第3話 東京へ来た結果

「はぁ……」


 青一色に染まっていた空には暗闇が広がり、街の明るさが際立つ夜。渋滞している公道を走るタクシーの後部座席に乗り込んでいた僕は、眠ることを知らない都会の街並みを車窓から見つめながら溜め息を零した。ガラスに映る自分の顔には疲れが見える。とても観光を心から満喫したとは言えない顔だ。

 手元のiPhoneに視線を落として電源を入れると、ロック画面には22時32分の表記が映し出された。地元であれば、出歩く者がいなくなり、多くの灯が消え失せている時刻だ。しかし、この街は違う。少し外に目を向ければ大勢の人が道を行き交い、深夜だろうとお構いなしに大声で騒いでいる。特に若者は酒を片手に都会の夜を楽しんでいる。路上飲みが禁止されていない弊害だろう。道端を見れば、空き缶やペットボトルをはじめとした様々なゴミが散乱していた。

 自動販売機の隣にすらゴミ箱がないのだから、ポイ捨てが増えるのは当然か。

 汚れた街並みと多くの若者を、何とも言えない気持ちで眺めていると、ハンドルを握る運転手に声をかけられた。


「あんちゃん、何だか浮かない顔をしてるね。そんなに溜め息吐いてどうしたの」


 とても馴れ馴れしく話しかけてきた中年男性の運転手に、僕は苦笑いしながら応じた。


「いや、ちょっと……」

「なに、彼女にでもフラれた?」

「そういうわけじゃないですけど」


 デリカシーがない人だな、と僕は瞬時に思った。本当に恋人にフラれて傷心の人だったら、今の無遠慮な発言に怒っても仕方ないだろう。

 都会の人間は皆こうなのだろうか? そう思いながら、僕はルームミラー越しに運転手を見返した。


「なんていうか……期待外れだったんですよ」

「期待外れ? 何が」

「東京って都市が」


 短く告げ、僕は今日一日を振り返った。

 午前8時。会社の始業時刻と同時に休業の申請に必要な書類を総務に提出した僕は旅行用の荷物を詰め込んだスーツケースを片手に駅へ向かい、新幹線に乗り込んだ。空席の目立つ自由席に着席し、1時間半の旅を終えて到着したのは品川駅。そこから山手線に乗り池袋駅へと移動し、予約していたビジネスホテルに荷物を預けて東京の街へと繰り出した。

 流石は日本の首都。宿泊先へ向かっている最中も、多くの娯楽施設が確認できた。幅広い年齢層が楽しめる施設から、年齢制限が設けられているものまで、多種多様な建物が街中に点在している。その周辺にいる者たちは皆、こぞって楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 これなら、僕も楽しい思いができるかもしれない。期待に胸を膨らませ、ネットの記事を参考に色々な場所に出向いた。話題のメニューがある喫茶店に並んだり、都内の名所を幾つか回ったり、動物園に行ったり。収集した東京巡りの定番に沿った観光をしたのだが……残念ながらそれら全てに、僕は何も感じずに終えてしまった。リフレッシュするどころか、逆に疲労を蓄積させるという結果に落ち着いてしまった。

 やはりというべきか、僕は普通の人とは持っている感性が違う。常人では楽しいと思えることが、全く楽しいと思えない。歪でおかしい、壊れた感性をしているのだ。

 そんな人間が一般人向けに書かれた記事を参考にしたところで楽しめるはずがない。もっと、そのことに早く気が付けば良かったと軽く後悔している。

 車の天井を見つめ、僕は掠れた声に言葉の形を持たせた。


「大都市なら、楽しめると思ったんだけどなぁ……」

「なに、観光客かい?」

「えぇ、まぁ」

「どんくらいいるの」

「10日くらいです。もう少し早めに帰るかもしれませんけど……運転手さん、何か東京で楽しいことって知らないですか?」


 タクシードライバーは職業柄、多くの情報を持っている。もしかしたら、ネットでは見つけられなかった東京での遊び方を知っているのではないか。そんな期待を込めて尋ねると、運転手はハンドルを右に切りながら「う~ん」と悩ましそうな声を上げた。


「楽しいことって言っても、俺ら中年と若い子の楽しいっていうのは違うからなー」

「あぁ、まぁ、そうですね」

「俺らみたいなのはもう遊ぶだけの体力も残ってないから、居酒屋で酒飲んで、酔った勢いで仲間と風俗とか行ってれば満足なんだけど、若い子はそうもいかないでしょ? となると……」


 ハンドルをトントンと人差し指で叩き、運転手はこんな提案を僕にした。


「あんちゃん、クラブ行ってみたら?」

「クラブって、ナイトクラブのことですか?」

「そーそー。この前乗せた若いお客さんが、ナイトクラブで遊ぶんだって言っててさ。確かに考えてみると、あそこには毎晩のように沢山の若い子が集まってるよ」

「……」


 運転手の話を聞いた僕は手元のiPhoneの画面に指を這わせ、手早くナイトクラブについて検索した。

 正直なところ、良い印象はない。ナイトクラブは僕のように疲れ切った社会人が行く場所ではなく、大学生などの元気が有り余った者たちが行く所だと思っているから。iPhoneの画面に映し出された検索結果の画像も、ミラーボールに照らされた室内で大勢の若者が躍っているものばかり。見るからに、頭も貞操観念も緩そうだ。僕の肌には合わないだろう。

 ただ……東京に来た以上、普段はできないことをやろうと決めている。何事も否定から入るのは良くない。行ってみると案外、楽しめたりするかも。その可能性は限りなく低そうだが。

 食わず嫌いのままでいるより、一度経験してから嫌いと言うべき。時間もあるので、行ってみようか。

 途中でホテルに戻ることも考慮し、池袋内にあるナイトクラブを検索する。と、そのタイミングで運転手が僕に忠告した。


「こっちから提案しといてあれだけど……あんちゃん。ちょっと気をつけたほういいぞ」

「気をつけるって、何を?」

「薬だ」


 短く告げ、運転手はその意味を告げた。


「最近、東京では若い子たちの間で色んな薬が流通してんのよ。市販で売られている薬の他にも、法律で規制されてる麻薬とか、規制される前段階の危険ドラッグとかさ」

「……それを、ナイトクラブで売買してるってことですか?」

「そういう話もあるってだけだ。確実にやってるとは言えないけど、一応そこのところ注意したほうがいい。両手に手錠つけられたくなかったらな」

「……ご忠告どうも」


 人が集まる場所には楽しいだけじゃない側面が隠れている、というわけだろう。薬の売買。ネットニュースでも深刻な問題となっていると、記事になっていたな。危険な薬物が混ざったグミやクッキーなどが出回っていたとか。

 楽しくなりたい気持ちはあるが、そのために薬に身体を犠牲にする気は毛頭ない。もし遭遇しても、NOという意思を曲げないように心構えをしておこう。


「ま、そういうことは滅多にないと思うから、頭の片隅に入れておくだけにしておきなさいな。基本的にはその場にいる奴らでわいわいやるだけの場所だから、気楽に楽しんだほうがいいよ」

「わかりました。ちょっと、この後行ってみます」

「折角の東京だから楽しんで。あ、目的地は池袋駅のままで良かった?」

「はい。駅で降りて、その後は歩いて向かいますから」


 ホテルに戻り寝るだけの予定を変更し、僕はこれから向かうナイトクラブの検索を続けた。レビューを参考にし、ぼったくりなどの被害に遭わないであろう店を求めて。

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