決戦当日

 ──翌日。

 緊張から眠れないのではと思っていたが、不思議とよく眠れた。よく眠れるようにと祖母が作ってくれたホットミルクのおかげか、それとも覚悟を決めたからか。

 伸びを一つし、千早は隣を見た。

 普段なら千早が起きるまで待ってくれているはずのいろはが、布団からいなくなっている。

 いつからいないのか。そっとシーツに触れてみるが、ぬくもりは感じない。いなくなってから随分と時間が経っているようだ。

 昨夜、いろはの様子がおかしいことには気が付いていた。何かを言おうとして、口を噤んだことも。部屋に戻れば二人きりになるため、そのときに話してくれるかと思っていたが、彼は何も話さずに眠ってしまった。

 話したくないことなのかもしれない。一人で考えたいことなのかもしれない。千早自身も、覚悟は一人で決めようと考えていたこともあり、特に訊くことはしなかった。

 そして、その覚悟については──。


「……わたしは、八岐大蛇を倒す」


 全力で戦うと約束したからには、迷っていてはならない。

 胸が引き裂かれてしまうのではないかと思うほど痛むが、その痛みからは目を逸らす。目を向けていては、そちらに引っ張られてしまうからだ。


「準備しないと」


 ぱん、と顔を両手で挟み、気合いを入れた。



 * * *



 変に緊張させてはならないと考慮してくれたのだろう。いつもの朝食、いつもの会話に胸があたたかくなる。

 けれど、ここにもいろはがいない。落ち着きなく食事をしていると、気が付いた祖父が話しかけてきた。


「いろはさんと玉藻さんは、外で酒の確認をしている」

「え、そう、なんだ」


 祖父にもわかるほど態度に出ていたのか。恥ずかしさが込み上げてくる。残っている朝食を急いで完食し、ごちそうさま、と食器を台所へ持っていった。片付けはするからと言ってくれた祖母の言葉に甘え、千早は洗面所へと向かう。

 歯を磨き、鏡を見ながら身だしなみを整える。今日の服装は、ライトグレーのサマーパーカーに白のスカート。黒の七分のレギンスとくるぶしソックスを履き、動きやすさを重視している。

 寝癖もない。準備は万端だ。洗面所を出て、仏壇がある部屋へ。

 仏壇の前に座ると、一礼してろうそくに火を灯す。線香を近づけ、火がついたことを確認すると手で軽く扇いでその火を消した。香炉に線香を立てりん棒を手に取り、りんの縁を叩く。澄んだ音が鳴り響く中、両手を合わせ、目を瞑った。

 心の中で、父と母を呼ぶ。

 今日が、八岐大蛇との決戦の日であることを伝え、どうか空から見守っていてほしいと願った。

 無事この家に、いろはと玉藻と帰ってこられるように。

 目を開けると、ゆらゆらと細い煙が線香から立ちのぼっていた。千早の願いを乗せ、空へと向かうかのように。

 よし、と千早は立ち上がり、部屋を出た。軋む廊下を歩き、玄関で運動靴を履く。ガラ、と音を立てて木目調の扉を開けると、家のすぐ傍でいろはと玉藻が酒が入った瓶を地面に並べて話し合っていた。

 今日、やっといろはの姿を目にすることができたからだろうか。どこかほっとしてしまう。家から出てきた千早に気が付いたのか、いろはがこちらに視線を向けた。


「おはよう、千早」

「おはようございます、いろはさん。玉藻さん」

「おはようさん。何本持っていくかいろはと話し合っててん」


 最低でも頭の数だけはいる。つまり、八本。いろはと玉藻で話し合い、その倍は持っていくことにしたそうだ。


「密封されてるから、においはバレへん。あとは、ボクが気配を消してうまいこと投げるだけやな」

「頼りにしてます、玉藻さん」

「任しといて」


 玉藻はしゃがみ込み、大きめの鞄二つに酒を詰め込んでいく。手伝おうと千早もすぐ隣にしゃがみ込み酒に手を伸ばすと、隣にいろはがやってきた。いろはも酒を手に取り、鞄に詰め込んでいく。

