第10話 蘇る記憶

 胃も心も満たされる昼食を終えて商業施設を後にしiPhoneを見ると、時刻は午後1時30分になっていた。空に見える陽は未だに高い位置を縄張りとしており、街には人工の光が不要なほどに燦燦と輝き世界を照らしている。街行く人にも疲れは全く見られず、溌剌としている様子だ。心身共に元気で満ち溢れており、まだこれから一日を楽しむぞという気が伝わってくる。

 空も人も明るい世界を見回した僕は空を見上げ、まだ昼なのかと少し驚いた。

 僕は普段の休日は外に出ることもなく家でダラダラと寝て過ごしており、気が付けば外が暗くなっているという場合が多い。こんな風に外出し、屋内スポーツに興じ、豪勢な昼食にありつき、軽く商業施設内を見て回ればもう満足。とても充実した休日を過ごしており、既に一日の大半を消化しきった気分になっている。よく動いた、とても活発に行動した休日だったと、少し上機嫌になりチューハイでも買って帰宅したかもしれない。そんな気分になるほど、僕は一日を過ごし切った気持ちになっている。

 けれど、今日は違う。共に同行する相手がおり、加えて一日はまだ半分ほどしか終わっていないのだ。既に今日という一日に満足しているが、まだまだ、外出は続くのである。


「次、どうしましょうか」

「んー、そうだね……」


 隣を歩く雪奈さんに尋ねると、彼女はミネラルウォーターが入ったペットボトルの飲み口から唇を離し、少し悩んだ末に僕へと質問を返した。


「逆に、蒼二君が行きたい場所とかってある? やりたいことでもいいけど」

「僕に聞くんですか」

「うん。だって、一応今日は蒼二君を楽しませるためのお出かけだからね」


 確かにそうなのだが、僕は今日のプランを全て雪奈さんに任せるつもりだった。だから、特に何も考えていない。というか、考えた末に退屈だったのが昨日だ。考える気力すらなかった。

 とはいえ、何も答えないのは失礼だろう。そう思い、色々と思考を巡らせてみるが……。


「全然、思い浮かばないですね」

「ま、そうだよね」

「何がしたいかもそうですけど、東京に何があるのか把握していないので。しいて言えば静かなところですかね。昨日から、かなり人が多いところにばかりいるので」

「いや、東京で静かなところってほとんどないと思うけど……」


 僕の注文に困った顔を作った雪奈さんは自分のこめかみに人差し指を当て、頭を振り絞って出したと思われる案を口にした。


「……原宿行く?」

「静かなところって言いませんでしたっけ。原宿って、都内でも新宿くらい人が多いところだったと思うんですけど」

「うん。何せ、正真正銘若者の街だからね。うるさい年頃の子たちがいっぱいいるよ」

「流石になしで」


 僕は提案に断りを入れた。

 YouTubeなどの動画サイトで見たが、原宿通りはすさまじい人で溢れかえり、歩くのすら苦労するほどだったはず。態々身体を疲れさせに行く必要はない。というか、今時の女子で溢れかえった場所には抵抗感がある。そこに行くのは、遠慮させていただきたい。


「若者で溢れかえった空間は遠慮したいです」

「21歳の若者が言う台詞じゃないし、昨日ナイトクラブに行ってた人の言うことじゃないよね」

「昨日はオススメされたので試しに行っただけです。おかげで、自分は人で溢れかえった場所が嫌いということを再確認できました」

「屁理屈を~」


 可愛らしく頬を膨らませ、雪奈さんは万策尽きたといった様子で頭上を見上げた。


「えー? となると喫茶店でも行く? でも食べたばっかりでお腹は膨れてるし……そもそも東京に人が少ない場所なんてほとんどないよー」

「頑張ってください。雪奈さんは僕よりも東京に詳しいと思うので」

「他力本願男め……」


 雪奈さんは恨み言のように言い、僕に細めた目を向けた。行き先が思いつかずに悩んでいる姿は、見ていて少し面白い。何をしても絵になる人だな。と、雪奈さんを見ながら自然と口元を綻ばせた──時。


「──!」


 視界の端に入ったとある建物の前で、僕は反射的に足を止めた。

 ルーファス神教会・池袋支部。

 灰色の混凝土で造られた眼前の建物前には、そう記された石碑が設置されている。文字の隣には、教団を象徴するケシの果実を模った紋章。豪華なことに、その文字と紋章は金色に輝いている。

 この宗教団体、ここにも支部があったのか。

 石碑の文字を見つめ、胸中に抱いた嫌悪感に顔を顰める。すると、僕と同じように石碑に目を向けた雪奈さんは、やや低い声音で言った。


「知ってる? この前に起きた親殺しの殺人事件、この宗教が絡んでるんだよ」

「らしいですね」


 頷き、僕は脳裏に数時間前に読んでいたネットニュースの記事を思い浮かべた。

 少し前に発生した殺人事件で、被害者である親が被疑者の子に信仰を強要していたのが、このルーファス神教会と呼ばれる宗教団体だ。宗教法人として認定はされているものの、俗に言うカルト宗教に他ならない。信者に対して高額な献金を強要し、教えを記した教典を数千万円という法外な金額で購入させ、更には信者から搾り取った金を他国の本部に送金している。加えて、政治家に対する賄賂や支援を積極的に行っているため、その深い繋がりを利用した影響力も持っているという、本当に悪質な犯罪集団だ。

