穢れの子②

 小次郎は戦慄した。

 目の前にある甘い果実には毒が塗られている、それも猛毒だ。それを食べ、飲み込むという行為にどんな結末が待っているか、想像しただけで全身の毛穴から脂汗が吹き出そうになる。


「あ、義姉上! その話、今関係ありません! 僕は母上を助けたい一心で――」

「関係大ありじゃない」


 叫ぶ小次郎をバッサリ斬り捨てる。歯を食いしばりながらも言葉が出てこない小次郎は、愛姫の眼をジッと睨む事しか出来ない。


「元はと言えば、原因はアンタ達が争ってるからでしょ? 仮に私が義姫を何とかしても、また同じ事が起きるわ。なら根源を潰すしかないじゃない」

「ですが……」


 ここまで言っても、まだ言葉が出てこない小次郎。愛姫は彼の真意を問う事にした。


「アンタはどうなの? 次期当主はどっちが就くべきだと思ってるのかしら?」

「僕だって兄上まさむねが次期当主に相応しいと思っています……」


「なら問題ないじゃない」

「義姉上に自分の気持ちなんてわからないでしょう⁉」


 小次郎は軽い気持ちでいる愛姫に声を上げる。ブルブルと身体を震わせ、悔しさがにじみ出ているのがわかる。


「僕も同じく伊達を背負っているのです……。母上や伊達一門衆の皆の気持ちに応えたい。でも、兄上と争いたくない。私の事を唯一見てくれている、たったひとりの兄なのです……」


 小次郎は義姫や一門衆が政宗をさげすむ中、弟として変わらず接してくれる事に喜びを感じていた。時に怒り、共に笑う。周りから溺愛を受けた小次郎にとって、政宗はかけがえのない存在になっていたのだ。


 そんな政宗と争わないといけない日が近づいている。小次郎は一方的なプレッシャーで押し潰されそうになっていた。


 でも、だからこそだ。愛姫は泣きそうになっている小十郎に追い打ちをかける。


「なら尚更、アンタは次期当主を降りるべきよ!」

「あ、義姉上……」


「仮に当主になっても、どうせ義姫達のいい様に動かされてしまうのがオチよ。アンタの意思なんて関係ない」

「でも……」


 涙を浮かべ、泣きそうになる小次郎。

 だが、事実だ。義姫は兎も角、周りの一門衆は義姫に賛同してるだけであり、小次郎を慕っているわけではない。


 勿論、小次郎も気付いてはいる。義姫の機嫌を損なわんと、ペコペコと頭を下げる家臣に自分を想う気持ちなど皆無だという事を。それでも、伊達の次男という肩書だけが心を蝕む。

 愛姫もその心中を察していた。


「私も父親の財閥を継ぐために色んな事を叩き込まれたわ。朝から晩まで、ボロボロになるまで働かされる操り人形みたいにね。たまに死んでやろうかと思ったりもしたわ」


 笑いながら、愛姫は生前の愛華の記憶を呼び起こす。


「でもね、解放されて気付いたの。この身体は私の物! 誰が何と言おうと、この身体を動かせるのは自分しかいない。親が口を挟もうがそんなの関係ないわ!」

「ど、どうやってそんな状態から解放されたのですか?」


 小次郎は興味津々な眼差しで愛姫に近づく。そこにはさっきまで泣きべそをかきそうだった男の顔はない。


「知りたい?」

「はいっ、是非っ! 僕も出来るのであれば!」


「とりあえず、ムカつく奴を片っ端からぶん殴るの!」

「へ……?」


 掌にバチンッと拳を当てる仕草に、小次郎は顔と右手を横にブンブン振り、青ざめた表情で否定する。


「むむむ、無理です!」

「大丈夫よ、アンタ男の子でしょ⁉」


 それでも無理だと顔と手を振り続ける。何を言っても同じ答えが返ってくるため、愛姫のこめかみにも力が入る。


(流石にイライラするわね。本当にポコ●ン付いてんのか、コイツは⁉)


 小次郎は政宗同様美男子系だが、どちらかと言えば可愛い寄りである。

 こんな小次郎でも変わらない限り、事態は全く良くならない。が、震える小次郎を見て、流石の愛姫も諦めた。


「はぁ……、わかったわよ。とりあえず今回は貸しといてあげる。そのかわり……」

「そのかわり?」


「今度私のお願いを聞いてもらうわよ。拒否権はないからね!」

「――はい! 僕に出来る事であれば!」

 

 そう約束を取り付けると、愛姫は重い腰を上げるのだった。


 ――――――――――


 小次郎に案内され、愛姫は義姫の部屋の前に到着する。

 開けても大丈夫です、と言わんばかりに、小次郎は愛姫に頷いた。


 戸を開けるまでもないが、部屋の中はとても暗い。明かりひとつない、暗闇の中に義姫はたったひとりでいるという。

 愛姫は一呼吸入れ、ゆっくりと戸を開けた。


 奥にいるのは確かに義姫だ。周りには千切れた何かが散乱している。


(これは……衣類?)


