伊達の姫③
「あーあ、やっちゃった……」
少量な声でもここでは響く。湿度が高く、明かりがほとんど無い石製の牢の中で、手を縛られ、半分自由を奪われた少女。愛姫だ。
ここは城の地下にある牢屋のひとつ。敵国の兵士や人質を入れておく牢とは別の、自国で謀反や犯罪を犯した者を入れる小規模の牢だ。
中にあるのは、古ぼけたごさが一枚に木製の机がひとつ。それ以外は何もない寂しい所だ。
「あーもう、何で私はいつもこう……」
何故愛姫がこんな所にいるのか。それは少し前に遡る――。
「私の夫? アンタが?」
高笑いした青年は確かにそう言った。
(じゃあ私は愛姫って女の子に生まれ変わって、同時に伊達政宗のお嫁さんにもなったって事?)
愛姫はようやく自分の立場を理解出来た。と同時に、もうひとつの現実に直面する。
(って事は、今は戦国時代末期ってことじゃない!)
愛華が生まれ変わった世界は未来ではなく、過去の時代で生まれ変わった。これらの事実は、悩ませる材料として十分すぎた。
「何難しい顔をしておる」
(難しい顔だってしたくなるんだよ。コイツには理解出来ないだろうけど)
戦争がほとんど無く平和の世界から、領土を奪い、天下統一を目指す修羅の世界に放り込まれたのだ。気持ちの整理だって簡単ではない。
今いる世界は、人がどんどん死ぬ世界。生半可な覚悟では、到底生き残れない。喧嘩で済んでた元の世界とは違う。
「ははーん、わかったぞ。
「ヤブ?」
愛姫が病で倒れている時に担当していた薬師の事だ。詳しい内容は喜多が説明する。
「奥羽随一の名医と聞いて愛を任せたものの、とんだヤブ医者だったわ」
「そのヤブ……、じゃなくて先生は今何処にいるの⁉」
その医者に詳しい話を聞けば、この世界に生まれ変わった原因が分かるかもしれない。もしかしたら、もう一度元の世界に戻れるきっかけを作れるかもしれない。
そう期待して政宗に聞いたが、返ってきたのは絶望な答えだった。
「おらん」
「え?」
「おらんと言うておる」
「いやいや、だから何でよ」
愛姫は政宗の前まで近寄り、理由を聞く。すると、政宗は笑みを浮かべて話す。
「余がなで斬りにしたからよ」
「は⁉」
血の気が引く。出来れば聞き間違いだと思いたかったので、再度聞く事にする。
「なで斬りって……、アンタ殺したって事?」
「阿呆が。さっきからそう申しておるではないか。嘘だと思うのなら、父上にも聞いてみるがよい」
輝宗の方に顔を向けると、真面目な顔で首を縦に振った。
「政宗の言う通り、愛を診ていた
最悪だ、と肩を降ろす。元の世界に帰れる最後の希望だったのかもしれないのに、見事に打ち砕かれた。
それなのに、未だに高笑いしている隻眼の男。段々怒りがこみ上げてくる。
「だが無事で良かったのう! 愛に纏わりつくドブネズミを追い払ったのだ。褒美のひとつやふたつ欲しいもんじゃ」
冗談交じりでそう話す政宗に、愛姫は顔と顔が当たりそうな距離まで近づいてみせる。
「へぇ、そんなにご褒美が欲しいんだ?」
「な、何じゃ」
あまりに近い距離から放つ、甘い吐息と色気の入った表情。さっきまで威勢の良かった男も、流石に表情が解ける。
その隙を待っていたと言わんばかりに、愛姫は唇を噛みしめ、渾身の回し蹴りを政宗にお見舞いする。
不意に強烈な蹴りを食らった政宗は、部屋の戸をぶち破り、外まで吹っ飛ばされてしまう。
「おつりはいらないわ」
それ現場を見ていた輝宗と喜多は、開いた口が塞がらない。
虫を見るかのように、蔑んだ眼で吹っ飛んだ政宗の方を見る愛姫。
当然この後は、近くにいた家臣達によって無理やり拘束される。
それで今に至るわけだ。愛姫は低い天井を見上げて、先ほどまでの出来事を思い出す。
(頭突き程度で済ますべきだったか)
後の祭りだが、政宗を吹っ飛ばした事を後悔する。だが、あの時感情を押さえられなかった。
「それにしてもお腹空いたなぁ」
この身体になってから数時間経過しているが、ほとんど口にしていない。
(あ、そうだ)
愛姫は胸と肌着の間から茶菓子を取り出す。別館にあった物で、美味しそうだったのでひとつだけくすねていた。
愛姫は茶菓子を頬張る。甘さは控えめだが、豆の香ばしい味が口に広がる。
「この時代のお菓子にしては結構美味しいのね。カロリー気にする人にはもってこいかも。私としては物足りないけどね」
茶菓子を食べながら、今後の事について考える。
(どうしよう。勢いで政宗蹴ったのは、流石にまずったよね)
形式上旦那ではあるが、一国の若君を蹴り飛ばすなど言語道断。最悪処刑は免れない。
(まぁ、その時はその時ね。何としてでも生き残らないと)
