第二話 覚悟①
「喜多さん⁉」
白装束を羽織った喜多を見て、動揺する
そしてもうひとり、喜多の登場で激しく動揺している家臣がいた。
「何をやっているんです、
「勿論じゃ小十郎。此度の姫様の非行は、お付きである私に責任がある」
喜多は持って来た短刀に手を掛けると、それを見た小十郎は立ち上がる。
「来るな、小十郎! 近づいたら即刻この首を搔っ切る!」
抜いた短刀を向けると、小十郎は動けない。喜多はやると言ったらやる、それぐらい覚悟のある女性だと、小十郎は重々わかっていた。
喜多は愛姫の方に身体の向きを直す。
「申し訳ありませぬ、姫様。先ほどのお話、廊下で盗み聞きしてしまいました」
さっきの話とは、愛華が死んでから愛姫に生まれ変わるまでの話である。
「そのようなおとぎ話、皆に全て信じろと言うには無理が御座いましょう。ですが、喜多も全部を信じられないわけではありません」
「喜多さん……」
「
不思議と喜多の顔は笑っている。さっきまでの決死の顔が嘘のようだ。
「ですが姫様。本当に何も憶えていないのですか⁉ 何故若様と夫婦の関係になっているのかを。田村家の今の状況を。そんな事もお忘れになったのですか?」
喜多の言う通り、愛姫には火葬前の記憶はない。あるのは愛華としての生前の記憶。未来の日本に住んでいた記憶だ。
裕福な家庭に生まれた事。
喧嘩が好きだった事。
ずんという舎弟がいた事。
戦国時代の話が好きだった事。
伊達政宗は嫌いな事。勿論この事は話していない。
「ご実家で培った琴の音、共に作ったずんだ餅、月夜で語った蓮の花……」
「ごめん、喜多さん。本当に憶えてないのよ」
「……さようでございますか」
喜多は短刀を自分の首元に当てる。
「喜多さん、何を⁉」
「もう姫様は、今の愛姫様は以前とは別人なのですね。これも喜多の責任。死んでお詫び申し上げます」
涙を流す喜多はそのまま瞳を閉じる。
「やめろ、義姉上!」
小十郎の声は届かない。短刀の刃が首に食い込む。
「――――!」
鈍い音と同時に、喜多の持っていた短刀が天井に突き刺さる。
愛姫は、喜多が瞳を閉じた瞬間に動き、短刀を握った手を目掛けて右足を振り上げていた。
「姫……様……」
「足蹴りにしてごめんなさい。手はこの通りなのよ」
愛姫は喜多に、縄で拘束された自身の手首を見せる。
そして、腕で作った輪を喜多に通し、抱きつくように身を任せる。
「こんな死に方ダメ。お願いだから落ち着いて」
「……」
「片倉家には気高き『
「――姫様⁉」
喜多はかつて、愛姫に片倉家の定めについて話した事を思い出していた。
喜多と小十郎に流れる忠節の血は、伊達家を一生を尽くし、何があっても裏切る事はないと。そう語ったのだ。
その話を憶えてくれていた事で、喜多は確信する。
今目の前にいる愛姫は、確かに以前の姫ではないが、全く別人ではないのではないかと。そう思うと、心が楽になる。
変わって愛姫はというと、漫画で描いてあったセリフを思い出しただけである。印象深いセリフだっただけに、ずんにふざけ半分で忠節を誓わせたのを思い出した。
「姫様――、申し訳……ありませんでした……」
「うんうん、分かればよろしい!」
腕を喜多の身体から解き、笑顔で答えて見せる。喜多は、自分の非行を詫び、その場で土下座をする。
愛姫は立ち上がると、目の前にいる輝宗の方を見つめる。
「さぁ殿様、私を斬りなさい」
「むぅ⁉」
突然の行動に、その場にいた皆が驚く。喜多はすぐに顔を上げた。
「姫様⁉ 何を⁉」
「喜多さんにそこまでの覚悟見せられたら、私も見せないとね」
座っている喜多の方を振り向き、余裕のウィンクを見せる。
だが、それとは裏腹に、身体は震えている。舌を噛んで、斬られる恐怖を我慢するのを必死に抑えようとするが、そう簡単ではない。
「言い残す事は無いか?」
輝宗は愛姫に問う。
そうねぇ、と悩んだ挙句、政宗の方に顔を向けた。
「蹴ったりして悪かったわね。まぁ精々、天下人の番犬を頑張りなさいな」
言いたい事は終わったので瞳を閉じる愛姫。
そう捨て台詞を吐かれた政宗は、輝宗を止めようとする。
「親父待て! 儂は愛と話が――」
青年の決死の呼び止めも空を切る。輝宗の一閃は、確かに愛姫の身体を貫通したように見えた。
ポトリッ。