 部屋に散乱している何かの断片をひとつ拾いながら、義姫の後ろに座る。


「これは梵天丸ぼんてんまるが五歳の時に着ていた小袖じゃ」


 梵天丸とは政宗の幼名だ。


「この頃は可愛かった……。母上、母上って。今からでは想像できないほど甘えん坊だったんじゃぞ?」

「……ふーん、そうなんだ」


 ビリビリッと何かが千切れる音が聞こえる。


「で、そんな思い出の服にアンタ今何やってんの?」


 ようやく眼も暗闇に慣れてきたのか、部屋全体の景色が鮮明に映し出される。


 義姫は片手に脇差のような刃物を持ち、畳に向かって何回も突き刺す。手前に腕を引くたびに、衣類が刃物で切れる音が部屋全体に響き渡る。


 愛姫は後ろから義姫の振り下ろす手を取る。脇差を握る手は小刻みに震え、放せと言わんばかりに力が籠る。


(仕方ないな)


 愛姫が取った手首の中心を親指でグッと押し込むと、義姫は小声を漏らすと同時に脇差を放す。


「……手を放せ、無礼者めが……」


 愛姫は首を横に振りながら握る手を放さない。すると、義姫はゆっくりと身体を愛姫の方に向けた。


 泣いている。あの気高く、猛獣のような女が泣いているのだ。瞼は赤く腫れあがり、光秀の書状を見た時からずっと泣いていたのが見てとれた。


「放せと言っておる!」


 奇行を止めた事でもう手を押さえる必要もないため、愛姫は義姫の手を解放した。


「らしくないじゃない。仮にも鬼姫って呼ばれてるアンタが、まるで何かに取り憑かれたみたい」

「煩い!」


 義姫は手首を擦りながら視線を逸らす。


「其方こそ光秀殿に色目でも使ったのではあるまいな! 汚らわしい!」

「あぁ? もう一度言ってみろ、コラ!」


 この後は妬みや僻みを交えた女特有の口論が始まる。内容は光秀の書状から、脱線して愛姫の素行にまで発展した。

 さっさとぶん殴ってやりたいが先に手を出した方が負けと、お互いに噛みつく気持ちだけで何とか抑える。


 これではらちが明かない、と愛姫は一呼吸置いてから話を戻す。


「何でアイツ政宗をそんなに嫌うわけ? アンタの子供でしょうが」

「そ、それは……」


 言いたい事を言ったおかげか、義姫の表情は先程よりもスッキリしている。


政宗は穢れた子じゃ……」

「穢れた子?」


 義姫は政宗が五歳の時に天然痘てんねんとういう病にかかり、右目の視力を失ったことについて話した。

 それ以降、政宗の閉じた右目を見るたびに黒く濁った穢れのようなものが見えるようになったいう。


「梵天丸はわらわを憎んでおるのじゃ。自身から右目を奪ったわらわを恨んでおるんじゃよ……」

「だからって思い出の服をこんなに⁉」


 涙を再度浮かべながら首を縦に振る義姫。


(違う。それは憎しみとか恨みとかじゃない)


 愛姫は義姫の誤解を即時に理解した。

 義姫は右目を失った事を自分の責任にしている。そのため、政宗から見られるたびに歪んだ感情が具現化し、穢れという後悔を生んでいるのだ。

 

 結果、義姫は次男の小次郎に愛情を注ぐように逃げていった。

 政宗も当然、自分にも愛情を求めるだろう。しかし、それを映す眼が後悔や恨みの塊に見えてしまっているのだ。本人はただ母親からの愛を求めていただけなのに。


「少なくとも政宗はアンタを恨んでなんかないわよ」

「嘘じゃ……」


「嘘じゃない。アイツは今でもアンタが振り向いてくれるのを待ってる、だってたったひとりの母親なんだから」

「――!」


 何かを感じ取ったのか、義姫はその場に蹲ってしまう。


 伝える事は伝えた。愛姫は立ち上がり、戸の前で立ち止まる。


「その穢れと向き合うのはアンタにしか出来ない。鬼姫……なんでしょ?」


 そう言い残すと、愛姫は部屋を出て戸を閉める。外には頭を下げた小次郎が横に立っていた。


「これで良い?」

「はい」


 愛姫は小次郎に背を向け、「約束忘れないでね」と言い残し、その場を去ろうとする。が、目の前にお打が姿を見せる。


「ずん……、アンタ趣味悪いわよ」

「ち、違うっス! 今緊急の知らせが入ったので急いで姫様にと!」


 愛姫は疑いの視線をお打に送る。しかし、その知らせは予想しつつも、予想外な知らせだった。


「六月二日の暮夜ぼや。明智光秀様討死との事っス!」

「へ?」

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