振り下ろされるも、その向きを確認しながら身体を捻って避けた。攻撃が大振りだと避けるのは容易い。すぐに体勢を整え、千早は柄の頭の部分で伊吹のこめかみ部分を強打した。

 呻き声を出し、フラフラと下がる伊吹に追い打ちをかけるように、今度は後頭部に柄を振り下ろす。


「こ、の……!」


 伊吹は地面に倒れ、起き上がろうとするものの、こめかみと後頭部への攻撃により起き上がれない状態だ。


≪おお、やるな、千早≫

「わたし、運動神経だけはいいんですよ!」


 草薙剣で天羽々斬の刀身が欠けたことにより、平常心を失ってしまった。何より、刀剣で戦うことに気を取られていた。

 されど、落ち着いて考えれば戦う方法は他にもある。刀剣を使わずとも戦う方法が。


 ──これが、わたしなりの、いろはさんを傷つかせないためのやり方。


 昔から、薄々と気はついていた。

 伊吹よりも、千早のほうが運動神経がいいと。学力に差があったため、そこばかりをネチネチと責められ、運動の善し悪しに目を向けられることはなかったが。

 冷静になれば、戦える。伊吹に勝てる。

 倒れた伊吹の元へ近付き、草薙剣を奪った。返せと喚かれるが、そのまま勢いよく遠くへ放り投げる。

 誰が返すものか。あれがあるから、いろはが傷つく。あれがなければ、いろはは傷つかない。


「お前なあ!」


 舐めるなよ、と伊吹は身体を震わせた。メキメキと額から二本の赤黒い角が生え、瞳は血走るように更に赤く染まる。


「ガァァァアアア!」


 伊吹が右腕を横に振り、その圧が千早に襲いかかる。耐えきれず吹っ飛んでいき、地面に身体を打ち付け、転がった。

 鬼の姿となり、本気を出したというところかもしれない。千早は立ち上がり、天羽々斬を構える。

 草薙剣は遠くへ放り投げたものの、千早が倒れた隙に取りに行ってしまうかもしれない。それだけは何としてでも避けたいところだ。


「俺がせっかく手加減してやってたのによぉ……ふざけんなよ」

「もう、以前のわたしじゃない。最初はあなたの姿に恐怖を抱いてしまいましたが……もう恐れない」


 背後に気配を感じ、振り向きざまにその場を離れると、八岐大蛇の頭が襲いかかってきた。その攻撃を皮切りに、八本もの頭がそれぞれ攻撃を仕掛けてくる。頭を足場にして飛び、別の頭に斬りかかろうとするも、そこに伊吹が割り込んできた。


「俺がやるって言ったじゃないですか。まあ、いいけど」


 攻撃を止め、伊吹の足蹴りを天羽々斬で受け止める。空中で受け止めたため、蹴りの勢いは殺すことができず、千早は飛ばされてしまった。

 背中から地面に落ち、視界がチカチカと白飛びする。息ができず、ひゅ、と喉から音がした。


≪千早、しっかりしろ!≫


 飛びそうになる意識を、いろはの声で何とか繋ぐ。

 伊吹の力が増している。鬼になったこともあるだろうが、初めてその姿を現したときよりも強い。両親の血肉を取り込んだ影響か。


「ど……して」


 声を絞り出しながら、千早は立ち上がる。


「どう、して、ご両親を取り込んで、まで」

「お前、子どもが全員親のことを好きだと思ってんのか? ああ、親がいないからわからないか」


 伊吹は千早の前に立ち、見下ろした。その赤い瞳は冷たく、憎悪に満ちている。


「俺はあいつらが昔から大嫌いだった。だから、喰ってやった。最期に俺の役に立たせてやったんだよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る