13.
◇三人称視点◇
男は焦っていた。
まずい。
このままでは、間違い無く部隊は全滅する。
男は三つ星の騎士紋章を揺らし、部下達へ懸命に指示を出す。三百六十度、全方位へ視線を巡らせ、戦況の変化を敏感に察知する。そしてなお、自身へ牙を剥く〈アザミ〉を、命からがら量産品の鋼製の剣で斬り伏せる。
王都郊外の東門付近のこの街道。それでも近衛騎士団は出撃しない。彼らは王都の外門内部、特に王城の周辺にしか取り合わない。
実質、そんな事態に陥ってしまったことはここ数年存在しないが。
「税金泥棒の役立たず共め」
とはいえ、その遣る瀬無い事実には男はとうの昔から知っていたはずだ。それでもなお、その歪みを目の当たりにしてしまえば悪態だって吐きたくなる。
結局、彼ら東部地方騎士団で殺るしかない。退いてはならない。王都への侵入を許したならば、考えたくもない被害が生まれる。
視線の奥で一人、また一人、仲間達がその尊い命を失ってゆく。
ハンネス。大酒呑みの能天気野郎だが、チームが逆境に直面した時であっても、その明るさにはいつも救われていた。
ヤンネ。いつも臆病で気弱な性格であっても、力無き者達のために
さようなら。
いつかまた、女神様の下で酒を呑もう。
襲い掛かるのは〈アザミ〉の群れ。彼ら
あまりに醜い、命の残渣。
遠くでは商人の荷馬車へ積まれた高級な肉類が、奴らによってばら撒かれている。運悪く、この香りに誘われたのだろう。
護衛に雇ったであろう傭兵の姿は無い。おそらくもう、彼らは既に……。
〈アザミ〉は俊敏で獰猛、何より賢い。奴らが戦い続けると言う事は、彼等に勝てると踏んでいるのだろう。
その算段は恐らく正しい。紛れも無い劣勢。そしてまた一人、首元から血飛沫を上げて、散ってゆく。
勝てない。
男は長年の現場経験から弾き出される解答に辿り着いていた。
それでも、男は逃げない。
その表情には諦観など、一欠片も存在しない。
最後の一人となろうとも、この命果てるまで、戦場で市民の命のために戦うと、先に旅立った仲間達へ誓ったのだ。
なるべく多くの
「カミラ、リーサ。……すまない」
ふと零れるのは、娘と妻の名。
参事補まで上り詰めた男の殉職には十分な遺族年金が下りるであろう。
「どうか、幸せに」
最後の覚悟を決めた男は雄叫びの後、目の前の〈アザミ〉へ斬り掛かる。
……しかし、
……なんだ?
顔を上げれば一人の青年が、四方を囲まれながらも手際良く〈アザミ〉を次々と切り刻んでゆく。
……近衛騎士団か? いや、それだけは有り得ない。
ならば、中央騎士団か? いや、彼らは任務専門の遊軍。正式な受注も無ければ、こんな金にもならない戦場に立つはずがない。
男は目の前の僥倖について考える。良く目を凝らせば、あの青年、……知っている。
偶に彼ら東部地方騎士団の管轄で見かける、名も無き青年。時に戦場出ては名乗らずに去って行く、あの彼ではないか。
男は祈る。
……お願いだ。勝ってくれ。助けてくれ。
……生きたい。
それでも、生きたい。
刺し込む一筋の光が、男の覚悟を打ち砕く。
そして一瞬の目弾きの間に、青年はその
すると戦況の変化を機敏に感じ取った〈アザミ〉は、群れのリーダーであろう一匹の嘶きの後、連携の取れた動きで逃走した。
……助かった。
ああ、……助かった。
男は膝から崩れ落ちる。
安全が確認された瞬間に、その青年は足早に去って行く。
……ああ、その名はまたしても、聞けず終い。
遅れて来た脱力感に包まれながらも、聞こえてくるのは仲間達の呻き声。生存者は、いる。
まだ終わってはいない。
今男がやるべき事は、一刻も早く彼らを医師の下へ連れて行く事だ。
……ありがとう、青年。遂に騎士装束を着込んだという事は、いずれまた、巡り会うのだろう。
その薄氷の勝利に男、参事補騎士ヨエルは感謝を募らせながら、リーダーとしての責務を全うした。
◇レイフ視点◇
帰路と続く道の上。陽はすっかり落ち、空へは濃紺の絵具が落とされる。
今宵は新月。それでも、この王都は光を失わない。
丁寧な整備が施された街並みには、電灯の明りが煌々と辺りを照らす。配電系統が整備されており、火災の危険性の高いガス灯は遂に追いやられてしまった。幸いにも灯柱はそのまま再利用されたため、この幻想的な優美さは残されたまま。まあ、ヨリス村にはガス灯すら無かったのだから、インフラの発展速度は桁違いだ。
アールヌーボーが全盛を迎えたこの街の建造物は、花や植物など自然をモチーフにしたゆるやかで曲線的な形状の華やかなデザイン。更に、石造りだけではなく、鉄やガラスといった素材を用いているこの光景は王都でしか見られない。かつて栄華を誇ったバロック建築やロココ様式が入り込みつつあるその建造物も、今なお、その高雅さは色褪せない。そういえば騎士団庁舎はルネサンス様式だったな。
この街には長い長い歴史が息衝いている。男は皆、高そうなスーツを着込み、女は華麗なイブニングドレスに着替え、花々の装飾を遇らった帽子を被り街を歩く。華やかなランプシェードを売り歩く職人や、蒸気自動車へ煌びやかアクセサリーを詰め込んだ宝石商。店先には鼻先をくすぐる夕食の香りや、様々な色彩で綾なす花束に溢れている。
あまりに美しい表通り。
しかし、端々に映る裏路地への入口には、寄る辺の無い孤児達が物乞いをしながら、ただただ俯いている。おそらく戦争孤児か、将又……。
学を得ることのないこの子達も、その年齢が達すればいずれ騎士へ、一部の女性は娼婦となるのだろう。まるで生まれた時から在るべき所在が定められているかのように出荷されてゆく。この貧富の差もこの街の真実。幸せの席の数には、どうやら限りがあるらしい。可哀想とは思うが、俺には差し伸べる手は無い。この街に来て初日、同情して少しの銀貨を手渡した時、他の孤児が次々と押し寄せてきて手が付けられなかった。救いたいと思うのであれば、それは覚悟が必要だ。
表通りを一本外れ郊外へ。少し進めば俺の借家。小ぢんまりとしてはいるが、一軒家で内装や設備は新しく整備されている。初日は埃塗れで、大家は箒を貸してくれただけだった。どうやら掃除は自分でやれと言うことらしい。仕方が無い。掃除屋を頼むにも王都の物価は高すぎる。
それでも今や、清潔に整えられた立派な住処だ。俺は土埃を掃うと、ようやく我が家へ帰還した。
カタリーナやヨハンナの体温を失った、ただがらんとした、唯一の我が家へ。
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