いざ、初陣!②
左月に怒号された一件から数日。いよいよ迫った政宗の初陣。
上段の間では初陣に先立って、政宗に黒漆塗五枚胴具足が輝宗によって手渡された。個々のパーツの繋ぎ目は濃い緑色にカラーリングされており、兜は政宗を象徴とする三日月型の前立てが施されている。
更には、特注で作らせた中型の拳銃。黄金をふんだんに使った装飾に、家臣たちは眼を奪われていた。
愛姫の隣にいる喜多も、泣いて政宗の成長を喜んでいた。幼少期から乳母として関わり、義弟の小十郎は
本来、政宗の初陣を喜んで上げないといけない立場なのに、儀式の進行を呆然と眺める。
左月に言われた言葉が頭から離れない。命のやり取りが無いぬるま湯に浸かっていた愛華の頃の覚悟など、この世界では所詮お遊びに過ぎなかったのだと。
漫画、ゲーム、教養で得た感覚や知識なんて、ここでは
せめてこの儀式ぐらいはちゃんとしないとね、と作り笑いで政宗に拍手を送る。
甲冑授与が終わると、愛姫はその場をそそくさと退室する。何となく、この場の空気からはすぐに逃げ出したい。
「姫様、お待ちを!」
後ろから声を掛け、付いてくるのは喜多だ。
「若ともっとお話しなされては? 折角のめでたい日、激励の言葉ひとつでも良いかと」
「……ごめん。今日は気分じゃないわ。また後日私からするから」
断ると、まだ肌寒い空気を感じながら自室に戻る。
自室には一人で戻った愛姫。火鉢の側に寄って、寒風で冷えた身体を温める。
「もうすぐ三月だってのに」
冷たい指先を温めていると、外で侍女が誰かと話す声が聞こえる。
「姫様、入ってもよろしいですかな?」
聞いた事がある声。
「どうぞ」
そう言うと、入って来たのは左月だった。
「何?」
「いやぁ、この左月、姫様と飲んだ事がない故。是非とも昔話を
「は?」
早々に退席した自分を叱ろうとして来たのだろうと思っていたが、想定の斜め上に戸惑う愛姫。左月の手には酒の入ったトックリと、
「ささ姫様、まずは一献」
隣に座った左月は、盃のひとつを愛姫に渡す。骨董品系の価値は分からないが、竜の絵柄が入った如何にも高そうな代物である。
「爺、私二十歳じゃないからお酒飲めないよ」
「むむ? はたち?」
左月の顔は疑問の顔に変わる。この時代にはアルコールを飲むのに年齢制限など無い。
(そっか。この時代では、お酒はいつ飲んで良いんだっけ)
「はて? 姫様は酒が初めてで御座ったか?」
変に探りを入れられても面倒だ。ここはさっさと貰っておく事にする。
「頂くわ」
「お――! ささ、どうぞ」
左月のをついでやろうとしたが、自分でついでしまっている。
「では」
盃についだ酒を一気に飲み干す左月。
「か――美味い! ほら、姫様も」
透き通った酒を眺めながら、愛姫も盃に口を付ける。生前と合わせて、初めてのアルコールである。
「うわぁぁ! 喉が焼けそう……」
「ハハハ、姫様には辛口すぎましたかなっ!」
笑いながら、空いた自分の盃に酒をつぐ左月。
「でも、後からほんのり甘くて嫌いじゃないかも」
素直じゃないセリフなのだが、左月の顔は一段と笑顔になる。愛姫は少しずつ、盃の酒を飲み干した。
それからは愛姫の過去を肴に時が過ぎた。明るかった空も、夕焼雲に変わりつつある。
「ほ――、それではその『じどうしゃ』という馬が、姫様の時代では道を走っているのですな?」
「だ――か――ら――、ちらうって! 自動車はへつの塊。生き物じゃないってさっきから言ってるら!」
お酒の飲み過ぎたのか、顔を火照らせながら、左月に自動車について語る。
左月の隣には空いたトックリがあちこちに散らばっていて、二人でかなりの量を飲んだ事が伺える。
「あいやすまぬ。ですが、聞けば聞くほど心躍る話。左月も姫様がいた世界に行ってみとうなったでござる」
「あ――言ったら! じゃあこんろ連れてってあげゆね。左月爺は馬好きなや、競馬場にも連れってあげゆから。キャハハ!」
すっかり
困った顔を見せるが、左月は姿勢を正し、愛姫にお辞儀をする。
「姫様。実は本日、姫様に見ていただきとう品が御座います」
「へぇ?」
「客間にそれはご用意して御座いますので、今から如何ですかな?」
「あん! 行く――」
左月は酔った少女の手を取り、共に愛姫の部屋を退室する。
「ねぇ爺――、まだ――?」
歩きながら左月に聞く愛姫。客間は愛姫の部屋から距離があるため、酔った足だと尚更遠く感じてしまう。
「そこを曲がれば客間ですぞ、姫様。頑張ってくだされ」