 三人で黙々と酒を鞄に詰め込んでいると、いろはは「千早」と名を呼んだ。


「前に言った私の本心を、覚えているか」

「覚えてますよ、忘れるはずがない」


 千早と一緒に過ごしたい。同じ時を生きたいと言ったものだ。

 人間と刀剣であれど、想いが通じ合うことはできるのだと嬉しかった。この先も絶対に忘れはしない。


「覚悟はとうにできている。八岐大蛇を退治できるのであれば、折れても構わないという気持ちも嘘ではない。だが、本心が顔を出すのだ。千早と過ごす日常は本当にもういいのかと」

「え……?」

「情けないだろう。決戦の日を迎えたらこうだ。一分でも一秒でも、少しでも長く共に過ごしたいがために、私は」


 そこでいろはは口を噤み、黙ってしまった。

 以前、八岐大蛇を退治したあと、いろははどうなるのかと訊いたことがある。それについてはいろはもわからないと言っていた。柄に戻ってしまうのか、それとも、これまでどおり過ごせるのか。

 何となくだが、今のいろはは覚悟を決める前の千早と似ているように思えた。

 千早の場合は、本心と向き合い、覚悟を決めることに躊躇していた。

 いろはの場合は、本心と向き合うことで、とうに決めたはずの覚悟が揺らいでいる。

 懸念すべき点は、すべてを終えたあと、いろはがどうなるのかがわかっていないということ。ならば、余計に覚悟が揺らいでも仕方のないことなのかもしれない。

 だとしてもだ。ここで千早が揺らいではならない。

 いろはを奮い立たせることができるのは、千早しかいないのだ。


「八岐大蛇を倒せるのは、わたし達だけですよ」


 胸がズキズキと痛む。千早の本心が「それでいいのか」と訴えかけている。それには目を瞑り、千早は言葉を続けた。


「倒したあとは、三人揃ってこの家に帰ってくるんです。おじいちゃんとおばあちゃんに、ただいまって言って、みんなでご飯を食べるんです。だから」


 いろはに手を伸ばし、微笑みかける。


「一緒に、戦ってください」


 千早の想いが通じたのか、いろはは小さく息を吐き出すと差し出していた手を握った。


「すまない、千早。そうだな、一緒に戦おう。すべてを終わらせ、この家に帰ってこよう」

「やっと話終わったみたいやな。なら、いろははシャキッとさせるためにも顔洗ってこい」


 これまで黙っていた玉藻がやれやれと言った様子でいろはを無理矢理立ち上がらせ、その背中を押す。玄関に入れると、ピシャリと扉を閉めてしまった。すぐに戻ってこないあたり、本当に顔を洗いに行ったのだろう。

 ふう、と溜息を吐くと、玉藻は後ろにいる千早を振り返った。


「よう頑張ったな」


 お疲れさん、と笑みを浮かべる玉藻に、千早の目に涙が滲んだ。


「いろはもずるいよな、こんな日にさ。……けど、ほんまに千早チャンのことが好きなんは伝わってきたよ」


 ポロポロと涙を溢すと、玉藻がよしよしと言いながら頭を撫でてくれた。その手つきが優しく、これまで抱えてきた想いが言葉となって出てくる。


「わたしだって、いろはさんにいなくなってほしくないんです。ずっと一緒にいたい。でも、八岐大蛇は退治しなくちゃいけないから、それで、それ、で……!」

「そうやな。ほんま、よう頑張ったよ。……三人で、この家に帰ってこよな」


 玉藻の言葉に、千早は何度も頷いた。



 * * *



「じゃあ、気を付けて行ってこい」

「ご飯、作って待ってるからね」


 祖父と祖母に見送られ、千早、いろは、玉藻の三人は伊吹山へと向かうために歩き出した。

 家から伊吹山まではそう遠くはない。一歩、また一歩と近付くたびに緊張と恐怖が増していくが、千早にはいろはがいる。玉藻がいる。


 ──絶対に、三人で帰る。


 その決意を胸に、千早は俯くことなく前を向いて歩いた。

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