第九話 最強最悪の夫婦①

 風呂から上がった愛姫は誾千代に連れられて城内を案内される。見せたいお気に入りの場所があるようだ。

 

 標高三六七メートルの山頂に建てられた城ということもあり、城内から眺める博多の港町は絶景である。町を行き来する小粒のような人影は、まるで地面を歩く蟻の行列のようにも見えた。


 そして何より空気が美味い。山の草木から香る独特の匂いと、山頂に吹く山風が火照った愛姫の身体に優しく流れていく。


 続けて案内されたのは城の裏にある竹林、誾千代がここで一番気に入っている場所だと言う。

 訓練場だろうか。円を描くように中央は綺麗に整備されており、端っこには刀で斜めに斬られた竹が放置されている。


「お? もうそんな時期か」


 誾千代は枯れた笹の葉が被さった地面を丁寧に払っていく。すると、ちいさな茶色の小山が姿を現した。


「これって……」

たけのこだよ。後でこれをつまみに一杯やろうね!」


 この訓練場の周りでは竹が群生しているため、春になると旬の筍が頭を覗かせる。それを狙ってなのか野生の猪や熊がたまに姿を見せるとか。そのため訓練しながら筍も狩れ、冬眠明けの獣も狩れる一石三鳥の時期だと言う。


「ご飯前にちょっとだけ運動しようか」


 誾千代は近くにいたお付きから刀を受け取ると、鞘から刀身を露にさせた。いきなりの出来事に愛姫は顔をこわばらせた。


「な、何よ、やる気⁉」

「まさか! せっかくの客人にそんな事しないよ。見てて――」


 そう答えると、誾千代は刀を縦に構える。形としては薪を割る時の構えに近い。


 その姿勢のまま誾千代は動かない。目は開けたまま、ゆっくりと何かが目の前に現れるのを待っているように見える。


「――――!」


 誾千代の目の前に竹の落ち葉が通過した瞬間、誾千代は刀を縦に振り下ろす。落ち葉は綺麗に筋から半分に切り裂かれた。

 目にも留まらぬ一閃。女性とは思えないほど速く、それでいて美しい斬撃であった。


「はぇぇ……、ヤバ……」

「愛、驚くにはまだ早いよ」


 誾千代の言葉に、愛姫はすぐさま違和感を感じた。


(焦げ臭い……、何の匂いかしら?)


 明らかに近くで何かが焦げている。愛姫は訓練場の周りを見渡した。


「あっ⁉」


 匂いの原因を見つけて愛姫は驚愕する。

 焦げたのは先ほど誾千代が斬った笹の葉だった。それに笹の葉からは青い光がパチパチと音を立てていた。


「何……アレ……?」

いかずちさ」


「雷⁉」


 青い光の正体は雷だと説明する誾千代。そのせいで笹の葉は切り口から焦げてしまったと言う。


「秘儀『雷神剣』。道雪オヤジから受け継いだ、立花家を守る雷神の一振りさ」


 道雪の若かりし頃である。

 大木の下で昼寝をしていると、突然夕立が降り出し、うねりと共に稲妻が道雪のいる大木に落ちてしまった。


 咄嗟に愛刀の千鳥ちどりで一刀両断するも、その衝撃で道雪は下半身不随になってしまう。

 だが、得た物もあった。それが雷神剣である。


 道雪の一振りには稲妻が宿る。そんなうわさから道雪は「雷神の化身」として敵国から恐れられたという。


「そしてこの刀がその時の物だよ。アタイは雷を斬った刀だから『雷切らいきり』って呼んでるけどね」


 出来れば「魔法かっ!」とツッコミたいところなのだが、現実なのが恐ろしい。

 

