覚悟②

 出羽国米沢近郊の資福寺しふくじ

 約一年後に迫る政宗の初陣に備え、寺側にある竹藪で稽古に励む男が二人。政宗と小十郎である。

 

「せいっ! はっ!」

「むむっ」

 ぶつかり合う、互いの木刀。乾ききった音が、周りの空気を振動させる。

 

「それで終わりでございますかな、若?」

「阿呆が、まだまだこれからよ!」

 全身汗だらけで懸命に木刀を振りかざす政宗に対し、涼しい顔で受け流す小十郎。誰が見ても力の差は圧倒的だ。

 

「若、もっと力を抜きなされ。力むと何も良い事はありませんぞ」

「わかっておるわ!」

 頭では理解しても、汗ひとつ掻かない小十郎を前に、力みは更に加速する。それを感じ取ったのか、小十郎の一太刀は政宗の木刀を天に仰がせた。

 疲れからか、地面に片膝を付く政宗。天に飛んだ木刀は、そのまま数歩隣に落下する。

 

「はーはは! 政宗、小十郎。そろそろ休憩にせんか」

「そうですね。若、休憩にしましょう」

「…………」

 竹藪から現れた見た目が坊主の男。名は虎哉宗乙こさいそういつ。政宗の学問の師であり、臨済宗妙心寺派の僧。後に『天下の二甘露門にかんろもん』と称される男である。

 ここ資福寺は政宗が幼少の頃から、文武の学び場としており、元服してからも稽古場として度々使用されていた。

 坊主が持って来た茶を飲み干すと、政宗は木刀を持って立ち上がる。

 

「休憩終わりじゃ。儂は少し素振りをしてくる。小十郎は、もう少し休んでおれ」

「御意」

 政宗はそのまま、数十歩先で素振りを始める。

 

「小十郎。政宗はどうじゃ?」

「力みはまだまだありますが、目まぐるしく成長しております。特にここ最近は」

 言葉に意味深さが残る。宗乙も「ん?」と聞き直した。

 

「姫様の影響が大きいのでしょう」

「話は聞いておる。初陣に参戦するとか申しておるそうじゃな。フォフォ、義姫様もそうじゃが、伊達に嫁ぐ姫様はなんでこう……」

 顎を擦りながら、困った表情で喋る宗乙。同感と、小十郎も首を縦に振る。

 

「で、本当に連れて行くのか? 小十郎」

「まさか。今は義姉上に全て任せております」

 茶を飲みながら、そう話す。

 

「そうか、喜多にか」

「義姉上を負かす事が出来れば、戦に出す事を考えると」

 すると、宗乙の顔が微笑む。

 

「フォフォ、あの喜多にか⁉ 小十郎、お前喜多を負かすのに何年かかったか」

 小十郎が輝宗の徒小姓になるほどの実力を付けたのには、義姉の指導の賜物であった。輝宗が喜多を侍女として置いていた理由のひとつでもある。

 頭を掻き、言いにくそうな表情をする小十郎。

 

「小十郎、いつまで休憩しておる! はよ相手せい」

 奥で名前を呼ぶ声が聞こえる。小十郎は宗乙に断りを入れ、その場から立ち上がる。

 

「確か五年であったか」

 そう坊主は小声で呟いた。

 


 時は同じく、米沢城の別館にある道場。

 そこには同じく汗を流す二人の女性がいた。

 

「ハッ! セイッ!」

「…………」

 桃色の髪をした女性の蹴りを、木の棒で軽く受け流す。動きもしなやかで、まるでスケートリンクで滑るかのように滑らかな動作だ。

 息ひとつ切れない棒を持つ女性に対して、蹴りを何回も繰り出す女性は息が上がっている。

 

「ハァハァ、これで!」

 渾身の回し蹴りは空を蹴り、胸元に棒先が触れる。痛いと思いきや、棒先には布が丸く縛られており、衝撃を与えないように工夫されている。

 蹴りを繰り出した少女は「あっ」と声が出る。

 

「今日も私の勝ちでございます、姫様」

 棒を華麗に扱っていたのは、愛姫のお付きである喜多。笑顔で、相手の胸元に突き刺していた棒先を離す。

 

「喜多さん、もう一回!」

 手を合わせてお願いしている汗ビショビショの女性、愛姫である。片目を閉じて、喜多の表情を伺う。

 

「はぁ……、駄目です。この後はお風呂に入ってから、茶の稽古をする約束のはずです」

 駄々をこねる愛姫を引っ張って、風呂場に無理やり連れて行く。

 汗臭い身体と髪をお湯で流し、湯船に浸かる。

 

「あ――いぎがえる――」

 熱々の湯船の中では、稽古で得た緊張など一気に吹き飛ぶ。口元まで湯船に浸かり、まるで蛙のようにお風呂を満喫する愛姫。

 湯船に浮く柑橘系の果実の香りが漂い、リラックス効果を堪能する。

 しばらくすると、風呂場の扉が開く。喜多だ。

 

「姫様、お背中を流しと御座います」

 愛姫は湯船から上がると、風呂にある湯椅子へ座る。

 本来、身体ぐらい自分で洗えるのだが、毎度断るたびに喜多か違う侍女に洗われるので諦めてしまった。

 

「今でも若の初陣に参加したいと思っているのですか?」

 唐突の質問だ。だが、愛姫の気持ちは変わらない。

 

