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「助けてくれてありがとう……なんだけど、ちょっとこのままは恥ずかしいかな……なんて」

 両腕で抱き抱えている雪月が、顔を赤らめてもじもじとしていた。雪月の体は想像以上に軽くて僕に負担は無いのだが、抱えて何処へ連れていくもない、希望通り降ろしてやる。

 ありがとう、と小さく呟いた雪月は、俯きながら乱れたスカートを直している。彼女は見慣れた学生服に、白いパーカーを羽織っていた。降り続く雨に今も打たれ続けているので、服も髪もかなり濡れている。

 僕は雪月が落ちてきた屋上を見上げるが、そこに人影はなかった。ここからは見えないが、まだ屋上にいるのだろうか。気になるところだが、まずは目の前の雪月に視線を戻す。

「雪月、こんなところで何してるんだ?」

「私は噂を確かめようと思って……。あ、噂っていうのはね、街で起きている事件の──」

「その犯人である赤い傘の女のことだろ?」

「流石に知っているよね。学校じゃその噂ばっかり話題になるし」

「ああ、知っているよ。その殺人鬼がいる所で何をしているんだって聞いている」

 僕の声には何故か怒りのような感情が乗っかっていた。先を越されたからか? 分からない。本当に不思議なことに、僕は怒っているようだった。

「灰夜くん、怒ってるの?」

 声を荒げたつもりはないが、雪月は目ざとく僕の心を見抜いてきた。

「そんなことはどうでもいい。更にどうでもいいことだけど、雪月はなぜ僕のことを下の名前で呼ぶんだ? そんなに親しくなった覚えはないが」

「ご、ごめんなさい。つい……」

 恥ずかしそうに俯くその顔は、心なしか赤くなっている気がする。本当に、一体なんなんだ。

 いや、そうか。そもそも雪月が何処で何してようがどうでもいいことじゃないか?

 ただのクラスメイト。

 顔と名前しか知らない女子生徒。

 ヒーローとか呼ばれる僕とは違う世界の人。

 

『灰夜くんはやっぱり、ヒーローなんだね』


 どうでもいい。それならなぜ助けた? 魔法使いとしての掟まで破って。

 雪月のことも分からないが、僕自身のことも分からない。

 助けた理由。それは確かに胸の奥底で微かに光っているのだが、掴もうと手を伸ばすと遠ざかっていく。真っ暗な海底を漂う、何か大切なもの。だけど、今の僕ではそれを追い続ける体力も気力も、勇気もない。

 ──僕は思考を放棄し、元々の目的に心を軌道修正する。

 相変わらず俯きながらモジモジとしている雪月を置いて、幽霊ビルへと足を向けた。

 赤い傘の女に会いに行く。

 そう、そうだった。

 会いに行って言ってやるんだ。今の僕は──


「灰夜く……東雲くん! 待って!」

 雪月が追いかけてくる。

「危ないよ! さっきだって私、ビルから落とされて殺されそうに……」

「危ないと思うならついてくるな」

「そんな、東雲くん一人で行かせられないよ」

「僕は雪月とは違う」

 言葉にしてから気づく。僕が魔法使いとしての裏の顔があるように、まさか雪月もそうなのか?

「雪月、お前も魔法使いなのか?」

 僕の言葉に雪月はきょとんと首を傾げる。

「魔法……使い……? それってさっきの女の人とか、助けてくれた東雲くんみたいな人たちのこと?」

 嘘をついてるようには思えない。つまり雪月は魔法使いではない。もはや手遅れではあるが、魔法を使って助け、魔法使いとしての正体を明かしてしまったことに後悔と焦燥が胸を締め付けてくる。これはどうでもいいことではないからだ。

「灰夜くんが魔法使い、かあ。……うん、素敵なことだね」

 僕の心中など知らずに、雪月は能天気なことを言いながらうんうん、と頷いている。

 そうして、僕は幽霊ビルへと辿り着く。建物を正面から見ると右側には地下へと降りる階段があったが、僕の目的は逆で屋上にある。一階のホールに入るガラス製の両開き扉は大きく割れていて、鍵もかかっていないのですんなり入ることができた。