恐る恐る眼を開けると、落ちたのは愛姫の首……ではなく、手首を拘束していた縄だ。それ以外は斬れていない。
「……えっ?」
刀を閉まった輝宗は、自分の上座に戻り座り直す。その顔には疲れた表情が現れている。
「ふん、つくづく阿呆共が」
「政宗! そもそもは貴様と愛の不仲が原因じゃ。次期当主を目指す上で、家臣や民どころか、一人の妻も纏められないとは。恥を知れ!」
「御意!」
あの血気盛んの政宗が、素直に頭を下げている。それだけ輝宗の存在は大きいのだ。
次に扇子の先は、喜多の方を向く。
「次に喜多よ! たかが夫婦喧嘩に、他人が口出す必要無し。蛮行も、避けられぬ政宗が鍛錬不足」
「お殿様……」
「このような喧嘩なんぞ、我らも日常茶飯事だったわ。のう、お
輝宗は参列していた一人の女性を見る。
この女性の名は
「殿の言う通りじゃぞ、喜多。お付きとはいえ、そなたは殿の元侍女であろう。わらわと殿との喧嘩に比べれば可愛いではないか」
義姫は隣にいる青年の頭を撫でながら、呆れた顔で返答する。
輝宗と義姫の仲は良好だったが、いざ喧嘩が始まると、義姫は得意の薙刀で輝宗に刃を向けた。その都度、家臣達は手を焼いたという。
そうでしたね、と喜多は苦笑する。
「それに、
義姫に頭を撫でられる青年の名は
(何だコイツ、嫌な母親。政宗はアンタの息子でしょうに……)
そう愛姫は思いながら政宗を見ると、下げた頭からチラリと義姫を見つめていた。
力強い眼差しだが、どこか寂しさを感じさせる視線。そんな感じだった。
「ゴホンッ、最後に愛よ」
「は、はい」
不意な振りに驚く愛姫。場の重い空気を断ち切る、良いタイミングでもあった。
「これまでの蛮行。同盟婚とはいえ、伊達の若君を侮辱した罪は重い」
「…………」
「また、未来から参ったなどと、おとぎ話で済ませようとは。それらを含め、始末もそう簡単ではない」
「…………」
「だが、喜多の自決を阻止し、己の覚悟と詫びを示したのは……役目大儀と言えよう」
「じゃあ……」
「これまでの件なかった事にする。これからも伊達家の為に励むがよい」
笑顔でそう締めくくる輝宗。
その言葉を聞いて、安堵する喜多と政宗。他の家臣からも安堵の声が聞こえる。
しかし、その逆も存在する。言葉にはしないが、輝宗の決定を不服と匂わせる空気が、確かにこの空間には存在した。
(家中分断か……。原因は恐らく、あの二人。どうやら退屈しないで済みそうだわ)
迫りくる内紛に胸を躍らせながらも、愛姫と政宗の夫婦喧嘩は一旦落着する。
「姫様、申し訳ありませんでした!」
愛姫がいる米沢城別館。
頭を深々と下げる喜多と、隣にはもうひとり。義弟の小十郎だ。義姉の愚行を詫びたいと、同席しているのだ。律儀な男である。
「だからもう良いって……」
「そうもいきませぬ。姫様に救って頂いた義姉上の命。この小十郎、なんと詫びたらよいか」
こういうタイプは面倒くさい。生前もいじめられっ子を助けた時に、しつこく何日も後を付けられたもんだ。当時はそいつが男だったために、毎日付いてくる様を見て、当時彼氏と噂をされた。火消しにも、骨を折った記憶がある。
「じゃあ、この辺りで有名な茶菓子を集めて持ってきて。それで許してあげる」
「――御意で御座います! 配下の忍びを使って、一帯の茶菓子を集めさせましょう」
そこまでしなくて良いんだけどなぁ、と思う愛姫。隣では喜多が笑っている。
「ふふ、姫様は本当に甘味がお好きなんですね」
「糖分は女にとって、最高のご褒美よ」
生前の愛華では、日本各地から海外の有名スイーツまで手を出すほど、甘い物に目がなかった。
「姫様。義姉上から事情は伺っております。家中の事については、この小十郎に何なりと。拙者であれば、殿や若に顔が利きますゆえ」
非常に準備が良い。流石は『伊達の鬼軍師』と呼ばれるだけはある。
色々聞きたい事はあるが、今は溜まったフラストレーションをさっさと放出したい。
「じゃあひとつ。政宗の初陣、私も行くから」
「…………え――⁉」
流石は義姉弟である。息がピッタリだ。
ここからが愛姫に生まれ変わった愛華が描く、新戦国物語の始まりである。
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