月と親友②

「いたたた……」

 

 降ってきたのは、緑髪の忍び。女と分かったのは、たわわな膨らみと可愛らしい声からだ。

 愛姫はとりあえず降ってきた忍びの前に移動し、ヤンキー座りでメンチを切りながら威嚇する。


「アンタ、誰?」

 

 伊達の忍びかと思ったが着ている服が違う。

 愛姫は火鉢に刺さっている鉄製の箸を抜き、忍びの喉元に突きつける。


「わわわ! 姫様、わちきっスよ。わちき!」

「え?」

 

 忍びは慌てて、口元を隠しているあて布を外す。

 そこにはかつての舎弟に瓜二つな女の子が顔を表す。


「ずん……」

 

 家が貧乏で、喧嘩が弱くて、泣き虫だった舎弟。優しくて、仲間内ではムードメーカーで、笑顔が素敵だった舎弟だ。

 そんな前世の友人が、何故か忍びの服装で目の前にいる。

 あまりの情報量に頭がパンクしそうだが、愛姫の眼には涙が浮かぶ。


「ずんじゃない! 何よアンタ、こっちに来たなら来たって言いなさいよ!」

「んん?」

 

 ずんに似た忍びへ、嬉しさから思わず抱きつく。

 それとは対照的に、忍びは困惑した表情で愛姫の身体を支える。


「ちょちょ、姫様。あまり声が大きいとバレるっス」

「まぁまぁ良いじゃない、ずん。 アンタいつの間に忍びになったの。全然似合ってないわよっ!」

 

 忍びはずんという言葉が出るたびに、首を傾げた。


「姫様、その『ずん』とはなんスか?」

 

 何を言ってるんだコイツは、と忍びに向かって指を指す。

 忍びは自分の名前を呼ばれていると理解し、すぐさま否定した。


「姫様、わちきはずんという名じゃないっスよ」

「え?」

 

 瞼をパチクリさせ、再度ずんに似た忍びを確認する。

 よく見ると、確かにずんにはなかった大きな果実がふたつ実っている。

 

 顎を触りながら、疑いの眼を忍びの顔と胸に向ける。気付いた時に、愛姫の手は忍びの胸を軽く鷲掴みしていた。


「ひゃわ――、姫様⁉」

「……本物」

 

 自分の質素な胸と比べる愛姫。

 決して大きいわけではない。寧ろ、年相応である。私は悪くない。

 

 そう思いながら、忍びに暗い視線を向ける。

 忍びは顔を赤くしながら「コホンッ」と一息入れた。


「やっぱり……、あの噂は本当マジだったんスね」

「噂?」

 

「姫様が記憶を無くしている噂です」

「あ――、それね……」

 

 説明するのも面倒なので、苦笑いでその場を凌ぐ。


 約一年前、愛姫が持病で亡くなり、火葬を執り行う事は、輝宗の書状により田村家へ通達は行っていた。

 しかし同時に、亡くなったはずの愛姫が息を吹き返した。これが今の、前世の愛華の記憶を引き継いだ愛姫である。

 

 その事も当然、書状で報告済みなのだが――。


(まぁ、前世の記憶を持ち合わせてるなんて書けないか。そんなの書いたら殿様が笑われるからね)

「それで偵察として、直属の忍びだったわちきが様子を見に来たんス」

 

 なるほどね、と納得する。

 

 絶賛争い中の相馬の隣に位置する田村家。伊達に兵力を注いでいるため構う暇は無いにせよ、最低限の睨みは利かされている。

 それで状況がどうなっているのか、田村清顕たむらきよあきも不安で、伊達にこの忍びを送ったのだ。


「伊達は兵力が足りず姫様も戦場に赴かないといけなくなったとか……。ただ、城内を見るにそんな事はなさそうっスけどね」

「あらあら」

 

 へんな事まで噂で広まっているのか。

 電話が無い時代とはいえ、ほぼ的確な情報がこんなに早く出回っていることに驚きを隠せない。


「で、アンタはこれからどうするの?」

 

 愛姫は忍びに問いかける。


「とりあえず、田村に戻って殿に報告するっス。全然問題なかったと――」

大ありじゃ」

 

 ずんに似た忍びの後ろに、突如現れた黒い影。伊達の忍びの頭領、蔵人くらんどだ。

 いきなり背後に現れたせいで、ずんに似た忍びは反射的に愛姫の前に立ってしまう。


「……貴様、どこぞの忍びよ?」

「わ、わちきは田村家直属の忍び『おうち』。安心して欲しいっス、敵じゃないっス!」

 

 そう蔵人を説得するお打。

 しかし、蔵人の目つきはさらに鋭くなる。


「ほぅ? 敵ではないのなら、何故正面から姿を現さない?」

「うっ……。そ、それは……」

 

 視線をそらし、黙り込んでしまう。額にはうっすらと脂汗がにじみ出る。


「確かに。アンタ私がいた所の忍びなら、堂々と前から来ればいいじゃない。何でこんな回りくどい事したのよ?」

「ぐぐ……、それには事情がありまして……」

 

「それみろ。どうせいかがわしい事を企んでおったのだろう。例えば、若の暗殺とか――」

 

 お打の小太刀を握る手は、汗でビッショリになっている。表情にも余裕はない。

 それは既に部屋全体を包囲されていると同時に、蔵人の実力もわかっているからだ。


「違うっス! 決してそんな事は……」

「では何故、姫様に近づいた? 言わねば……」

 