 髪の水滴を払うように頭を振りながら足を踏み入れた瞬間、ピリッとした空気が身体を痺れさせた気がした。まさかこの建物はあの女の「城」なのか? だとしたら魔法使いではない雪月はどうして──

「……いつまでついてくる気だ」

「放っておけないよ。何度も言うけど、私殺されそうになったんだよ? 灰夜く……東雲くんはどうしてここに? あ、もしかして私を助けに……?」

 濡れた衣服を絞りながら、雪月も幽霊ビルに足を踏み入れる。こともなげに。

「あれは偶然、たまたまだ。僕の目的は屋上にいるあの女にある。逆に改めて聞くが、雪月はどうしてここに?」

 足元に転がるガラス片を踏まないように不規則な歩き方で雪月は此方へ寄ってくる。

「私は噂の正体を確かめたかったの。街で起きてる事件、天罰事件の犯人がこの屋上にいるって。半信半疑で来てみたら、本当に赤い傘の人影が見えて。それで屋上にあがってその人に会った。それで聞いてみたの。あなたが天罰事件の犯人ですかって」

「…………」

 その行動力は何から生み出されるのか。雪月は魔法使いではない、一般人だが、どうかしてる。

「そうしたら、『君の言うとおりだ』って言われて。だから……」

「だから……?」

「捕まえようと思って」

 殺人鬼を捕まえる? ただの女子高生が? なるほど。どうかしてるどころじゃない。頭がおかしい。月並みな言葉だが、そうとしか思えない。

「でも無理だった。水で出来た手? みたいなので掴まれて、屋上の淵に連れてかれて……」

 当たり前だ。雨が降っている時に魔法使いに一般人が勝てるわけがない。

 それはそうとして、だが。

「その女、他に何か言っていたか?」

「えっと、落とされる直前に、『私を知っているか?』って言われたよ。首を掴まれてて声が出せなかったから、首を横に振ったらそのまま落とされて……、灰夜くんが助けてくれた」

「だから下の名前で呼ぶほど──」

「ううん、今だけは言わせて。灰夜くんは命の恩人だから。助けてくれて、ありがとう」

 ビー玉のように輝いた瞳が僕を捕らえる。その瞳から、僕は逃げられない。

 返す言葉もないまま、暫く雪月と見つめ合う。

 ──既視感。

 長いようで短いような、そんな矛盾した時間を遮るように、ナニカの気配を察した僕は振り返る。

 

 じゃぽん、と突然不可解な音が響き渡った。雨音とは違う、異質な水の音。

 雪月にも聞こえたようで、辺りを見渡して音の正体を探している。


 じゃぽん、じゃぽんと間隔を空けながら音が鳴る。


 じゃぽん、じゃぽん、じゃぽんと一定の間隔で音が響く。


 じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん。


 段々と音が大きくなるにつれ、音の鳴る方角が掴めた。それは左奥の上階へと繋がる階段から。雪月も僕と同じようにその階段を見つめる。


 じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん、じゃぽん。


 その音の正体が階段から現れた。

 それは端的に言えば、大きな水の塊だった。楕円形のソレは、跳ねるようにしてフロアの中央までくると動きを止めた。

「何……あれ……」

 雪月が一歩後退りながら呟く。それは驚くだろう。つい先程までの雪月の世界にはなかったもの。ソレは明らかに魔法だからだ。

 僕たちと十歩ほどの距離で止まったソレは、ぶるぶると震えたかと思うと、その姿をゆっくりと変えていく。ソレは水でできたヒトガタとなる。顔はない。足のようなものを二本生やし、腕のようなものを両側に生成する。そのヒトガタはおそらく右腕に当たる部分をこちらに向けてきた。そのウデが大きく振動する。

 何かくる──!