 これまでは繋がりのある政治家たちによって実態が包み隠しにされてきたのだが、最近は最も深く繋がっていた政治家が毒殺されたこともあり、実体が盛んに報道され始めている。特に政治家と宗教団体の繋がり、というものが問題視され始めた。一部では解散請求が出されるのではと言われているものの、政治の中枢にいる人間たちは皆、教団からの甘い蜜を啜ってきた極悪人共。報復を恐れ、踏み切ることができないというのが、世論の大半を占めている。

 僕は明かりが消えた建物の窓を見つめた。


「殺人事件の被疑者、宗教のせいで親から全く愛されずに育ったそうですね。それどころか、信仰の強要で虐待までされて……世論は、同情的な声がとても多いです。とうの教団は関係を否定していて、うちはカルトじゃないとかほざいてますけど」

「そりゃあ、全力でカルトじゃないって言うよ。私からすれば、献金させてる時点でどの宗教団体もカルトだと思う。お金を貢がないと救われないような神様なんて、邪神以外の何者でもないし。本当……反吐が出る」


 侮蔑と嫌悪感を孕んだ声音で吐き捨てた雪奈さんを見つめ、僕は彼女に尋ねた。


「随分と、本気でこの教団を嫌っているみたいですね。まるで、本当に被害に遭った人みたいです」

「! いや、まぁ……」


 雪奈さんは一瞬表情に焦りを見せたが、すぐに首を左右に振り、小さな息を吐いて言った。


「私が直接関係してるってわけじゃないんだけど……今から14年前だったかな。私がまだ小さかった頃、この教団の信者が起こした凄い事件があってね。凄く記憶に残ってるの。確か内容は──」

「ルーファス神教会信者の妻を、その夫が子供の目の前で斬首した後に自殺した無理心中事件……ですよね」


 雪奈さんの言葉を遮って僕が告げると、彼女は「うん」と頷いた。


「結構有名だよね。切断された母親の首を、残された子供が抱きしめていたっていう報道が世間の注目を凄く集めた。けど、ルーファス神教会と繋がりのある大物政治家が報道各所に圧力をかけて、報道規制を敷いたんだよね。その宗教に、悪影響があるかもしれないからって。中学生くらいの時にそのことを知ったんだけど、それ以来、この宗教と政治家が大嫌いになったんだ」

「随分と詳しいですね。というか、珍しい。最近の若者は政治に興味がないって、色々なメディアで取り上げられているのに」

「これでも一応経済学部なんで。政治とか情勢とか、そういったことは熱心に学んでるんだよ」


 得意げな顔を作った雪奈さんはグッと親指を立て、この建物の前で立ち止まり続けるのはやめようと、その場を離れた。確かに、いつまでもいれば周囲から変な風に見られかねない。もしかしたら、関係者と思われることも考えられる。それは心外だ。こんなカルト宗教の関係者と思われるのは、とてつもなく不名誉なことである。

 足を動かし先へ進みながら、雪奈さんは同情の言葉を口にした。


「改めて、事件の犯人は可哀そうだと思うね。親に愛してもらえないのがどれだけ辛いことか、身に染みて理解できるよ」

「あれ、家族仲、悪かったんですか?」

「お父さんとは全然いいよ? ただ、母親とは大分仲が悪かったんだと……思う」

「思う?」


 何故疑問形なのだろう。と首を傾げるが、それについては言及せず、雪奈さんは話を続けた。


「子供の人格形成に親の愛って凄く大事になると思うんだ。子供の頃から愛されず、口を開けば宗教宗教って……虐待だよね。あの殺人事件は、起きるべくして起きたんだと思う」

「そう、ですね……」

「どう? 蒼二君は、ご両親から愛してもらえた?」

「全く」


 即答すると、雪奈さんはやや驚いた様子で瞬きを繰り返した。


「即答だね。え、今も仲悪いの?」

「昔色々あって、今は二人とも故人です。親戚もいないので、僕は天涯孤独の身ですよ」

「……ごめんね。嫌なこと聞いちゃった」

「全然大丈夫です」


 悪気があったわけでも、面白がって聞いたわけでもないことはわかっている。ただ偶々、会話が僕の両親の現在を尋ねることに着地しただけ。偶然のことなのだ。

 それに僕自身、別に両親のことを話すことに抵抗がない。どうでもいいのだ。とっくの昔に故人になっているし、特別愛を注いでくれたわけでもない。今まで生きていくうえで、多少は二人の恩恵を受けて来たとは思うけれど……特に感謝はない。どちらかといえば、恨みや怒りのほうが大きいとすら言える。

 楽しかった思い出は皆無だ。真っ当な愛を受けたことがないのだから、良い思い出がないのは当然のこと──。


「ぁ」


 一つだけあった。記憶に残っている、親との嫌ではない記憶が。

 唐突に声を上げた僕に、雪奈さんが尋ねる。


「なに、どうしたの?」

「あの、雪奈さん」

「ん?」


 なに? と言葉を待つ雪奈さんに、僕は告げた。


「次の行き場所なんですけど、ちょっと、寄りたいところがあるんです」

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