第14話 あまり嬉しくない再会

「やっぱあの時のお兄さんじゃん!」


 軽薄で礼儀知らず、聞いているだけでイラっとする声がかけられたのは、僕が目的のラーメン屋を後にしてすぐのこと。雪奈さんとの待ち合わせ時間まで、何処で時間を潰そうかと悩んでいる時だった。

 声の主は今現在、僕の眼前にいる若い男だ。明るい金髪に金属光沢を放つピアスとネックレス、そして首には星の形をした入れ墨。記憶に新しいこの男は以前、ナイトクラブで勝手に僕のドリンクを飲んだ挙句、違法な危険薬物を勧めてきた奴だ。行動を共にすると、こちらが破滅してしまいそうな危険な雰囲気が滲み出ている。

 美味なラーメンの余韻が一瞬で消し飛んだ。この再会は、全く喜べない。

 それを全面に押し出すべく、僕はわざとらしく顔を顰めて男に尋ねた。


「クラブの薬物男……」

「くっそ酷い憶えられ方じゃん! ショックだわ~。まだ金髪とかのほうがマシ!」

「何でここにいるんだ?」


 一々イラっとする反応をするな、と舌打ちしたい気持ちを押し殺して尋ねる。こういう輩は基本的に夜行性で、昼間は何処かで眠りこけているものと思っていたが……。昼間にこんなところを歩いている理由を尋ねると、彼はそれには答えず、僕の背後にあるラーメン屋を見て言った。


「ここ美味いよなぁ。俺も昼に起きれた時は結構行ってるぜ。醤油ラーメンが超美味い!」

「?」


 僕の質問は完全に無視か? 

 何の脈絡もなくラーメン屋の話を始めた男をジッと見つめる。と、どうやら僕の質問はしっかりと聞こえていたらしい。すぐに答えを告げた。


「さっきコンビニで昼飯食って、これから知り合いが経営してるバーに行くところなんよ」

「バー?」


 男の答えに、僕は首を傾けた。

 真昼間から営業しているバーというのはとても珍しい。酒の提供を主とする飲食店は通常、夕方から夜にかけての営業になるはず。僕の知る限り、こんな時間から空いているバーなんて存在しない。


「こんな時間から?」

「うん。あ! 何なら一緒に来るか? 丁度誰かダチ呼ぼうとしてたんだけど、皆予定埋まっててよ。な? 行こうぜ、俺が金払うからさ!」

「いや、僕は……」


 行きたくないという気持ちが強かった。

 時間はある。雪奈さんと待ち合わせしている時刻までこの男と一緒にいることはないだろうし、寧ろ良い時間つぶしにすらなると思う。けれど、それ以上に危険を感じている。こいつは平然と違法薬物を持ち歩いているような奴で、信用してはならない類の人間だ。可能なら、会話をすることすらやめたほうがいい。彼がこれから行くというバーも、違法行為が行われている店かもしれない。

 僕は疑いと警戒の視線を男に向ける。と、僕の視線からそれを察したのか、彼は僕の肩に腕を回した。


「安心しろって! 前のクラブでお兄さんが法に増えるの嫌いっていうのはちゃんとわかってるから。今から行くところは違法薬物とか、そういうのは一切扱ってないクリーンな店だよ。やましいことは何もない。保証する。俺の命をかけてもいいぜ!」

「軽々しく命をかけるものじゃないよ」

「命かけてもいいくらい大丈夫なところなんだって! なぁ行こうぜ? 気に喰わなかったらすぐに帰ってもいいからさ!」

「……」


 Noと言える日本人だ、と自負していたのは何だったのか。

 結局僕は彼の勢いに負けてしまい、首を縦に振ってしまった。それを見た男はとても喜んだ様子で「っしゃあ! 行こうぜ!」と周囲の視線も気にせず大声を上げ、僕の肩に腕を回したまま目的地へと歩いていく。

 つくづく、意思の弱い男だな。

 僕は流れと勢いに負けてしまった自分に呆れ、盛大に肩を落として溜め息を吐いた。


     ◇


 十分ほど歩いた後、辿り着いたのは以前利用したナイトクラブと同じように、地下に作られたバーだった。扉には『the・king』と全て小文字で書かれた札が掛けられており、その少し上には来店を知らせる金色のベル。外観は珍しくない、お洒落なバーと言った感じだ。

 解け切っていない警戒を胸に抱きつつ、僕は先に扉を開けて中へ入った男に続いて入店する。と。


「……なんだ、この匂い」


 店内へと足を踏み入れた直後、鼻腔を擽った甘ったるい奇妙な香りに、僕は反射的に腕で鼻を覆った。詳細には語ることのできない、変な匂いだ。甘い香りと表現することのできる匂いであることは確かなのだが、類似する香りが全く想像できない。香水のようでもあり、お菓子のようでもあり、果物のようでもある。嗅いだことのない匂いだ。微かだが、鼻の奥が痺れるような感覚も覚える。