「避けろ!」

 僕の声と同時に、その腕から水の弾丸が射出された。弾丸は僕の声に反応して飛びのいていた雪月がいた場所を通り抜け、後ろにあるガラス製の扉を破壊した。

 僕と雪月は、大きな音を立ててガラス片を撒き散らす扉に視線を向け、すぐに弾丸の射出元であるヒトガタに視線を戻した。

 こいつ、雪月を狙っているのか? 屋上から落ちた死体を確認できなかったからか、あの女が仕向けてきた刺客、いわば水の兵隊なのだろうか。

 改めて辺りを見回すが、あの女の姿は見えない。離れたところから、対象を視認せずにこの意思を持ったかのような化け物を? そのイメージはかなり困難なものに思える。かなり高位の魔法使いなのか、それとも「城」としているからか──

 そのヒトガタが、再び振動を始める。

 その銃口のように突き出されたウデは、座り込んでいる雪月に向いている。

「──くそっ!」

 頭よりも体が反応した。雪月の元へと駆け出し、その体を抱えて転げる。すると、僕を掠めた弾丸がコンクリートの床に小さな穴を開けた。

「……あ、ありがとう、東雲くん」

 僕は自分の行動に驚いていた。

 また、助けた。自分の身を挺してまでも。どうでもいいのに。なぜ? 心の中はなぜ、と言う疑問でいっぱいだ。

「……逃げるぞ」

 自然と僕はそう口にしていた。狙いが雪月なら、雪月を置いて自分は上へと進めばいい。なのになぜ。なぜ雪月を助けようとする?

「……東雲くん、ごめんね。腰が抜けちゃったみたいで」

 ……呆れと共に、どうすれば雪月と逃げられるかという思考が無意識に走る。

 なぜアレを持ってこなかったのかと今になって後悔する。だが、ないものはしょうがない。辺りを見渡し、使えそうなものを探す。壁際に転がった錆びれたパイプ椅子を見つけると、それに手をかざしてイメージする。水でできた化け物に通用するとは思えないが──

 化け物に視線を移す。どうやら弾丸の連射は出来ないらしい。だが、そいつの銃口は依然こちらを向いている。

「──これでもくらっとけ」

 壁際のパイプ椅子を魔法で操り、その突きでたウデに勢いよくぶつけた。そのウデはぱしゃん、と弾け飛び、あたりに水滴が散る。

「今のうちだ。捕まってろ雪月」

「あ──」

 雪月を抱え込み、外へと走って向かう。ちらと化け物を見ると、予想通り弾け飛んだウデがすでに再生を始めている。

 砕け散った扉を抜け、外に出る。雨足は依然強いままだ。

 ふと、遠くでこちらを影から見る人影を視界の端で捉えた。雨のせいで視界が悪いのもあり、その姿はよく見えない。そいつは僕の視線に気付いたのか、すぐに闇の中へと姿を消した。

 最悪だ。目撃者がいた。だが今は──

 僕は雪月を抱えたまま、廃ビルから遠ざかるように走った。


「……はあ、流石にここまでくれば大丈夫だろう」

 雪月を抱えたまま五分ほど走っていたので、さすがに息が上がっていた。走っている間、黙って僕の胸に顔を埋めていた雪月が顔を上げる。

「東雲くん、ありがとう。もう歩けるよ」

「そうか」

 腕から下ろした雪月は、流石にバツの悪そうな顔をしていた。まあ、結局僕の足をひっぱった結果になったわけだしな。かといって、雪月がいなくてもあの化け物に僕は勝てただろうか。僕は荒事とは無縁な、素朴で半人前のただの魔法使いだ。だいたい、誰かと、ナニカと戦うためにあの場所へ行ったわけではない。完全に予想外、イレギュラーの連続だった。

「東雲くん、怪我してる……」

 僕の右腕を見ながら、雪月が申し訳なさそうに言う。どうやらあの幽霊ビルを出る時に、割れたガラスに引っかけたのだろう。服は裂け、周りの生地に血が滲んでいる。

「別にどうもない。ただの擦り傷だ」

 雨が血を流してくれるが、それでも出血が止まる様子はない。アドレナリンが出ているからか痛みはないが、それなりに深い傷なのだろうか。

「どうもなくないよ! 全然血が止まらないし。私の家近いから、手当する」

「別にいい」

「よくない! 私のせいで怪我させちゃったんだし、私が責任持って手当する。ここから歩いて五分ぐらいだから。行こう!」

 雪月に怪我をしていない方の手を引っ張られ、引っ張られるように無理やり連れて行かれる。

 まあ、雪月には聞きたいこともある。絶対離さないと言う意思を強く感じる握られた雪月の手は雨に濡れていたが、ほんのりと暖かかさを感じた。

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