33.
◇三人称視点◇
事後処理は西部地方騎士団が取り仕切る。ベンノの魔具らしきお香の束は村役場の村長室で発見され、回収された。それは鑑定された後に、騎士団の管理する国庫へ保管される。
「しかしこれ、どういうことだ? 報告書にはなんて書く? そのまま書いたら巫山戯るなって怒られるぞ」
数百メートルに渡り、抉られた大地を目の前に、その新人隊員は苦悩の表情で頭を掻いた。
◇レイフ視点◇
予約した馬車がこちらに向かってくるのが見える。そろそろ出発の時間が近づいている。
「いつでも帰って来い。歓迎する」
イーサク達が見送りに来てくれた。俺達は互いに痛々しい包帯を巻いたまま握手を交わす。
「聖堂の遺体は俺達が責任を持って、明日埋葬する。……ありがとう。助けてくれて。お前さん達からしたら、この村の人間は、裏切った敵側だろうに」
「そうね。助けるつもりなんてなかったわ」
ライラは横を向いたまま平然と言ってのける。
……でも俺は、それが本心で無いことを知っている。
彼女はただ、褒められて照れくさいだけなのだ。
「おい。……まあ、イーサク達だけでも無事で良かったよ。……間に合って良かった」
少ししんみりと、それでもその声には安穏が宿る。
「レイフさんは優しいんです」
するとアリシアは前に出ていたイーサクの横に並ぶ。
「レイフさん」
アリシアは口元に手の輪を作り、耳打ちしようとするポーズ。少し腰を屈め、耳を近づける。
「ふふ」
アリシアは微笑みながら、俺のネクタイを掴み引き寄せ唇を重ねる。
「隙だらけですね、レイフさん」
後ろには修羅の悪寒。前方には父の静かな激昂。
「レイフ。宝飾技師を継ぐ気はあるのか?」
魔王と化した父の確認に、首をブンブンと横に振り否定する。
「今度王都へ遊びに行ったら、この前のお礼の続きしてあげます」
アリシアは今度こそ耳打ちし、嬉しそうに微笑みながら一歩下がり、そして魔王を制止する。俺も後ろの修羅へ謝りながら必死に宥める。
「でも、これからの生活は大丈夫か?」
何とか話を転換する。
「んな事子供が気にすんな! お前さんたちが見つけてくれた新しい鉱脈がある。こんなの百年掘っても採り尽くせないさ! ……まあその間に、エレオナイトのみに頼らない新しい産業を生み出さなきゃいけねーな。政治の事はベンノの爺さんに任せっきりだったが、これからは村人全員が責任を持つべきだ」
豪快な破顔の裏には、微かな不安と確かな決意が滲む。村の経営や財務等の全てを取り仕切っていた超人は、もういない。
「そんなの難しい話じゃないわ」
浅く溜息を吐いた後、ライラは続ける。
「マリミア湖を始めとした豊かな自然、源泉かけ流しで泉質の高い温泉。王都からのアクセスも良く、インフラも整備されている。これらのアセットを眠らせておくなんて有り得ないわ。観光業に力を入れるべきよ。そして何より名産であるカノリアの銀河。これはマーケティングが不足しているわ。戦う市場は展開すべきよ。騎士団向けだけではなく、恋人に贈る指輪やアクセサリーを用意して、恋が成就するおまじない、なんてキャッチフレーズをセット売りすれば良い。そして時代が移ろうに連れ、そのマーケティングはいずれ風習へと昇華するわ」
「なるほど! よし! やってみるよ」
感心したイーサクは朗らかな笑顔。しかし。
「
ライラは何か含みを有する微笑みで、しかし柔らかく語る。
「そ、それは……」
イーサクは一転窮地に立たされたような表情。
「こんなアイデアなんて誰でも思いつく。それだけじゃ一ヒルドルにもならないわ。そこから先に意味があるのでしょう? 調査して、分析して、計画して、実行する。そのプロジェクトマネジメント能力に社会的価値があるんじゃないかしら?」
