31.

 ◇レイフ視点◇


「騎士様のご帰還だ!」

 村へ戻った二人を出迎えたのは、イーサクを初めとした村の人々。十六人のベンノの部下が、今まさに西武地方騎士団に連行されようとしている。遂に村は立ち上がり、騎士団へ通報したのだろう。騎士団は本件の黒幕では無かったという事実に、ホッと胸を撫で下ろす。

「助かったよ、レイフ。こちらは?」

「俺のバディのライラだ。ライラ、こちらはアリシアの父のイーサク」

「よろしく。貴方、立ってて平気なの?」

 イーサクは身体中に取り替えられた清潔な包帯を巻いている。全身の切り傷を癒すためだろうが、随分と壮健な表情だ。

「俺は昔から身体だけは強くてな。帰ってきてベンノの部下をふんじばったのも、この俺だ。最初は皆、恐れていても、俺が勝勢と見るや手を貸してくれたよ」

 なんとも豪胆な。

「レイフ、お前も酷い怪我だ。頭部は見た目ほど深い傷ではなさそうだが、手当をした方がいい」

 そしてイーサクはアリシアを呼ぶ。

「レイフさん!」

 俺の胸に飛び込もうとするアリシアをライラは抑える。

「彼、今胴体もやられているの。骨にヒビが入っているかもしれないわ。看病は私がやります。アリシアは休んでていいのよ」

「いえ! ライラさんも休んだ方がいいです! すっっっごく汗臭いですよ!」

 ライラは驚き、恥ずかしそうな目で俺を見つめる。

「いや、そんなことないよ」

「……いいわ。レイフはアリシアに手当してもらいなさい。私はお風呂に入って着替えてくるから。……フラフラしちゃ駄目よ」

 ライラは念押しし、支えていた俺の左肩をアリシアへ引き渡す。そしてそのまま西武地方騎士団の分隊長らしき人物へ近づき、何やら調整を始めた。そこら辺の子細は任せよう。

「レイフさん、すぐそこに応急のベッドを用意しています。少し歩けますか?」

「大丈夫だよ。一人で歩ける」

「駄目です! それで転んだらどうするんですか!」

 そう言ってアリシアは密着し、俺を支えてくれる。

「アリシア、騎士様を頼んだぞ」

 そう言ってイーサクは村の連中と打ち合わせに向かう。皆やることが山積みだ。

「レイフさん、父を、父を助けて下さりありがとうございます」

 アリシアは弱々しい声でお礼を言う。どうやら緊張の糸が切れたようだ。

「あの人、駄目だったみたいねぇ」

 道すがら村人たちの話し声が聞こえる。

 ……まさか。

「アリシア、駄目だったと言うのは?」

「レイフさん達が助けて下さった内の一人が、精神的に持たなくて、先程、息を引き取られたみたいです」

 精神。

 ……そうか。肉体的には持ったとしても、あの空間に二ヶ月。普通なら耐えられない。むしろ壮健なイーサクの方が異常なくらいなのだろう。

「俺たちがもっと早く助けられれば」

「違います! レイフさんたちはベストを尽くして下さいました! レイフさんがいなかったら、父だって……」

「うん。……そうだね。励ましてくれてありがとう」

「いえ! ……私を赦して、励まして下さったのはレイフさんです」

 そして気が付くと、アリシアの屋敷に到着する。

 あれ?

 外に簡易ベッドがあると言う話だったが?

「私の家の方が器材も揃っていますので」

 俺の疑問を察したのか、訊いてもいない説明を始める。そして奥の、先日まで泊まっていた客間へ、怪我人をゆっくり下す。

「着きましたよ。横になって下さい」

 そしてアリシアは清潔な布とお湯で手当を始める。随分と手際が良い。

「慣れているのか?」

「この村は皆傷だらけですから。看病をしているうちに」

 そして頭部へ包帯を丁寧に巻き、上半身の手当を終えると、アリシアはスラックスを脱がそうとする。

「ちょっと待ってくれ! そっちは大丈夫だ! 怪我していない!」

「駄目です! 今はアドレナリンが出て、痛みに気付いていないだけかもしれません。それに小さな傷でも見逃すと感染症の危険があるんですよ!」

「……ええ……はい」

 俺は言われるがまま、その手に委ねる。そしてアリシアは清潔な布で下半身を拭き始める。

「……いつもこんな事を?」

「何言ってるんですか? 私は嫁入り前の乙女ですよ。今が初めてです」

「え!? 待って! 話が違う」

「今包帯を巻いているので暴れないで下さい!」

 しかし同い年の女性に自身の性器を見られるというのは死ぬ程恥ずかしい。いや、これは医療行為なのだからそんな邪な考えは失礼だ。そういった理性とは反対に、自身のもう一人の人格を宿すそれは、健やかにイキリ立つ。

