第8話 綺麗

 数週間後、小笠原に行く日。

 僕たちは今、竹芝桟橋たけしばさんばしにいる。ここからフェリーに乗って、小笠原諸島へと行く。


「いやあ、いい天気だねえ」


 隣にたっている美海が、空を見上げながら言った。

 彼女の言う通り、今日は晴れている。雲はあれど、雨雲らしい雲はない。


 二人で空を見ていると、フェリーがやって来た。


「ほら、来たよ」


 僕が呼ぶと、美海は返事をしてこちらへ駆け寄ってきた。列が進み、フェリーへと乗り込む。

 中は大きな船体に見合うぐらい広く、天井も高い。


「初めて乗ったけど……ここまで広いのか」


「私も初めて乗った時は驚いたな〜。あ、部屋一緒にしたから」


「––––なんて?」


「だから、部屋一緒」


「はあ!?」


 ふざけているのか? 男女の部屋が一緒だなんて、あっていいはずがない。いや、恋人同士とかなら全然いいのだろう。けど、僕達はそういった関係では無い。


「はあ、先が思いやられる…………」


 僕は想像もつかぬ未来にため息をついた。まさか彼女がここまで呑気な人間だとは、思ってもみなかった。



 ついた部屋は小さな部屋。人が転がるスペースもないほど狭く、左側に二段ベットがある。


「ね、私上使ってもいい!?」


「ご自由にどうぞ。落ちないでくれよ」


 そう言うと、美海は頬を膨らませて落ちないと否定した。


 その後は各々自由に––––と、提案したのだけど、美海はそんな話聞いてはくれなかった。船内にある至る場所に連れていかれた。

 自動販売機やら小売店やら。正直向こうのテンションが高すぎて疲れた。


 夕方、舞い上がっている美海に連れ回された僕は、ぐったりしながら彼女の後ろをついて歩く。


「ねえ、ちょっと海見に行かない?」


「え? ああ、いいですよ」


 返事をすると、彼女は小さく「やった」と言って、僕の腕を引っ張って外へと出た。


「うわぁ、きれ〜」


 船内から出ると、目の前にあったのは、水平線に沈みかけている太陽だった。


 暖かな太陽は海を照らしている。照らされた海はキラキラと光り輝き、まるで宝石のような美しさを魅せていた。

 その太陽は暖かい光でその景色を堪能している人々を優しく包み込んでいる。少しまぶしいけれど、その光が心地よかった。


 景色はもちろん綺麗だ。けど、それ以上に綺麗だったのは、隣にいる一人の女性だった。

 オレンジ色に光る太陽に照らされた彼女の髪も瞳も、本人とは打って変わって上品な綺麗さを身にまとっている。


 ……ん? 綺麗? 何を考えているんだ、僕は。そんなこと、一度も思ったことがないのに。それに、こんなことを考えるなんて柄じゃない。


 そんなことを思っていると、美海とバチッと目が合ってしまった。


「ん? どうしたの?」


「あ……いや、綺麗だと思って」


「へ?」


「景色」


「え、ああ、うん。そだね、綺麗」


 に照らされて少しわかりにくいけれど、彼女は少し頬を赤らめている。そしてポツリと「そっちか〜」とも言っていた。


 

 翌日、何事もなく無事に1日を終え、今回の目的地である小笠原諸島に到着した。


「すごく自然を感じる……」


 本島ではあまり見ることの無い大自然を目の当たりにしたからか、いつもの語彙が無くなっていた。どこを見渡しても木や砂浜ばかり。


「ほんとにね〜。さ、行こ行こ」


「ああ、うん」


 僕は言われるがままに美海の後ろを歩きながら、人の流れに乗ってホエールウォッチングのための船の所まで行く。

 

 僕たちが参加したコースは半日コース。これぐらいならザトウクジラに会えるらしい。


「うーん、1年ぶりに来たけど、やっぱいいとこだなあ」

 

「去年もここで年を越したの?」


「うん、一人寂しくね〜」


 そう言っている割には、今の彼女は上機嫌だった。鼻歌まで歌うぐらいには。


「––––前から気になっていたんだけど」


「なに?」


「どうして僕を許してくれたの? というか、なんで僕を誘ったの?」


 そう問うと、彼女は少し黙ってしまった。そして、誤魔化すように小さな声を出す。いつもとは違う、憂いを帯びた目をしながら。


「勇那くんが良かったからだよ」


「いや、だからその理由を聞いて––––」


 そこまで言いかけた時、他の乗員の声に遮られた。その声の方を見ると、何やら遠くの方を指さしている。

 何があるのだと思い、僕らも指がさされている方を見た。すると、遠くの方に何やら黒い影が見えた。


「……! あれ、もしかして」


 そう言って美海の方を見ると、彼女はにんまりと笑っていた。なんだか、憎たらしい表情だ。


 船は鯨に逃げられないよう、気をつけながら進んでいく。

 見る距離は思っていたよりも近く、だんだん黒い影は姿が表されていく。


「! やっぱり……」


 黒い影の正体は、僕らがずっと言っているザトウクジラだった。大きいとは思っていたけど、実際にこの目で見ると、大迫力だ。


 前に調べたことだけど、ザトウクジラは全長13〜15mもあるらしい。世界最大のシロナガスクジラは26〜30mと、ここまでは行かずとも、やはり大きい存在であることは確かだ。


 僕はその姿に圧巻した。大自然を生き抜く生き物を目の当たりにして、いかに自分がちっぽけな存在かがわかった。

 もし僕がこの自然界に放り出されたら、有無も言わずに殺されてしまうだろう。


「あれは、探してる鯨?」


 僕の問いかけに、彼女は少し寂しそうに、黙ってしまった首を横に振るだけ。やっぱり、この大自然の中で探すのは難しいらしい。


 ––––本人には絶対に言えないが、死んでいる可能性だってある。何かに襲われてもういない、なんて自然界ではよくあるはず。

 それでも懸命に探す彼女に、僕も尽力したくなった。


「……見つかるかな」


 ふと、ボソッと呟きが聞こえた。僕は何も言わなかった。いや、言えなかった。

 ”絶対に見つかる”とも言いたくなかった。それを言ってしまったら、見つからなかった時の絶望感が、より一層増してしまうから。


 それに、無責任なことを言って、こちらに牙を向かれるのも嫌だった。人間はしばしばそんなことがある。

 「あの時、絶対できるって言ったのに」とか、できなかったのは自分に非しかなかった時でもそう言ってくるから嫌だ。


 ––––って、ダメだ、こんな卑屈になっていちゃ。こんなだから、つまらない人間だと言われるんだ。気をしっかり持たないと……。


「勇那くん?」


 声が聞こえてきた方を見ると、美海が心配そうにこちらを見ているのが目に映った。

 僕は慌てて返事をする。


「な、なに?」

 

「だいじょーぶ? なんか元気ないけど…………」


「平気。……ホテルはさすがに部屋、違うよね?」


 変な空気を取っ払おうと、質問を変えた。これはさっきからちょっと気になっていたことでもある。


 ––––フェリーでは同じ部屋で、気まずさからかあんまり寝られなかったからなあ……。向こうは熟睡してたけど。


「うん、一応一人ずつに予約した」


「あ……。予約、基本的に任せっきりだ。ごめん」


「全然いいよ〜。それに、毎年行ってる私がやった方が、圧倒的にいいもの」


 そう言って彼女は歯を見せて笑った。

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