 日本人が本格的に電気を使い始めたのが明治だと考えると、この立花家はそれよりも早く電気を使った事になる。日本の歴史が変わる大発見だ。


 誾千代は楽しそうに雷神剣の仕組みも話してくれた。

 どうやら高速で刀を振り下ろすことで空気中の埃と刀の間で摩擦が生じ、強力な静電気が集約されることでこのような雷に姿を変えるという。


 そんな事人間にできるのか、と疑いたくもなるが現実に誾千代は雷を纏った刀を握っている。

 これはゲームでもない、アニメでもない、本当の事なのだ。


「じゃあ次は愛が見せてよ」

「?」


 刀を鞘に仕舞った誾千代が横目で愛姫を見る。


「興味があるんだ。その華奢な身体からどうやってあの蹴りが出せるのか。武人として、これ程心躍る瞬間は久しぶりだよ」

「見せてって……、私そんな葉っぱを蹴る訓練とかやった事ないんだけど……」


 愛姫が面倒くさそうにそう言うと、誾千代は近くにいたお付きを呼び寄せる。


「これで文句ないだろ?」


 呼び寄せたお付きが持っていたのは、馬皮で出来た巨大なミットだ。クッション材が入っているのか、誾千代が的を叩くとポフポフと柔らかそうな音を立てる。


「木刀を使った訓練で使う道具なんだ。これなら思いっきり蹴っても大丈夫だよ!」

「……っ……分かったわよ。やればいんでしょ、やれば……」


 仕方ない、と観念した愛姫は馬皮の的を持ったお付きの前に立つ。お付きの男は的を叩き「いつでもどうぞ!」と笑顔で待ち構えている。完全に愛姫をナメてる顔だ。


「……アンタ、その的絶対に動かすんじゃないわよ。怪我するから」


 愛姫が回し蹴りの動作に入った瞬間、男は違和感を感じる事になる。

 引き寄せられるのだ。まるで愛姫が強大な竜巻かのように、上から落ちる笹の葉を、的を構えた男を。


 気付いた時には、男は竹藪の中で横になっていた。男の手にはさっきの馬皮で作られた的は握られていない。


「……スゲェー。人ってあんなに吹っ飛ぶのかよ……」


 苦笑いをした誾千代は見ていた。愛姫の回し蹴りが的を捉えた瞬間、強烈な破裂音と同時に男が竹藪に吹っ飛ぶ姿を。

 宙にはクッション材となっていた綿がユラユラと浮き上がって、季節外れの雪のようにその場を彩る。


「……ごめん。私もあんなに吹っ飛ぶとは思わなかったから……。大丈夫だったかしら?」

「良いって良いって! アイツも日々稽古してんだ。あんなんで怪我するようなたまじゃないよ」


 そう誾千代が話すと奥からゆっくりと吹き飛ばされたお付きが戻って来る。服が少し汚れているだけで怪我はしていないようだ。


 良かった、と安堵した矢先に訓練所の入り口からひとりの家老が姿を現した。


「……増時ますとき


 薦野増時こものますとき。誾千代の父 道雪の元家臣で、現在はこの立花山城城主の家臣。その才能は素晴らしく、道雪が養子に取ろうと思ったほどの漢である。


「誾千代様、殿がお呼びで御座います。客人様もご一緒に……との事で」

「…………」


「別室にて休憩中でありましたご友人の方は既に殿と面会しております。出来るだけお急ぎ頂ければと……」


 誾千代は顔を歪ませた。増時本人ではなく、彼が話した言葉に表情を歪ませた原因があるように見えた。


(ん? 殿? 誾千代自分の事を城主って言ってなかったかしら?)


 城に殿がいるのであればその方が城主のはず。愛姫はお付きの男に事情を尋ねるが、「それが……その……」と濁されてしまう。


「この子はアタイの客人だよ! アイツにはしゃしゃり出んなって言っときな!」

「……。殿は誾千代様がそう言うと思い、もう一言お預かりしております」


「……何ぃ?」

「その客人はただの客人ではない。城下町の件もあるため、断れば義父上道雪の顔に泥を塗る事になる。と、受けております」


 増時の言葉に、さらに表情を歪める誾千代。

 諦めたのか、ため息をついて愛姫の方を向く。


「……だそうだよ。愛には悪いけど、ちょっと一緒に来てもらうよ」


 面倒事を予感しながら、愛姫は怒りを隠しきれていない誾千代と共に訓練所を後にした。

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