「……レイフさん? なんですかこれは?」

 アリシアは顔を真っ赤にして、しかしそれを凝視しながら尋ねる。

「ごめん! もう止めよう」

 起きあがろうとした瞬間、左脇腹へ激痛が走る。身体を動かせない。

「……レイフさんも男の子ですもんね。生物は自身の命が危機に晒された時、その遺伝子を残そうという意志が強く働くと聞いたことがあります」

 アリシアはそして天突くそれを、真っ赤な顔のまま綺麗にゆっくり布で拭き始める。俺は邪な考えを必死に振り払う。

「……助けて下さったお礼もしなくちゃいけませんよね」

 しかし、その時。

「アリシア!」

 客間の扉が勢いよく開く。そこには怒りのあまり修羅となったライラの姿。状況を瞬時に理解した修羅の周りは鋭く凍てつく。

「アリシア。これはどういうつもり? 近くに簡易ベッドがあるのに、なんでこんなわざわざ遠くまで?」

「あは! バレちゃいました? お風呂はどうしたんですか?」

 その言動に狙いを察した修羅は、その問い掛けには答えない。そしてその目は俺と、もう一人のレイフへと向けられる。

「……レイフ、貴方というホモサピエンスがどういうものか、本当に、……本っっっ当に理解出来たわ」

 鋭く低く、冷えた声。

「ライラ! これは違うんだ!」

「どう違うのよ!」

 ライラは、舌打ちしながら抵抗するアリシアを引き剥がすと、目を背け顔から火を吹き出しながら、比較的傷の浅い下半身に服を着せる。

「感染症になったらどうするんですか? これは医療行為ですよ」

 アリシアは口を尖らせて文句を言う。

「それならレイフはもう死んでいいわ。いいわよね?」

「……はい」

 あまりの圧力に、俺の命は軽くなる。そしてライラは俺の左肩を支え、ゆっくりと立ち上がらせる。

「手当ありがとう。私達は宿へ帰ります」

「また来てくださいね?」

 アリシアの艶々な笑顔をライラは睨みつけると、重い空気を吸いながら、俺達はいつもの宿へ戻った。部屋の扉を開けるとライラはベッドに俺を座らせ尋問を始める。

「どこまでやったの?」

「……何が?」

 目を泳がせる俺へ、ライラの冷たい目。

「……いいわ。私の質問に全ていいえで答えなさい」

「違う! 誤解な――」

「いいえで答えなさい! いいわね?」

 有無を言わせぬ圧力に、俺は無言のまま、首を縦に振る。

「アリシアとキスはした?」

「いいえ!」

 してない! そんなことをする訳が無い!

「アリシアの胸や……身体を触った?」

「いいえ!」

 してない! 俺をどんな奴だと思ってるんだ!?

「アリシアに陰茎を触らせた?」

「……いいえ」

 ライラは柳眉を逆立てる。

 違うんだ!

「……続けるわ。貴方から触ってってお願いしたの?」

「いいえ!」

 そう!

 いい質問だ!

 なんか流れで仕方なかったんだ!

 少し誤解が解けたのか、ライラは一拍置いて、取り調べを続ける。

「アリシアに触られて興奮した?」

「い、いいえ!」

 ライラの周囲が凍てつく。俺の口から文字が零れてしまったのだろうか。

 違うんだ!

 違わないけど、違うんだ!

「気持ち良かったのね。……そう。……レイフも男の子だもんね」

 ライラは腰に手を当て溜息。そして菫色の瞳は据わる。

「脱いでそこ、横になりなさい」

 女王様は俺のベッドを指差す。

「ライラさん?」

「あんな気障な台詞言ったそばからフラフラ、フラフラ、フラフラ、フラフラと。……誰が一番良い女か、

 ライラは青筋を立て激昂し、ムードも何もないまま、夜を誘う。

「オラッ! 服脱げ! 男だろ!」

 ああ、これは、……完全に自棄になっている。

「落ち着いてくれ! 本当に違う! 何も無かったんだ!」

 俺は、ボタンを外し服を脱がんとするライラのその手を掴んで止める。

「放せクズ男! 死ね! ヤリチン糞野郎!」

 暴れるライラを必死に抑えて、抱き締めながら何度も謝り倒す。

「やっぱりあの糞女は殺す! 今殺す! 放せ馬鹿男!」

 何度も、何度も、何度も謝り倒す。

 君の怒りは最もだ。

 百対零で俺が悪い。

 俺は、自身が本当に反省している事、一番大切な人は君である事を何度も、何度も繰り返す。

 理由は分からない。

 何故俺は、こんなにも君を……。

 誰を彼をも虜にしてしまうその美貌だろうか?

 鈴を転がしたように美しいその声色だろうか?

 悪戯と邪智暴虐に綻ばせるその頰笑だろうか?

 人の幸せを願う事が出来るその愛心だろうか?

 将又、……それら全てだろうか?

 それらしい理由を挙げようとすれば切りが無い。

 それほどまでに君は愛おしい。

 明確な答えなど、自問自答したところで見つからない。

 でも、それでもどうやら、確かに俺は、君の事が好きらしい。

 君にそれを伝えたい。

 語彙力も無い。

 伝える術も分からない。

 感情の由縁も分からない。

 答えもいらない。

 この先に誰の幸せも無い事は分かっている。

 それでも俺は、この溢れる感情の一欠片を、君へ贈りたい。

 

 ――窓から時明かりが流れ込む頃に、ようやく怒りが鎮火したのか、それとも体力が限界に近づいたのか、君は俺をベッドに押し倒したまま眠り始めた。

 君の腕の重みが左脇腹へ鈍い痛みを伴うが、不思議と嫌な気分はしない。

 窓の隙間から流れるそよ風が、光を透かすカーテンレースをサラサラ揺らす。

 静寂の中、君の吐息の音だけが、穏やかにリフレインする。

 ヘリオトロープの香りは息絶え、君の少し汗ばんだ、しかし甘い匂いが世界を支配する。

 安堵に包まれ天井を見上げれば、ロココ調の華やかなシャンデリアの真鍮が、その薄明を艶々と反射する。

 結局俺は、〈ヘクソカズラ〉よりも手古摺った。

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