第三話 いざ、初陣!①

「絶景! 絶景! 絶景かな!」

 天正九年三月。陸奥国むつこく伊具郡いぐぐん矢野目。麓に本陣取った伊達輝宗は、相馬に攻め取られた小斎城、金山城、丸森城を奪還すべく着々と準備を始めていた。

 そんな中、一人の少女は大きな岩に登り、周りの景色を楽しんでいる。

 

「喜多さん、あれが――」

「はい、姫様。政宗様の初陣相手、相馬の軍に御座います」

「うわ――すっご、何人いるのよ⁉」

 相馬勢の兵力は推定二千。対する伊達は六千と兵力では圧倒的有利な立場であった。

 そして陣中では、各軍大将と軍師を集めての軍議が行われていた。

 

「――であるからして、先陣の左月に相馬を森に引き付け、後方からは孫兵衛、横からは――」

「んな事を今話している場合では御座らんぞ、父上!」

 地図を広げた机を叩き、怒りを露にする政宗。

 ここ居る輝宗やその他家臣達も、何故政宗が怒っているのかはわかっていた。その原因の元を作った輝宗へ一斉に視線が送られる。

 

「な、何をそんなに怒っておる」

 いつもの覇気が無い、困惑した返答。そんな答えに、政宗の怒りは更に高まる。

 

「だ、か、ら! 何故めご戦場ここにいるかと聞いておるのです!」

「…………」

 黙り込む輝宗。本来輝宗も、愛姫を戦場に連れてくる予定は無かった。

 が、その計画が崩れたのには理由があったのだ。

 


 ときは少し前に遡る。

 喜多に模擬戦で勝利した愛姫は、政宗の初陣に参加するための許可を貰いに行った。

 

「へいへ――い、おっ殿様!」

 侍女の許可を取らず、輝宗の部屋の戸を開ける愛姫。

 急に入ってきた事でビックリしたのか、輝宗は含んでいたお茶を吐き出す。残念な事に、吐き出されたお茶は目の前にいる家老へ吹きかかった。

 

「あら、左月爺もいたの」

「…………」

 顔にかかったお茶を布切れで拭く家臣。名は鬼庭良直おににわよしなお。家督を嫡男である綱元つなもとに家督を譲ってからは、隠居し左月斎と名乗った。それでも現在は、輝宗の側近として政務にあたっている。

 輝宗も口周りについたお茶を拭きとる。

 

「全く、何用じゃ愛」

「何用じゃ、じゃないわよ。その場で初陣に同行する許可貰うつもりだったのに、いつの間にかいなくなってるんだもん」

「ああ、その話であったか。まぁ座れ」

 立ったままの愛姫を座らせて、輝宗自ら茶を作る。見事な手前に、一国の領主としての風格が現れる。

 それに答えようと、愛姫もきちんした姿勢で臨む。生前の茶稽古が、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 

「よいお手前で」

「そうか」

 茶の味も独特の香りがあって良い。少し苦いが、これが先人の嗜んだ味と思えば少しだけ得をした気分になる。

 

「初陣に許可? まさか、姫様⁉」

「そう、喜多さんに勝ったの! これも左月爺のおかげよ。ありがとう!」

 左月にブイサインと満面の笑顔で答える。

 実は喜多に苦戦している愛姫に、小太刀をこっそり勧めたのはこの左月である。

 攻め一辺倒だったスタイルに、防御の大切さを教えた。女性で長い刀や槍を扱うのは難儀だが、小太刀ぐらいであればある程度扱える。

 さらに、小太刀は攻撃面では刀に劣るが、防御面では非常に優秀であるため、愛姫にはもってこいの武器でもあった。

 

「殿、この話は誠ですかな⁉ 娘の喜多を打ち負かしたと」

「……うむ。この話を丁度お主に話そうと思ってた所じゃ。」

 左月と妻であった直子の間に生まれた子が片倉喜多。その後、左月と直子は離縁。直子は片倉景重かたくらかげしげと再婚し、生まれた子が片倉小十郎である。

 

「くくっ……」

「?」

「ぬははは! 本当にあのじゃじゃ馬娘に勝ってしまうとは。いやぁ殿、一本取られましたな」

「左月、笑い事ではないわ」

 余計な事をしてくれたと、左月を横目で睨む。しかし、輝宗と左月も、まさかこんな短期間で喜多に勝つとは思ってもみなかったのは確かである。

 それ故、模擬戦を見ていた輝宗はこっそり自室に帰って来たのだが。

 

「それで殿様、政宗の初陣に行くの許可してくれるんでしょ?」

 日輪のように輝く笑顔。輝宗は頭を掻きながら、重々しく口を開く。

 

「駄目じゃ」

「ん? 聞こえなかった。もう一回言って」

「駄目じゃ。やはり愛は連れては行けぬ、諦めい」

 その笑顔に刃を入れる事は非常に心苦しいが、輝宗も心を鬼にする。その答えに、当然顔色を変える愛姫。

 

「はぁ? 約束が違うじゃない! 勝ったら連れて行くって――」

「連れて行くとは言っておらん。『考えておく』と言ったのだ!」

 言った、言わないの口喧嘩が始まる。見ていられなかったのか、左月が話に割って入る。

 

「殿、喜多を打ち負かした姫の武勇、我が軍に加われば相馬との戦、ぐっと勝率は上がるやかもしれませぬ」

「流石は左月爺、わかってるぅ」

「左月⁉ 貴様……」

 輝宗の眼光は先ほどよりも鋭くなる。その眼圧から放たれる覇気は、眼を見ていない愛姫も感じるほどだ。

 しかし、左月は一度頷き、愛姫の方に顔を向ける。

 

