第七話 穢れの子①

 天正十年 春。

 光秀が伊達を訪れて約半年が経過した陸奥では、雪解けと共に戦の香りが戻り始めていた。

 

 馬のあぶみに直立しながら脚を掛ける少女。桃色に染まる蓮の旗印が平野の高台に堂々と陣を構え、敵国である相馬の先陣と相対する。


愛姫めごひめ様! 敵先陣動き出しました! 先頭は総大将 相馬義胤そうまよしたねと思われます!」

「オーケー! 前回は政宗の邪魔が入ったけど、今回は私ひとりで捻り潰してやるわ!」


 腕を組みながら意気揚々と話す愛姫の周りには、前回とは比べ物にならない数の兵達が今か今かと大将の指示を待つ。

 鉄砲、騎馬、槍。前回の戦が評価された事で、愛姫は輝宗から先陣に相応しい兵力を承る。


 勿論兵力だけではない。この半年で乗馬の技術を喜多きたにみっちり叩き込まれ、今では手綱無しでも武器を扱えるようになるまで成長していた。


「うおおお――!」


 馬の地響きと共に雄叫びを上げながら突っ込んでくる相馬の騎馬隊。こちらの鉄砲隊など気にもせず、堂々と正面突破するつもりだ。


「私達も出るわ! 鉄砲隊と弓隊、味方に当てんじゃないわよ!」


 銀色の采配を手に、後方の鉄砲隊に指示を出す。


「押し返せ――!」


 愛姫の指示で騎馬隊が動き、その後ろを歩兵が続く。ついに愛姫隊と義胤隊が、再び激突するのだ。


「蓮の旗印、やはりお主だったか!」

「相変わらず先陣にいるのね。でも丁度良かった……、前回の決着ここでつけてやるわ!」


 お互いの武器がぶつかり合い、甲高い金属音が戦場に響く。


「ほう……、中々様になっているではないか! 半年前は乗れなくて、ピーピー喚いていた小娘がっ!」

「こう見えて昔は乗馬クラブに入っていたからね! 感覚さえ戻れば、こんなの朝飯前よ!」

 

「フン! 相変わらず、楽しませてくれる姫様よ!」


 今回の戦でも愛姫の働きは凄まじく、相馬軍は前線で撤退を余儀なくされる。

 

 相馬によって奪われていた、政宗の曾祖父である稙宗たねむねの丸森城。今回の再戦で何とか奪還出来ればと思ってはいたが、相馬の激しい抵抗により両軍は徐々に膠着状態へ入っていく――。


 ――――――――――


 ある日の夜。愛姫の下に一通の書状が届く。


(私宛? 誰かしら……)


 珍しい事もあるもんだな、と兵から受け取った書状を確認する。差出人は明智光秀だった。

 愛姫は四つ折りにされた書状を開く。


 内容はこうだ。


 織田は信玄の娘婿むすめむこである木曾義昌きそよしまさの裏切りを機に、武田討伐へ動き出すそうだ。

 織田、金森、徳川、北条。挟み撃ちで逃げ場のない武田は、ひと月と持たないうちに壊滅するだろう。


 さらに、武田討伐が終了次第、中国と四国にも攻め入る。光秀は中国攻めを任されている羽柴軍の援軍として向かうようだ。

 

 しかし、これは完全に『本能寺の変』ルート。やはり自分が介入した程度では歴史なんて変わらないのだ、と愛姫は少し残念な表情を見せる。


「よく内情をベラベラと……、随分と姫様を気に入っている様子ですね」


 そう話すのは隣で書状を一緒に見ていた喜多だ。


「それだけ余裕って事でしょ」

「あっ姫様⁉ もう一通書状が入っておりますよ!」


 どれどれ、ともう一通も内容を確認する。

 そこには光秀に持たせた土産について、信長から直々に感謝の文が綴られていた。


「『獅子身中の虫を殺す劇薬となれば』って姫様⁉ これはまさか――⁉」

「……ええ。光秀には感謝しないとね」


 そこに書かれていたのは、次期当主で揉めている伊達に、信長は政宗を推薦すると書かれていた。光秀は伊達の家中分断を、より織田側に傾けるため利用したのだ。


「では、さっそく殿と若様に報告を――」

「ちょっと待って。これは私と喜多さんだけの秘密にしとこっか。情報が漏れて、この手紙狙われても面倒だし……」


 伊達軍には小次郎派の家臣も大勢いる。もしもバレてしまったら……、と考えながら愛姫は書状を胸の中に仕舞いこんだ。


 ――――――――――


 同年、六月上旬。


 丸森城を攻めきれなかった伊達軍は、一時米沢城に帰還する。長引く戦に士気が下がっていたのもあるが、一番の目的は織田から届いた書状である。

 愛姫は城に戻り次第、皆を集めて書状を輝宗に渡した。


「こ、これは⁉」

 