「こっちだ、こっち」


 匂いに顔を顰めながら入口前に立ち尽くしていると、先に入店した男がカウンター席に座り、僕を呼んで手招きした。

 ここまで来た以上、黙って帰るわけにもいかないか。

 ついてきたことを少し後悔しつつ、僕は諦めて男が座る席の隣に腰を落ち着けた。


「マスター。スクリュードライバー二つ」

「あいよ。今日は初めて見る連れだな」

「最近知り合ったんだよ」


 男は僕に親指を向け、カウンターの内側でグラスを磨いていた男性店主と僅かな会話を交わした。知り合いというほどの仲でもないのだが……それは一々言わなくてもいいことだろう。そう判断した僕は注文のカクテルを作り始めた店主から隣の男へと視線を移し、道中で聞いた彼の名前を呼んだ。


「荒川、で良かった?」

「あぁ。あってるぜ」

「この店はよく使うのか?」

「週に四回とかかなー。ダチ連れてきたり、クラブで捕まえた女を酔い潰すのに使ったり、色々と便利に使わせてもらってるよ」

「迷惑もかけられてるけどな!」


 男──荒川が注文した二人分のスクリュードライバーをテーブルに置き、店主が細めた目を向けて彼に言った。


「酒癖悪い奴連れてきて暴れたり、ゲロ吐き散らかしたり。散々な目に遭ってるこっちの身にもなれってんだ」

「マジでごめんと思ってるって。毎回謝ってんじゃん!」

「謝っても改善されねぇから迷惑してんだろ」


 悪びれる様子もなく言った荒川に呆れの言葉と目を向け、店主は右手中指で荒川の額を強めに弾く。直後、ゴツ、と鈍い音が響いた額を両手で押さえた荒川が『痛ええぇぇッ!!』と喚きながら天井のシャンデリアを見上げた。

 ただの客と店主であれば、こんなやりとりはできない。

 一連のやりとりを見て、僕は彼らがとても親密な関係にあることを理解した。自信をもって友人と呼べる間柄である、と。

 痛みに悶える荒川を眺めながらグラスを口元で傾ける。と、こちらを見やった店主が僕に忠告した。


「あんちゃん。悪いこと言わねぇから、こいつとはあんまり付き合わないほうがいいぞ? 何人もの人生ぶち壊してる極悪人だからな、この馬鹿」

「うん、まぁ。そんな人な気はしてました。見た目からして」

「うわ、二人ともマジで酷くない? 涙がちょちょぎれるんですけど」

「Z世代がクッソ昔の死語使ってんじゃねぇよ」

「俺らからしたら古すぎて逆に新しいんだよな~」

「……」


 楽しそうに談笑する二人の声を聞きながら、僕は店内にいる他の客へと視線を向けた。平日の昼間だというのに、とても賑わっている。幾つかの空席もあるけれど、大半の席は埋まっていた。昼間から営業しているバーというのは多くないので、自然とここに人が集まるのかもしれない。

 客の年齢層は若く、また派手に遊んでいそうな外見をしている者が多い。金属光沢を持つアクセサリーや、肌に彫られた入れ墨など、隣の荒川と似通った特徴を持つ者たちが席の大半を埋めている。

 ここは遊び人が利用するバーなのかもしれない。

 そう考え、客の観察を止めようとした時──気が付いた。


「? ……なんだ?」


 店の奥にあるソファ席にいた客が目に留まった。

 そこにいたのは若い女性客。派手な髪色と、俗に言う地雷系ファッションと総称される服装をしている。周辺の客と同じように、彼女もカクテルの入ったグラスを片手に持っているのだが……何処か、目の焦点が合っていないように見える。身体も不自然に揺れており、注意してみれば指先も震えていた。

 酒を飲んでいるため、体内にアルコールが巡った影響かとも思ったが、僕はすぐにその考えを否定した。

 何故なら──件の女性客がいる席、そのテーブル上には、黒い皿に乗せられた白い錠剤と、奇妙な蒸気を噴出するお香が置かれていたから。


「なぁ、あれ……」


 店主との談笑を終えた荒川の肩を指で突いて尋ねると、彼は「あぁ、あれね」と、日常的な光景を目にしたように言った。


「最近流行ってる、吸引するタイプの薬だな。錠剤と併用すると効果がアップして、より気持ちよくなれるんだ」

「薬物ってこと? そんなの、店内で使っていいのか?」

「使っていいも何も──」


 口元でグラスを傾け、荒川はニヤリと白い歯を見せて笑った。


「あれ──ここで提供されてる薬だぜ」

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