第15話 破壊の快楽
「この店で提供されてるって?」
荒川の言葉に、僕は唖然として問い返した。
「どういうこと?」
「どうもこうもない。ここは飯や酒と一緒に、薬も提供しているバーなんだよ。通の奴らからは薬物バーとか呼ばれてる」
「……ここに来る前、違法薬物を扱ってるようなところじゃないって言ってなかったか?」
嘘を吐いたのか? 無意識の内に鋭くなった視線で荒川を射抜くが、彼は一切動揺して様子もなく、寧ろ、得意げに笑った。
「嘘なんかついてねぇって。だって、この店で取り扱ってる薬は全部合法だからな。法に触れるものなんて一切ない。あの子が使ってるやつもそうさ」
荒川は視線の先、ソファの上で虚ろな目をしてぐったりとしている女性客が焚いているお香を指さした。
「あの煙を吸うと、頭の中で快楽物質が分泌されて凄く気持ちよくなれる。一時的に、嫌なこととか不安とか、全部忘れられる。使い過ぎると中毒になって廃人になるし、量を間違えると死ぬかもしれないけど」
「それ、ほとんど麻薬と同じなんじゃ」
「効果はな。もしかしたら近い内に規制されるかもしれないけど、今はまだ規制前だから合法だ。仮に警察がここへ入って来ても、何も処罰することができない。ほら、あれ見ろよ」
僕の肩を軽く叩いて荒川が指さしたのは、カウンターの奥にある商品棚。その上に陳列されているのはビニールの袋に入ったクッキーやグミ。見た目は何の変哲もない菓子類なのだが……。
「何、あの値段」
棚に貼られている商品のPOPには、クッキー1枚1500円、ガム5つで2000円と、スーパーやコンビニで売られているものの数倍にもなる価格が表示されている。他の店ではあり得ない価格設定。それはつまり、あれらが普通の菓子ではないことを示していた。
「大麻グミとか、巷では呼ばれてるな」
荒川はそう言って、売られている菓子について説明した。
「この店で提供されている薬物を含有している菓子だよ。錠剤とか煙だと周囲の目は気になるし、何なら警察に職質されるかもしれない。けど、ガムやクッキーならそんな心配はいらない。店の外でも怪しまれず、人目を気にせず薬物摂取することができるってわけだ」
「身体に害があっても、違法じゃないわけか」
「規制する法律がないから仕方ないよな。それに、もし規制されたとしてもまた別の薬物が流通するようになる。需要がある限り供給され続けるんだ。特に、この店を使うような若者には特に需要が高い」
薬物使用者が大勢いる店内を眺め、荒川はいつの間にか用意されていたシーシャの管を咥え、煙草の煙以上に白い煙を口から吐き出した。
「後先のない老人には関係のない話かもしれねぇけど、まだ長い人生が残されてる若者は大変だぜ? 景気は悪いし、物価は上がるけど給料は上がらねぇし、温暖化やら何やらで環境も壊れてる。将来に不安を抱かない奴のほうが、今じゃ少ねぇ。そういう不安から逃げるために、俺たちは薬に逃げるんだよ。言っちまったら、若い奴らが薬に縋らないとやっていけない国にした老人たちの責任だ。咎められる謂れはないね」
「規制されたら、また新しい薬物を使うって?」
「あぁ。結局、鼬ごっこなんだよ。どんだけ規制したところで、必ず抜け穴を見つけられる。というか、もっと世間の関心とかが寄せられない限りは規制なんてされねぇよ」
「何でそうやって言えるんだ」
自信満々に言った荒川に尋ねる。
現時点で規制されていない薬物に関連した事故や事件が発生すれば、政府は対応をするに決まっている。これ以上の被害者が出ないよう、その薬物を規制する法を作るはずだ。
そんな僕の意見とは異なる考えを、荒川は何度も煙を吹かしながら告げた。
「薬物を規制したところで、票には繋がらないだろ」
「票?」
「そ。政治家ってさ、屑の集まりなんだぜ? あいつらの仕事は日本を良くすることじゃなくて、自分に票を入れてくれる奴らに甘い汁を啜らせること。薬物規制したところで票をくれる奴が増えるわけでもないし、やる意味がない。必死になるのは選挙の前と、自分たちの保身がヤバイ時だけだ」
違う、と荒川の意見を否定することはできなかった。