「それは、……そうだな」
「事業を起こすということは、伴うリスクを覚悟する必要が有るわ。失敗すればエレオナイトで得たキャッシュを全て吹き飛ばす可能性だってあるのよ? 貴方はこれから百戦錬磨の商人が跋扈するこの商売の世界で、果たして戦っていけるの? 優秀なベンノとやらはもういない。事業に失敗すれば、また金の無いカノリア村へ巻戻りね。その責任は村長である貴方の双肩に掛かっているのよ」
「うぐ……」
ライラは愉悦を我慢して、沈黙を嫌に溜める。
「でも大丈夫。私が全てを解決してあげましょう」
一転、女神と見紛う穏やかな微笑み。
「私は騎士一万の同期の座学主席、出自も貴族で領地運営の経験もあるわ」
詭弁だ。
ペーパースコアが商人の才と実力をそのまま表すものでは無いだろうに。しかもレーヴェンアドレール家は領地経営では無く、騎士として成り上がった沿革。本当はずぶの素人だろう。
「レーヴェンアドレール家の嫡子たるこの私が、耕された脳味噌を提供してあげる」
いい加減俺でも分かるぞ。エレオナイトの原石を独占叶わずとも、これから莫大な富を生むであろうこの村の商売に一枚噛ませろという魂胆だろう。まあ、正式な手順を踏むならば、再現性は有るのだろうな。
「実務の全てを肩代わりは出来ないけれど、私ならこの村の商業を正しい方向へ導けるわ」
組織経営をブラックボックス化し、ライラがいなければ運営できない状況を生み出そうとしている。要はベンノのポジションを丸々貰い受け、かつ自身は裏に回り、責任は次の村長であるイーサクに請け負わせる。
……この女、悪魔だ。
エレオナイトが大量に発見された二週間前から考えていたのだろうか。
「あら? そろそろ馬車が到着しそうね」
しかも交渉を仕掛けるタイミングも絶妙だ。タイムリミットは目の前であり即決が強要される。今引き止めなければ契約は成されないという状況。イーサクが他者と相談する機会を奪い、考える時間も与えない。更に口頭であっても売買契約は成立するが、この公衆の面前で仕掛ける事で、新しい村長という信用が命の立場を狙い、その言質を反故にはさせない誘導。今思いついたのでは無く、間違い無くこの二週間、機を伺っていたのだろう。
……あれ?
俺とライラのバディの契約は、誘導されたものでは無いよな?
魅了の魔法ではないよな?
ちゃんと、俺の意思だよな?
……。
……ふぅ。
考えるのはよそう。
考えてはいけない気がする。
そして遂に、俺達を王都へ運ぶ馬車が到着する。
「私は貴方の味方よ。イーサク」
最後のチャンス。この紫紺の髪を靡かせる女神には、掴める後ろ髪は存在しない。
「宜しくお願いします。先生」
イーサクは圧倒されつつも頭を垂れ、示された希望へ遂に食い付く。
「ふふ。ここから先はコンサルティングフィーが必要ね。まずは書面契約から始めましょう。新しい村長さん」
そして最後に証憑を残し法的拘束力を担保する。計算された恐ろしい話術と戦略。折角のその麗しい二つの菫色は、今や黄金に輝くヒルドルマークにしか映らない。
ただまあ、ライラの叡智とこのカリスマがあれば、この弁舌を唯の詐欺では無く、確固たる現実へ組み上げてしまうのだろう。きっとこの契約はレーヴェンアドレール家にも、カノリア村にも、適切な利益を生み出す種子となる。
何故だかそんな爽やかな未来の予感が、酸素となって肺を巡る。
……改めて本当に、色んな意味で、ライラが味方で良かった。
「まあ、それらは少々時間を要するわ。当面の生活は自分達で何とかすることね」
ライラは到着した馬車の扉を開けて、俺の介助をしてくれる。そこまでしてくれなくても、もう大丈夫なのだが。