「が、しかし姫様。儂も姫様の同行には賛成いたしかねますな」

 味方だと思った左月の苦い言葉に、愛姫の表情は曇る。

 

「何でよ。左月爺も私の実力認めてくれたんじゃないの⁉」

「確かにこの左月、姫様のお力お認め申す。ですが、もし戦場で何かあった場合どうするおつもりか。姫様は戦場を甘く見過ぎておりますぞ!」

 左月の眼。それは今まで見たことがない、甘さを捨てた戦人のまなこである。

 あまりの威圧感に、愛姫は気持ちが一歩引いてしまう。

 

「やばくなったら逃げるわよ。死ななきゃ良いんでしょ」

 弱々しいセリフ。普段の愛姫であれば絶対に言わない、言うわけない言葉。それだけ、二人からの圧は凄まじいのだ。

 

「逃げる? フフフ、ご冗談を。簡単に敵が弱腰の獲物を逃がすとお思いか。『獅子欺かざる力』、そうなれば姫様は一瞬で終いですぞ」

 獅子あざむかざる力。獅子は、兎を仕留めるにも全力を尽くす。という意味である。これは、後に敵対する越後の知将、直江兼続の名言である。

 

「仮に逃げたとしても、その代償はお分かりか? 姫様を逃がすために、沢山の兵が死にましょう。それだけ敗走とは重いのです。姫にそれが背負えますかな」

 敗北、死、憎しみ。負ければすべてを背負う。今までの野良喧嘩では絶対に感じる事のないプレッシャーに、愛姫は押し潰されそうになる。

 

「で、でも――」

「でもも、へちまも御座らん。兵は姫様の一時の我儘わがままの駒ではありませんぞ!」

 左月の怒号が部屋に響く。それだけ、愛姫の甘い言葉に怒っているのだ。

 

「それに姫様は若の跡継ぎを産む大事なお身体。伊達の未来の為にも、どうか諦めくだされ」

 最後にそう諭すと、深々とお辞儀をする左月。

 言われっぱなしで悔しさの余り、下唇を噛む。涙目になりながらも、涙なんて見せないと自身を鼓舞し、立ち上がる。

 

「あ――そうですか、そうですか。わかったわよ、言いたい事はよ――く分かったわ」

 やられっぱなしは性に合わない。やられたら倍返し。それが愛姫の座右の銘のひとつである。

 

「だったらここで一番強くなってやるわ! それで良いでしょ、この嘘つき分からず屋盲目ちゃんちゃら爺共!」

 そう捨て台詞を吐くと、戸を勢いよく開けて、その場を去る。ドスドスと怒りを伝える足音が、廊下だけでなく部屋まで響く。戸は勢いの余り外れてしまって、中が丸見えだ。

 

「左月、言い過ぎじゃ」

 とため息を付く輝宗。

 

「も、申し訳ありませぬ。つい強く言ってしもうた……」

 左月も自身の発言を反省する。

 

「だが、これで良い。愛の戦場せんじょう戦場いくさばではない」

 顔を上げる左月。その顔は真剣そのものだ。

 

「もしや、それほどまで……」

「うむ、今回戦の結果次第では事を早めなければならないかもしれぬ」

 二人にしか分からない空気が、その場を支配する。

 と同時に、一人の女性が現れる。

 

「なんじゃこれは。獣でもいたのですか、殿」

 現れたのは苦笑いをした義姫。数人の侍女を連れて部屋に入ってくる。

 

「獣だったら楽じゃったんだがな」

「…………?」

 輝宗は事の事情を義姫に説明する。すると、義姫は突然笑い出した。

 

「ホホホ、あの愛姫がそんな事を。政宗は随分と勇猛な娘を嫁に貰ったもんじゃの!」

「義姫様、笑い事では御座らん……」

「あいやすまぬ、そんな暴れ馬が嫁だと今後の伊達家、ますます心配になってしもうた。やはり跡継ぎは、次男の小次郎が良いかもしれんの」

 後半の言葉に反応する輝宗と左月。義姫は口が滑ったと、扇子で口元を隠す。

 

「じゃが、左月よ。お主、何か勘違いしているの」

「え?」

「確かにわらわと愛姫は政略結婚で伊達家に嫁いだ。世継ぎの子を孕むのも正室の大きな仕事かもしれぬ」

 隠れた表情からは何も分からなかったが、扇子降ろすと軽蔑の顔が露になる。

 

「だが、女はそなた等の都合のいい種馬では御座いません。あまり舐めていると、塩だけでは済まんと心得よ」

「ぎょ、御意!」

 言葉の重みを左月は知った。それは、いつでも伊達家に兵を送れる事を意味する。

 出羽国もうひとつの巨大勢力、最上もがみ家。義姫は最上から政略結婚で嫁いだ女性であり、その当主最上義光もがみよしあきは義姫の兄である。

 連絡ひとつで、いつでも攻めると言っているのだ。

 

「左月、席を外せ。わらわは殿と話があるでな」

「ははっ!」

 そう言うと、脂汗を掻いた左月はすぐさま退室する。その場にいるのは、輝宗と義姫だけとなった。

 

「それで殿、先ほどの左月の無礼、解消する良い提案があるのじゃが」

「な、なんじゃ」

 耳元で声が漏れないように話す義姫。輝宗の顔は急に青ざめる。

 

「な、なんじゃと⁉」

 この提案こそ、愛姫が戦場に行けた理由である。

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