千鳥足気味の愛姫に手を貸し、廊下から落ちないようにエスコートする。
角を曲がると、そこには大きな客間があった。中には黒い布に覆われた何かがある。
「さぁ着きましたぞ、姫様」
「ここぉ? 何お、誰もいないじゃない。せっかくぶっ飛ばそうと思ったのら!」
舞い上がる着物の裾、愛姫の蹴りが空を切る。気分が高揚しているのか、誰もいない空間に向かって蹴りを連発する。
左月は、黒い布に隠れた何かを背に座り込む。目線は愛姫の方を、ずっと向いていた。
「姫様。この左月、先日の無礼をお詫びしたい。誠に申し訳御座いませぬ」
深々と頭を下げる。それを見た愛姫は、動くのをやめ、左月の方に視線をやる。
「何れ謝るの?」
「この爺、伊達の安泰を願い、自分の願望を姫様に感情的にぶつけてしもうた。殿の側近の立場であろうに、愚の骨頂にもほどがありますじゃ」
頭に汗を流し、先日の怒号に対して謝罪する左月。鬼と呼ばれた顔は、それを感じさせないほど弱々しく見える。
「あの時の姫様の真意は、伊達を思っての事。それを理解しようともせず、何も知らない愚か者と罵ってしもうた。相手の真意を見定め、外交の鎖とする。政務の仕事をしておりますが、いやはや遂に盲目しましたな」
悲しみの表情の中に残る、微かな笑顔。自分の無礼を笑い、情けないとそう思っているようだ。
愛姫は左月の前まで移動し、そのままストンッと座り込む。いつもの胡坐ではなく、今回は可愛らしい女の子座りだ。
「謝らないでぇ、爺。私が悪かったの。さっきも話したと思うけど、私は喧嘩がしたかっただけ。伊達の安泰なんて、何も考えていなかったよ」
酒が抜けてきたのか、言葉が戻って来る。愛姫は酒の場で、生前の自分が喧嘩に明け暮れていた事を話していた。
「でも、左月爺に怒られてわかった。戦じゃ人は死ぬだよね、それも沢山。これは
「姫様……」
「あ――あ、これでも頭良いはずだったのになぁ。やっぱ学力なんてあてにならないわね。バッカみたい、アハハ!」
両手の指さきを重ね、ツンツンしながら苦笑いをする。愛姫も自分の愚かさを笑っているのだ。
それを見て、左月は少し笑顔になる。
「姫、それでもまだ戦に行きたいと申されるか?」
笑顔の奥に潜む、死の重圧。それでも、愛姫の行きたいと思う意思は変わらない。
「……行きたい。政宗見てたら思っちゃった。私も戦いたい。遊びじゃなくて。伊達を、こんな私に優しくしてくれた人を失いたくないから。私にも守らせて」
「……ふむ」
左月は立ち上がり、厳しい目で愛姫を見下ろす。
「あい、わかった」
「爺……」
また怒らせてしまったかと、心配になる愛姫。
左月は後ろを振り向き、大きい黒い布を被った何かに手を付け、布を剝ぎ取った。
中から姿を現したのは、
下半身は可愛らしさ残したミニスカート仕様。右脚は白いスパッツに似た丈夫な繊維で守られてる一方、左脚は素足をさらけ出す。まるで上品な愛姫と、荒々しい愛華の両面を匂わしているようだ。両脚の脛には、脚を保護する黒い鉄製の脛あてが施されている。
「わぁ――、凄く綺麗……」
「こちらは伊達家代々から伝わる仕立て屋に作らせた、極上の一品。何本も絡み合う特殊繊維は、
「これ、私に?」
コクリと頷く左月。
「戦の許可が降りぬのはわかりきっていた事。じゃが、娘を打ち負かした事に偽り無し。いつかそんな日が来るやと思い、以前から作らせておったのです。まさか、こんなに早く姫様に渡す日が来るとは、爺は思いもしませんでしたぞ」
健やかな風が通り抜けるような、そんな笑顔だ。さっきまでの厳しい表情ではなくなっている。
「戦の件、殿には爺から話しておきますぞ。姫様は安心して戦場を駆け巡られよ。じゃが、約束じゃ。無理はせんと」
そう話す左月。しかし、愛姫の眼は戦服に向けられている。
愛姫は銀色の戦服へ吸い込まれるかのように移動し、突然自身が着ている服を脱ぎだした。
「ひ、姫様⁉ 何をしておられる⁉」
スルスルと肌と着物の繊維が擦れる音。左月は愛姫の肌を見まいと、顔を隠している。
「どう爺、似合う?」
おお、と左月は眼を奪われる。銀色の戦服を纏った、桃色の髪をした少女。その姿は戦場を駆け巡る女神を予感させる。
「乱世に咲く、一輪の蓮の花の如し。其方こそ、真の『伊達者』よ」
左月は似合うと同時に、愛姫の活躍を予感した。
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