「心配すんな。俺は一流の宝飾加工技師だぞ。生活だって大丈夫だ」
「はは。そうだな」
思わず苦笑が零れる。自称ほど信憑性の薄いものは無い。
「世話になった。じゃあな!」
俺は馬車の入口に足を掛ける。
「レイフさん! また会いに行きますね!」
吹き抜けるのは春の風が、優しく髪を掻き上げる。その音色はまるで祝福を歌うエンドロール。足元を見やれば、白く小さな蝶々が勿忘草の花へ留まり、ようやくその羽を休めながら甘い蜜に有り付いている。
アリシアは手を振り見送ってくれる。隣ではライラがシッシと拒否する。有り余る程の紆余曲折の末、遂にこの長かった三週間も、この春の終わりと共に幸せな大円団を告げようとしている。
その刹那。
「信じてないな!? 英雄グスタフの聖騎士紋章はこの俺が作ったんだぞ!」
少し拗ねたように、しかし自慢気に話すイーサクを他所に、血の気が引いていく。身体が凍る。耳を疑う。鼓動が速くなり、その劈く音で世界の音は掻き消される。
……そしてようやく理解が追いつく。
……は?
気付けば俺は松葉杖すら投げ捨て、激痛を抱えながら、走りだそうとした馬車より飛び降りる。
「……今……なんて言った?」
心臓が騒がしい。
一転、全身の血液が沸騰する。
握る拳は激痛が。それでもなお、ギリギリと音を立てて振り解けない。
祝福の刻印を、その銘を知る者は現国王と聖騎士当人の二人のみ、……ではない。
違う。
違う違う違う。
……そうじゃない。
どれほど固く口を閉ざそうとも、祝福の銘をその手で刻印し、聖騎士紋章へ命を吹き込む、三人目の宝飾技師がいたはずだ。
……何故、そんなことに気付かなかったのか。
「な、何だ?」
意図を読めず狼狽えるイーサク。
「今何て言った」
「だーかーらー! 俺は高名な! ほぼ世界一の宝飾技師だっての!」
「そ……こじゃねーだろ!」
自身の制御を失いイーサクの胸倉を掴んで迫る。全身に激痛。それでもなお、驚くイーサクの瞳には、鬼気に満ちる自身が映る。
「……団長は、ここで聖騎士紋章を作ったのか?」
「そうだ。英雄グスタフは南部の生まれでな。ここに近い」
「団長の……。聖騎士グスタフの祝福の刻印は何だ!?」
イーサクは固まる。少しの沈黙。
「お願いだ!」
懇願。しかしイーサクは口を開かない。
「王家と騎士団、三者で秘密保持契約を結んでいる。口外したことが漏洩すれば命を奪われる」
「お願いだ!!」
「いや、契約なんぞどうでもいい。……それを知って何になる?」
「……言えない。それは」
英雄が
「何故だ? レイフ。お前は、……英雄の祝福を穢すのか?」
「…………」
答えられない。そもそも英雄の祝福の銘が
いや、英雄ならば、最も可能性は低いのだろう。
それでも、すぐ目の前に真実が待つ、そんな予感が全身を駆け巡る。
「言わないならアリシアを殺すわ」
追いかけたライラは平坦な、しかし鋭い刃を伴う声で加勢する。
「お父さん……」
アリシアは父の裾を掴み答えを促す。そしてイーサクは盛大な溜息。
「……本来であれば口が裂けても言わない。これは聖騎士紋章の技師として選ばれた者の矜持だ」
高明な宝飾技師は葛藤に顔を歪める。そしてライラの言外の意図を汲んだ男は、もう一度嘆息。
「だが娘を人質に取られれば仕方無い。ああ、仕方が無い。……いや、違う。何より、今回の礼だ。……誰にも口外してくれるなよ」
その目には諦観が、しかし声には信頼が滲んでいた。
「英雄グスタフの祝福の刻印は――」
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