 蔵人はゆっくりと左手を上げる。これは合図だ。その手が降ろされた瞬間、お打に向かって伊達の忍びが一斉に襲い掛かる。

 その事は、お打も重々承知している。眼を閉じ、大きくため息を付いた。


「……わかったっス。正直に言うからやめて欲しいっス」

「そうか。なら言え。何故、若や殿ではなく、姫様に近づいたのだ?」

「それは――」

 

 小太刀を降ろし、ゆっくりと口を動かす。


「姫様の寝顔が可愛くて、ついつい見惚れてしまってたんス!」

「え?」

「な⁉」

 

 赤くなった頬に手を付け、何か妄想をしながら身体をくねらせるお打。

 愛姫と蔵人は呆れた表情で、水から上がった魚のような忍びを見る。


「ふ、ふざけるな! 田村の忍びよ!」

「ふざけてなんかないっスよ。疲れ切った時の姫様、だらしない姿の姫様、酔っぱらって色っぽくなった姫様。全部最高っス!」

 

 この時愛姫と蔵人は思った。

 この忍びは今日だけでなく、長期間愛姫の部屋の上で監視していたのだと。

 

 そう思うと、愛姫は寒気が、蔵人は城の警備のザルさに頭を悩ませる。


「ちょ、ちょっと。まさかアンタ、私の独り言とかも聞こえてたの⁉」

 

 顔を赤くして、焦りながら問い詰める愛姫。独り言なので、もちろん聞かれたくない言葉をバンバン吐いている。


「もちろんスよ。何度も銀色の戦服を観ては鼻歌を歌ったり、時には政宗様の悪口も言ってましたね」

 

 意気揚々と喋る忍びに、蔵人は呆れて物も言えない。

 

 忍びとは影。決して表舞台で目立ってはいけない、君主の闇の部分なのだ。

 それなのにベラベラじゃべる忍びを見ていると、同盟国の忍びとはいえ頭が痛い。


「もうやだ……、聞きたくない」

「何言ってるんスか、別に恥ずかしがる事ないっスよ。胸なんて大きくなくていいんスよ、邪魔なだけっス」

「――――!」

 

 頭から蒸気が出そうなくらい恥ずかしい。ここにいる義姫や喜多などを見ると、ついつい自分もと欲を持ってしまう。

 ついでに政宗から質素と呼ばれたのをまだ根に持っていて、見返してやろうと日々努力していた。


「もう黙んなさいよ……」

「そういえば、姫様もうぶな所あるんスねぇ。あれだけ嫌々言ってたのに、急に『アイツもよく見れば、かっこい――』」

 

 それ以上はいけないと思ったのか、焦った愛姫はお打を睨みつけ、攻撃態勢に入る。


「もう黙れって言ってんの、アホンダラぁぁ!」

 

 怒号と同時に、部屋の外まで吹っ飛ぶお打。

 部屋を取り囲む忍びも、急な出来事に驚いてしまった。


 ――――――――――


「ん……」

「あ、起きたみたい」

 

 布団で寝ていたお打を囲むのは、輝宗、政宗、そして愛姫だ。


「わ、わちきは――イテテテ……」

「ごめん……、つい蹴っちゃった……」

 

 お腹を押さえるお打。まだ痛みは残っているようだ。


「お打とやら。事情は愛より聞いておる。これを清顕殿に渡されよ」

 

 渡されたのは書状だ。そこには現在の伊達と愛姫について書かれていた。


「お主が渡せば、清顕殿も安心じゃろうて」

「申し訳ありません、輝宗様。お手数おかけしましたっス」

 

 書状を受け取ったお打だが、表情は芳しくない。


「どうしたの? まだ痛む?」

「違うっス。ちょっと考え事をしただけっス」

 

 そう話すお打の瞼からは涙が零れる。


「姫様の会話の中には、田村やわちき達の事は出てこなかったなぁって。記憶を無くされたのは本当なんだと、ちょっと悲しくなっただけっス」

「アンタ……」

 

 涙の訳に、少し心を痛める。記憶に関してはどうしようも出来ない。

 何か出来ないかと考える愛姫。


「そうだ。政宗、後ろにある筆貸して」

「ん? 何に使うんじゃ?」

 

 良いから良いから、と筆を受け取ると、輝宗の書状を開き、愛姫も直筆で文字を書き足す。


「これ愛、何をしとる」

「まぁまぁ……、これで良しっと」

 

 書状には「追記。お打(ずん)は私が貰い受ける。愛姫」と書かれていた。


「姫様⁉ これはどういう……」

「どうもこうもない。アンタは今日から私の舎弟しのびよ。精々精進しなさい」

「――――! 姫様ぁぁ……」

 

 嬉しすぎて、愛姫の膝で泣き崩れるお打。愛姫はそっとお打の頭を撫でた。

 

 その後一度田村に戻り、数日後、再び伊達にやって来た。


「姫様。今日からお世話になりまっス! 後これ、殿からっス」

「んー何々……」

 

 そこには要約すると「愛へ。たまには帰ってこい。父は寂しい」と書かれていた。


「親バカキモ……、まぁ気が向いたら会ってやるか」

 

 クスリと笑いながら、愛姫は書状をビリビリに破いて外に投げ捨てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る