「もちろんよ。『喜多に勝ったら』出陣許可を貰えるんでしょ。殿様も解ってるわね」

 喜多や小十郎やに話しても駄目だったので、直接輝宗に直談判した愛姫。

 当然断られた。それでも入室時、飯時、就寝時、入浴時としつこく交渉した。その結果、「喜多に勝つことが出来たら考えてやる」と約束して貰ったのだ。

 はぁ、とため息をつく喜多。愛姫も愛姫だが、殿も殿だと思っている。

 

「全く、人の気も知らないで。お二人とも勝手が過ぎます」

「でも、今の所全く勝てる気がしないわ。こんなの初めてよ」

 生前、護身術という名目で習っていた賜物。喧嘩で強くなりたいからと言えば、反対されるのはわかっている。

 理由なしに喧嘩を吹っ掛ければ、それはただの俗物である。だから愛華は、危険が漂う有名なヤンキー校に足を踏み入れたのだ。

 有名な拳法家を金で雇い、習得した蹴り技を受け止められる高校生はいない。全戦全勝で、実質ヤンキー校のトップにもなった。

 それがこの時代に来てみれば、女一人に勝てない。悔しさもあるが、それ以上に喜びの方が大きい。

 

(この世界には、喜多さんクラス、それ以上の奴がウジャウジャいる)

 そう考えただけで、武者震いが止まらない。早く戦いたい。戦闘での緊張感を、身体が欲しているのだ。

 たっちゃんに刺された件はどうかって? あれはノーカンだと思っている。

 

「いえ、姫様の蹴り技も見事で御座います。どこであの技術を?」

「ん――、内緒」

 意地悪な愛姫に、「もう!」と顔を膨らませる喜多。非常にイジリがいがある。

 綺麗に身体を洗い終えると、再び湯船に戻る。

 座っているだけの喜多を見て、一緒に入ろうと提案する愛姫。「それでは」と脱衣所行った喜多が帰ってくる。

 

(相変わらずデカイ)

 思わず自分の胸部を確認する。愛姫も別に小さくはない。年相応であり、まだまだこれからだろう。

 それを入れても、喜多のは大きい。これでまだ独身だというのも罪である。

 愛姫の視線に気が付いたのか、喜多はもう一段深く潜り、豊満な胸部を隠してしまう。

 

「あっても邪魔なだけですよ」

「ある人は皆そう言うけどね」

 意外と恥ずかしがり屋なんだな、と喜多の予想外な一面を目撃する。

 

「先ほどの続きですが、姫様は怖くないのですか?」

 湯船に浸かって、顔がほんのり赤くなった喜多は話題を戻す。

 

「戦場に行くのが?」

「はい」

「どうかな。行った事ないからわからないかも」

 適当に聞こえたのか、喜多の顔は鋭くなる。

 

「血が大量に流れるのですよ。五体満足で帰れないかもしれない、最悪命を落とすのですよ」

「わかってる」

「わかっておりませぬ! 姫様は戦場に行くため伊達家へ嫁いだ訳ではありません!」

 厳しい言葉。お付きである喜多にとっては当然だ。

 

「それもわかってる」

 愛姫も馬鹿ではない。一番は伊達家との同盟。愛姫の実家である田村家は蘆名あしな相馬そうま佐竹さたけ家などから侵略を度々受けていた。そのため同盟でもあり、伊達からしてみれば、それらを抑え込む足場にしたいと考えていた。

 もうひとつは子を産む事。特に正室から産まれた男児とは、家督を継ぐ上でとても重要なのである。

 ここまでは、空いている時間に喜多から何度も教えられた事だ。この時代のお姫様とは、そういうポジションなのだと。

 

「だから私は自分のやりたい事をやるの!」

 喜多の両肩を掴み、お互い正面を向き合わせる。

 

「伊達との同盟? 上等。私に何もなければ良いんでしょ」

「姫様……」

「政宗との子供……は、とりあえず置いといて」

「姫様?」

 せっかく良い流れだったのに、一瞬喜多の表情が曇ってしまう。

 

「兎に角、私はお世話になってるみんなのために、一緒に戦いたいの。男と女の違いなんて、子供を産めるか産めないかの違い位しかないんだから」

「結構重要ですよ」

「そうなのかもね。でも、私からしたらその程度。足枷あしかせにもならないんだから」

 愛姫が放つ真っすぐな瞳に、喜多は自分の心が奪われてしまうぐらい引き寄せられているのを感じ取った。

 それでも『お付き』という足枷が喜多を縛る。

 

「ですが……」

 頭の固い喜多に、愛姫の堪忍袋の緒が切れる。

 

「だったら片倉喜多、アンタが私を守りなさい! 私が死ななければ問題ないんでしょ⁉ これは伊達の姫としての命令よ」

 勢い余って余計な事を言ってしまったと後悔する。が、喜多の顔は何故かうっとりしていた。

 

「……はい」

 喜多の眼の前には、かつて側にいた輝宗の残像が映し出される。愛姫の勢いと輝宗を重ね合わせた。

 のぼせたのか、顔が赤い喜多と風呂を出る愛姫。「大丈夫?」と声を掛けながら部屋に戻ると、部屋の中に女性と連れの家臣がひとり座っていた。

 

「あら、遅かったじゃない。あまり待たせるものではなくてよ」

 鋭い目つきをした女、義姫である。

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