第7話 似合ってる

 沖縄から帰ってきて最初の出勤日の朝、僕は眠たげに着替えやその他を済ませる。寝坊すると行けないと思って早めに起きたから、いつもより余裕がある。


 そこで、僕は昨日の美海の言葉を思い出す。


『髪、セットしてみない?』


 正直、面倒くさい。仕事なんかでわざわざオシャレをする意味がわからない。そもそも、大して興味もない。


 高校では髪を巻いている女子は割と多くいたし、男子でもそれなりに髪をいじったりはしていた。

 けど、僕はそれをする意味がわかっていなかったから、何もせずに学校に行っていた。


「……やってみるか?」


 誰もいない洗面所に僕の声が響く。もちろん、そんな呟きに誰かが返事をする訳でもない。


 僕は一人暮らしをしてしばらく経った後に、母が送ってきたワックスを手に取る。いらないと言ったけど、使うかもしれないからと聞いてもらえなかった。


「これ、まだ使える……よな」

 

 使用期限が切れているのに使って髪がバサバサになるのは、さすがに大人として困るし恥ずかしい。

 念の為、スマホで未開封のワックスの使用期限を調べた。そこには”3年”と書かれていた。


「良かった、まだ使える」


 適量のワックスを手に取り、帰り際に彼女が言った髪型を真似てみる。もちろん、やり方を調べながら。


 彼女がおすすめしてきたのはセンターパートと言う髪型。画像ではストレートだけど、僕は少し癖のある髪。天パと言うほどでもないけど、少し扱いにくい。


 一応セットはしたけど、本当にこれで合っているのだろうか。行って笑われたらさすがに傷つく……。


 そうこうしているうちに、家を出る時間が来てしまった。早く行かねば遅刻してしまう。

 僕はもう笑われてもいいと振り切って、家を出た。



「あ、勇那。おは––––」


 僕が入ってくるなり、優希は目を見開いた。当たり前と言えば当たり前。今まで何もしてこなかった人間が、急に髪をいじったのだから。


 それにしても、沈黙が長い。もしかすると、この後盛大に笑われてしまうのではなかろうか。


 しかし、そんな心配は無用であった。


「ど、どうしたんだ!? それ!」


「いや……ちょっと。っていうか、声が大きいぞ……!」


 優希の声で周りの人々も一斉にこちらを見る。もちろん驚かれた。

 皆、口々に髪型について言ってくる。


「どうしたんだよ、お前髪型にそこまで気ぃ使うような人間じゃねえじゃん。せいぜい寝癖が直ってりゃいい程度なのに」


「いや、なんとなく……だよ」


 説明の仕方がわからないから、こんなことしか言えなかった。でも、優希は色々察したのか、一人でニヤニヤと笑っていた。



「……で、それは夕凪さんの受け売りか?」


 昼休憩、社食を食べていると、優希がニヤつきながら聞いてきた。


「……まあ、そうだよ」


「なんだ〜? やっぱ恋か!?」


「違う、そんなんじゃない。変な勘違いをするな」


 全否定すると、優希は口をとんがらせて背もたれにのしかかった。

 なんでも恋に繋げるにはやめてほしい。はた迷惑だ。


「え!」


 文句をボソボソとつらねている優希を少し睨みながらご飯を食べていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 ああ––––”あの人”だ。


「うっそ、まじで髪型変えてくれてる! いいじゃんいいじゃん!」


「ちょっ、近い……!」


 そう言ってきたのは、この髪型を勧めてきた張本人。美海だ。

 僕は間近で髪をジロジロと見てくる彼女を軽くはらう。どいた彼女の後ろには、同僚であろう女性たちがいた。


「えーなに、美海。彼氏?」


「違う違う。最近友達になった人〜」


 美海が呑気に言うと、彼女の同僚は「なんだ〜」とボヤく。

 

 それにしても、みんな恋愛関係に繋げてくるな……。いや、でも男女が仲良くしていたらそう思うのも無理はないのか?

 いや、中学生じゃあるまいし、そんな風に思わなくてもいいのでは……?


 僕が考えを巡らせていると、美海がじっと見つめてきた。


「……なに?」


「いや? 似合ってるな〜と思って」


 そう言って彼女は歯を見せてニッと笑った。




 仕事が終わり、家に帰ったあと、美海からメッセージが届いているのに気がついた。開くとそこには次のホエールウォッチングの日程について書かれていた。


「次の行先は……はっ!?」


 僕の目に入ったのは、”がさわら”という文字。


 小笠原って……小笠原諸島のことだよな? 


 小笠原諸島は東京のずっと南にある島のこと。父島と呼ばれていたりする。


「ここからだと結構あるな……」


 でも、そうでもしないと鯨には会えないのか……。


 とりあえず、色々調べておかないといけない。どの時間にどう行けばいいのかとか、そんなこと。


 今回は有給を取らずに冬季休暇中に行くらしい。せっかくの冬季休暇だから休みたいと思うけど、ただでさえ小笠原諸島は遠いのだ。あまり長い期間、会社を休むわけにもいかない。


「……年も向こうで越すことになるのか」


 家族以外と年を越すなんて、何気に初めてのことかもしれない。それまでは大して興味を持ってこなかったし。


「いや、今でも大して持ってないか」

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