持っていた茶菓子を全て食べ終わると、牢の通路から足音が聞こえる。音はバラバラで、恐らく二人以上で歩いているのだろうと推測される。
男の兵士二人は、愛姫が入っている牢の前で止まる。
「殿がお呼びだ、出ろ」
「あらあら」
兵士がひとり牢に入ると、愛姫の手を縛っている縄に、引くため紐を括り付ける。
「ほら、歩け」
「ちょっと、レディに向かってそんな言い方ないんじゃない?」
「れ……でい? 何だか分からんが、付いて来るんだ」
「へいへい」
監視の兵士二人に連れられて、愛姫は牢の外に足を踏み入れる。
兵士の足が止まる。ここはさっき愛姫が政宗を蹴り飛ばした部屋ではなく、それよりも大きな部屋。上段の間と言われる所だ。
「愛姫様をお連れ致しました」
「……入れ」
襖を開けると、奥の上座には輝宗。その隣に、腰掛に座り怒り心頭の政宗。
上座に向かう中央は空けて、その両隣で数十人の家臣と、綺麗な着物を着た女性と青年がいた。青年はその女性の子供だろうか、仲良く喋っていて、こちらには目もくれない。
愛姫は中に入り、上座から少し離れた所で胡坐を掻いて座る。
「姫様⁉ 殿や若の面前で行儀が悪いですぞ!」
真っ先に注意してきた髪の毛がオールバックの家臣、名は
「よい、小十郎」
注意しようと立ち上がった小十郎を、輝宗は一言で静止させる。小十郎はその場に座り直した。
「殿様ありがと。正座って座り慣れてるけど、私あんまり好きじゃないのよね」
「ふん、儂もじゃ」
そう言う輝宗の顔は笑っていない。他にも何か言いたそうな、溜め込んだ難しい顔をしている。
「で、何故じゃ」
「ん?」
「何故、政宗を蹴り飛ばした? それ相応の理由があろう」
そんな理由はひとつ。元の世界に帰るきっかけを知りたかったのに、そこにいる隻眼の男が張本人を殺したからだ。
と言いたい所だが、今この場でそんな事を言っても信じてもらえるのか疑問である。
「虫よ」
「何?」
「虫がいたから蹴り飛ばしたのよ。手で潰すのは気持ち悪いからね。私虫嫌いなの」
それを聞いた政宗は、腰を上げ抜刀の姿勢を見せる。自分の事を虫呼ばわりされたと思ったようだ。愛姫は下を出して、政宗を挑発する。
「この、いい気になるのも――!」
「座れ、儂が愛姫と話をしておる」
刀を抜こうとした政宗を止める輝宗。愛姫は知らん顔でそっぽを向いていた。
「ですが、父上!」
「座れと言っておろうが!」
鬼のようなゲキに不貞腐れながらも座る政宗。空気が一気に凍り付くが、輝宗は話を続ける。
「愛よ、嘘を申すな。儂にはわかる。次は誠の理由を述べよ。でなければ……」
鋭い眼光が愛姫を襲う。素人でもわかる。次に嘘を言えばその懐にある刀で殺されるだろう、そんな眼力だ。
さすがの愛姫も参ってしまい、理由のひとつを話す。
「アンタの息子が、私を診ていた医者を殺したから」
周りの家臣達がざわつく。どうやら家臣達は政宗が医者を殺した事を知らなかったらしい。
「政宗は愛を思ってやった事じゃ」
「それでも人殺しは良くないわ」
喧嘩が好きだった前世の愛華でも、人殺しはした事がない。そんな事に興味もないし、やったら速攻で御縄だ。
輝宗の顔は、まだ納得いかない様子である。
「他にも隠しておろう。言え」
この親父には噓発見器でも付いているのかと思ってしまう愛姫。
仕方ない。ともうひとつの理由……、事情を話すことにした。
愛姫は今までの経緯を事細かく説明する。また疑われても面倒だからだ。
苦い顔と疑いの顔が交差する家臣達。当然だ。こんな反応されるとわかっていたから言いたくなかったのだ。
大きくため息を吐く愛姫。
輝宗は腰に付けていた刀を抜き、愛姫の眼の前に突き出す。
「そのようなおとぎ話、儂らに信じろと?」
嘘は言っていないんだけどなぁ、と思う愛姫だが、どうやら手遅れのようだ。
輝宗の顔は鬼の形相に変わっている。
だが不思議な事に、政宗はどちらかというと驚いた顔をしている。今の話に信じられる要素はあっただろうか。
(だけど、そんな事どうでもいい。今はどうやってこの状況を抜け出すか考えなきゃ)
すると廊下から騒がしい音が聞こえる。
「こら! 止まらぬか!」
「いいえ、止まりません! そこをどきなさい!」
兵士を振り切って部屋に入って来たのは、白装束を着た喜多だった。手には短刀が握られている。
「此度姫様の無礼の数々、この喜多の責任で御座います!」
皆の前で頭を下げる喜多。その顔には涙と覚悟がにじみ出ていた。
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