 当然義姫と小次郎派の家臣は開いた口が塞がらない。書状が本物か、義姫は輝宗から受け取り内容を確認する。


「こんな書状、信長公を偽った偽物が書いた物じゃ! まだ、大した武功も上げてない政宗を次期当主に推薦するとは笑止千万!」

「お義……」


「認めぬ……。わらわはこんな事認めませんぞ!」


 ブルブルと手を震わせながら、何度も書状に書いてある内容を確認する義姫。あの気高く、時には冷酷な女がここまで乱れるとは。よほどショックな出来事だったのだろう。


 自分は未だに母から愛させていないと思っている政宗、普段見せない母の姿に心配する小次郎。ふたりの悲嘆ひたんな顔が、余計脳裏に焼き付いてしまった。


(これで良かったのかなぁ……)


 自室に戻り昼寝でもしようかと思った矢先、部屋の外から声が聞こえる。


義姉上あねうえ、少しだけよろしいですか?」

「……入って良いわよ」


 そう愛姫が答えると、スルスルと襖が開く。可愛らしいクリクリした眼に、政宗とは違い意外と細身な男の子、小次郎だ。

 

 小次郎は普段義姫にベッタリくっついてるイメージだったのだが、今回はお付きのひとりも付けないでやって来た。それだけでも珍しいのだが、実は愛姫はほとんど小次郎と話した事がなかった。


 こんな性格故教育に悪いと、小次郎派の家臣があまり接触させないようにしていたのだ。実兄である政宗でさえ、話している所も数回程度しか見た事が無い。


 そんな男がこっそりやって来たって事は、何か理由があるに違いない。


「わぁ……、義姉上の部屋初めて入りました! 母上の部屋と違って、何だか良い香りがします」

「おっ! アンタ男のくせに中々分かってるじゃない!」


 この時代に来てから、匂いにはかなり敏感になってしまった。この身体が臭いわけではないが、シャンプーやボディソープがあった時代に比べると、どうしても不安になってしまう。


 そのため、城下町の旅商人から香りのする植物の粉末などを購入し、せめて部屋だけでもとお香代わりに使っているのだ。最近では自ら調合するようになり、娯楽が少ないこの時代で唯一の趣味にもなっている。


「義姉上……。その……、出来れば姿勢を正してもらえませんか? その……、目のやり場に困ります……」

「ん?」


 顔を赤らめ、眼を逸らす小次郎。愛姫は直前まで昼寝をしようとしていたので、肘枕をしながら話していた。そのため、裾の隙間から生足が太もも部分まで露になっていた。


(あらあら、赤くなっちゃって。結構可愛いじゃん。政宗とは大違い)


 愛姫は身体を起こし、きちんとした姿勢に戻る。と同時に、天井から「チッ」と誰かが舌打ちする声が聞こえた。


「…………」

「ありがとうございます。今日ここに参ったのは、義姉上にお願いがあっての事なのですが……」


「お願い? 私に?」


 小次郎は下げた頭を戻し、コクリと頷く。


「次期当主の件についてかしら?」

「さすがは義姉上、気付いておられましたか」


「気付くも何も……。結局決めるのはお殿様なんだから、私じゃ何も出来ないよ」

「いえ。実の所、お願いとは母上の事なのです」


 小次郎は母である義姫について愛姫に話した。次期当主が政宗にほぼ確定した事が原因で部屋に籠ってしまい、家臣や小次郎の声にも耳を貸さなくなったらしい。

 

 そこで白羽の矢が立った人物こそ愛姫である。義姫との仲も割と良好且つ政宗の正室、仲介役として働いてくれるのではないかと家臣達から打診があったようだ。なので小次郎が代表で来たわけなのだが……。


「えー、ダルー」


 愛姫は面倒くさそうな顔で小次郎からの申し入れを断った。


「そんな、義姉上⁉」

「だって、私に何のメリットがあるって言うのよ。それに、何だか都合の良い道具にされてるみたいで気に入らないし」


 愛姫からしてみれば、政宗と義姫の仲が良い悪いはどうでもいい。今回の件だって政宗が当主になった方が、愛姫にとっても好都合だ。


 それに比べ、小次郎派の家臣共は情けない。安全地帯でチクチクして効果が無いと思ったら、自分たちの手が汚れぬよう外部の人間に助けを求める。


(その点小次郎この子は……。立派と言えばそうなんだけど……)


 小次郎が直接出向くのは良い事だと愛姫も思う。

 ただ、家臣達の汚れ役を引き受けて、操り人形みたいに動く小次郎も気に入らない。と、思った愛姫は提案を出す事にした。


「だけど、折角義弟おとうとが訪ねて来たんだもん。無下にするってのも可哀そうよねー」


 小次郎に近づき、小悪魔のような笑いを見せる愛姫。


「で、では義姉上⁉ 受けてくれるのですね⁉」

「勿論良いわよ。でも、ひとつだけ私の条件が呑めるなら……ね」


「条件……でありますか? 自分に出来る事であれば何でも言ってくだされ!」


 そう。と、ひとつ間を置き、愛姫は小次郎の耳元に口を近づける。


「じゃあ、皆の前で『自分は次期当主候補の座から降ります』って宣言なさい」

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