第16話 ふたりのつながり

「……………………」

「……………………」


 プール掃除があったこの日の夜。

 ラレアと一緒に夕飯を食べているんだが、俺たちはどうにも会話が弾んでいない。


 俺はいつも通りのつもりだが、ラレアがちょっと妙なのだ。

 俺と目が合うと、サッと目を逸らしてしまう。

 恥ずかしそうに、照れ臭そうに。


「なあ……どうしたんだ?」


 さすがに我慢出来ずに問いかけた。

 するとラレアは、


「あ、あのですね……」


 とやっぱり照れ臭そうに目を伏せたりしつつ、


「お、おっぱいを……」

「……おっぱい?」

「お、おにいちゃんにおっぱいを触られてから……なんか胸の奥がヘンなんです……」


 おっぱいを触られてから……胸の奥がヘン……?

 おっぱいを触ったっていうのは……プールでラレアがコケたときだな。

 アレから……変?


 ど、どういうことだ……?

 どう判断すればいい……?


「もしかしたら……」


 俺が色々戸惑っていると、ラレアが静かに、


「……アオハルにおける一番大事なアレが……来たのかもしれません」

「アオハルにおける一番大事なアレ……?」

「……コイです」


 ラレアは神妙な顔でそう言った。


 コイ。

 それはすなわち……恋?


「わたし……男の人からこういうところをきちんと触られたのが初めてで……そのせいで何かこう、おにいちゃんにそういうかんじょーを抱いてしまったのかもしれません……」

「ま、待て待て……」


 おっぱい触られてそういう感情を抱くってどういうことだよ。

 なんかおかしいって絶対。


「……勘違いだと思うぞ?」


 初めて触られたことによるドキドキと恋のドキドキを間違えているに違いない。


「勘違い……でしょうか?」

「絶対そうだって。実際俺のこと別に好きじゃないだろ?」

「……え……そ、それは……」


 ラレアはもにょもにょとうつむいたのち、


「お、おにいちゃんは……おにいちゃんですけど……昔……会ったときに優しくしてもらって……そのときからずっと、好きだったりしますけど……」

「……昔……会った……?」

「やっぱり……覚えてませんよね」


 ラレアはどこか残念そうに、けれど当然だと言わんばかりに、


「おたがい、ちっちゃかったので……わたしは記憶力がいいので、覚えてますけど」

「いつだ? 言ってくれれば……思い出せるかも」

「10年前の、全仏オープンです」


 全仏オープン……プロテニスの4大国際大会「グランドスラム」のひとつ。


 その名前を出されて思い出すことが、俺にはあった。


「その全仏オープン……親父が通訳やってる日本人選手が出てて、俺は親父を通じて招待されてその場に居た……」

「うぃ……わたしも同じ場所に居ました……ママがプロテニスプレイヤーでしたので、応援に来ていたんです」


 そう言われて、俺は少し記憶が蘇り始めていた。


 ……その会場で、俺は迷子になったんだ。

 でも特に泣いたりはしなかった。

 親父の影響でそもそもあっちでの生活をしていた部分があったので、英語を普通に話せた分、現地が怖くなかったからだ。そういう会場ならフランスだろうと英語は通じるからな。

 

 そんな中、俺の前に同じ迷子が現れる。

 それは白銀の髪を持つ、俺と違って泣いている同世代くらいの少女だった。


「まさか……」


 回想していて、俺はハッとする。

 ラレアを見ると、小さく頷いていた。


「うぃ……おにいちゃんが今思い浮かべているのが、ちっちゃい頃のわたしです」


 やっぱり……そういうことなのか。


「……あのとき、おにいちゃんは泣いてるわたしに話しかけてくれましたよね。わたしはまだ英語が分からなかったので、おにいちゃんが何言ってるか分かりませんでしたけど、助けてくれようとしていることだけはしっかりと伝わってました」


 ……そう、そうだ。

 その子には確かに英語が伝わらなかった。

 だから俺は変顔とかで警戒心を解いてから、手を繋いで会場内の受付を探して、お互いが保護されるように動いたんだ。


「おにいちゃんのおかげで、わたしは無事に保護されました……あのときのこと、わたしはきっちり覚えているんです。感謝の気持ちと、それゆえの感情だって……」

「ま、待て待て……覚えているのはいいとして、なんで俺があのときのガキって分かるんだ……?」


 俺個人を特定して覚えているのは普通におかしいと思うんだが。


「それはですね……そのときにママがマサシにお礼を言って、ビジネスパートナーになっていたからです」


 ……親父が、そのときにラレアのお袋さんと繋がりを得ていた……?


「ママが日本関連のメディアに応じる際、マサシが通訳をやるようになりました……ですからその都度、ママ経由でおにいちゃんの情報を得ていたんです」


 な、なんじゃそりゃ……俺なんも知らなかったんだが。

 お、親父め……家族には報連相がなってないクソっぷりをここでも……。


「じゃあラレアは……そもそも俺を知った状態で今回来日していた、ってことになるのか……?」

「うぃ……そうなりますね。そして……」


 ラレアは言葉を続ける。


「……あのときからの想いを、伝えようとしていました……でも、わたしとおにいちゃんは家族なので、伝えちゃダメじゃないですか……なのに、今日おっぱいを触られたらそれがイヤじゃなかったので……やっぱりわたし……」

 

 ひと言、


「……おにいちゃんのことが好きなんだなって、思いました」

「っ……」

「きょーだいなので……言っちゃダメなんですけど、言わずにはいられません……わたしは、我慢が苦手なので……」


 我慢が苦手……。

 まぁ、ここまでの騒がしさを見ていれば、分かる。

 自分のやりたいことをきっちり表現するのが、ラレアという少女なんだろう……。


 でも俺への想いだけは……我慢しきれないらしい。

 もちろん我慢はしてきたんだろう。

 だから最初に軒先で会ったとき、初見かのように振る舞ったんだと思う。

 でも……、


「おにいちゃん……」


 今のラレアは、そうじゃない。

 我慢を捨てて、切なげな表情で、俺のことを呼んでくる。


 俺は今、窮地に立たされている。

 おにいちゃんであるべきか。

 1人の男としてあるべきか。


 正直、選べない。

 でも……、

 血縁関係にない義理の妹が相手なら……多少素直になっても、いいんじゃなかろうか。


 そう思う中でラレアが、


「おにいちゃん……」


 食卓を回り込んできて、俺のことを抱き締めてくる。


「すきです……助けてもらったときから、ずっと想ってました……」

「……そうか」

「うぃ……おにいちゃんは……わたしのこと……どうですか?」

「俺は……」

「もし……同じ気持ちなら……」


 そう言ってラレアは、それ以上何も言わず、俺の目の前で目を閉じてみせた。

 今夜は納豆を食べてなかったんだが……これを見越していたからなんだろうか。

 

 そう考えながら、俺は迷った。

 この瞬間だけでもメチャクチャ迷って、悩んで、頭がショートしそうになったそんな中で、しかし――この運命の巡り合わせが再会させてくれたような少女を、俺は無下にすることなんて出来ないし、何より俺自身もそうしたかったから、


「――」


 もう何も言わずに、俺はラレアと唇を重ね合わせた。

 それからはもう……めちゃくちゃアオハルした、としか言えなかった。

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