間違っているとは思わない。政治家だけではなく、年老いた者たちからすれば若者が薬物を使おうが使うまいが、知ったことではないのだろう。特に政治家に的を絞れば、自分たちの票に繋がらないことは積極的にやらない。もっと言えば、国民を苦しめるようなことであったとしても、自分の票に繋がることであれば容認さえしてしまう。ほとんどの政治家がそういった考えを持っているからこそ、カルト宗教が野放しにされているどころか、歓迎しているのだ。犠牲になっている者たちを見て見ぬふりをして。
つい先ほど、川村から作業長が覚せい剤で逮捕されたと聞いた。きっと作業長も、ここにいる者たちと同じだったのだろう。現在と将来に不安を覚え、絶望し、危険な薬に縋ってしまったに違いない。他人事のようには思えなかった。
「……薬に逃げなくちゃいけない人たちが、こんなにもいるんだな」
「全員とは限らないけどな。うーん、そうだなぁ……」
荒川はシーシャを吸う手を止めて店内のあちこちへと視線を飛ばし、数秒後、とあるテーブル席を指さした。そこにはモデルのようにスラっとした体躯を持つ、綺麗な女性がいた。彼女は笑顔で酒を飲み、お香から排出された煙を吸引している。その隣には、背丈もガタイも良い色黒の男。
「例えばあそこにいる女の子。あの子はファッション雑誌のモデルとかやってて、芸能界からも声がかかってたらしい。明るい将来が待っていて、以前は薬物どころか将来への不安もない人生を歩んでいたんだよ」
「……そんな人が、どうして?」
「隣の男だ」
女性の隣にいるガタイの良い男のほうへと、荒川は顎をしゃくった。
「あいつが勧誘してここに連れて来たんだ。最初は随分と嫌がっていたんだが、頼み込んで薬をやらせてみたらあの通りよ。今じゃ、シャブ漬けだ」
改めて女性を見た。最初は嫌がっていたという言葉が嘘に思えてしまうほど、今の彼女は様々な薬を飲み、吸引し、薬を楽しんでいる。テーブルの上には錠剤が入っていたと思しきゴミが幾つも捨てられていた。煙草も酒も薬もやる、清楚とは無縁な印象を受ける。
彼女が今のようになった元凶とされる男は、とても楽しそうだ。女性の肩に腕を回し、笑顔を絶やすことなく談笑している。彼の太い腕に視線を移すと、注射痕と見られる傷があった。経口摂取や吸引だけではなく、静脈注射による摂取も行っている証拠だった。
「……あの人はどうして、彼女を薬の道に? 仲間が欲しかったのか?」
「いや、そうじゃねぇよ」
僕の予想を否定し、荒川は言った。
「小さい頃、積み木を積み上げたり、砂場で山作ったりしたことない?」
「あるけど」
「そういう遊びで一番何が面白かったかって言うとさ……帰り際とか遊び終わる時に、一気に壊すことだったんだよ。完成したものをぶっ壊す。それが最高に楽しかった。あいつが女の子を薬物中毒にしたのは、それと同じだ。破壊の快楽ってやつ。ただ──最高に楽しくなりたかったから。そのためなら嘘も使って、女を騙すんだ」
「──」
荒川の言葉に、僕は愕然とした。同時に、勢いよく頭を殴られたような衝撃が走った。
それは新しい発見だ。僕がこれまで考えたことすらなかった、楽しいという感情を得る方法。物でも、人でも、何かを壊してそれを得るなんて、僕は想像したことすらなかった。
けれど、理解できる。幼い頃を振り返ってみると確かに、楽しかった。時間をかけて、一生懸命作った物を一気に壊すことに、一種の快感すら覚えていた。破壊の快楽。言い得て妙だ。壊すという行為には、快楽を与える性質があるらしい。
嗚呼、そうか。だからあの時、父さんは──。
「しかも楽しいだけじゃなくて、安心するんだよな」
沈黙する僕の隣で、荒川はシーシャを吸引しながら告げた。
「自分は勝ち組とか思ってるいけ好かない奴とか、口うるさくて仕方ない奴が、薬に溺れて静かになるのはよ。特に女は、静かでなくちゃいけない」
「……」
荒川の台詞に、僕は何も言葉を返すことはなかった。
こいつは正真正銘の屑だ。僕が思っているよりも、はるかに。
最低だね。口から出そうになった言葉を飲みこみ、僕は沈黙を貫いたまま、グラスの中で溶けて体積を減らした氷を見つめ続けた。
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