ふぞろいな旅人たち(30日目:雲壌/天地)

 季節は変わり、雪が少しずつ溶け始め、徐々に気温も上がり始めた。

「……そろそろ、君ともお別れなのだね」

 ランフォードは寂しさを隠さず、小さく呟く。

「ああ。――大丈夫だ、ランフォード。そんな顔をしなくとも。俺は自分の道を、行くだけなのだから」

 コンラートが口角を上げて笑ってみせてやっと、ランフォードも少し笑った。

「まずはどこに行くつもりなのだね、コンラート君?」

「そうだな。このマフラーをくれた、エルナでも訪ねてみようかと考えている。世話になったお礼もしっかりしたいし」

「それはいいね。きっと彼女なら君を温かく迎えてくれるよ」

 ランフォードがコンラートを地面に降ろしてくれる。いよいよここから、始まりだ。

「二人とも、今までありがとう。では俺は」

「――行く前にひとつだけ聞くぞ、首だけ騎士」

 今まで黙っていたジェフが、そのとき唐突に口を開いた。その表情は、影になっていて窺い知れない。

「何だ、ジェフ?」

「天と地と。お前はどちらに還りたい?」

「……それはずいぶん突拍子もない問いだよ、ジェフ。あまりコンラート君の門出とも関係ない」

「いいから答えろ。首だけ騎士、お前は天地、どちらを選ぶ?」

 難しい問いだ。以前ならその問いに答えられなかっただろう。――でも今なら。

「そうだな……俺はどちらでも構わない。天が迎えてくれるなら天に、地なら地に還るだろう。――どちらも俺の愛するものだ。だからどちらでも、俺はいい」

 その答えを聞いて、ジェフはその長身を屈めた。コンラートの頭をひとつ撫でて、満足そうな声をあげる。

「――良い答えだ。俺様の美学には十二分に叶っている。気に入ったぜ」

 ジェフは、笑っていた。鮮やかに、傲岸に。――いつものように。

「ジェフ、あんたはそういう風に笑っている方がいいな」

「ほう? また何故だ」

「それが普段のままな気がするからだ。俺が俺であるように、あんたはあんたであって欲しい」

「――そうか。俺様の胸に、刻んでおこう」

 ジェフはコンラートに向かって、見たことの無い仕草で印を切って、手を組んだ。――恐らくジェフ流に何か、コンラートに約束してくれたのだろう。どうもジェフの部族は、誓いを重んじる部族のようだったから。

「私には何かないかね、コンラート君?」

「ランフォードもいつも通りがいい。あんたはきっと今までもこれからも、俺たち人間のために本気で手を尽くし、一緒に笑い、そして泣いてくれるんだろう。――それはそれで、そのままがいい」

「わかったよ、コンラート君。私も私の道を、ということだね」

 コンラートはひとつ頷き、ランフォードとジェフに視線をやった。自分も含め皆、それぞれ違う、ふぞろいな旅人たちだ。最初はそのふぞろいなところが不安だったが、今はそのふぞろいなところこそが、素晴らしいと思えるようになった。生きとし生けるものは皆、そのくらいふぞろいでいいのかも知れない。――この首だけの姿になってやっと、心底そう思えた。

「じゃあ、俺はそろそろ行く。――ランフォードとジェフも、つつがなく」

「コンラート君も、気をつけて。もしも何か手に負えないことがあれば、私を呼べばすぐに向かうからね」

「ありがとう、ランフォード。そうさせてもらう」

「俺様はこれからも俺様の道を行く。――お前もお前の道を行け、首だけ騎士」

「ああ。そうするよ、ジェフ」

 きらきらと輝きながら、朝日が昇ってくる。エルナのいた森は丁度そちらの方向だったか。それなら、太陽の輝く方向に、まずは向かおう。

 ああ、陽の光が眩しいな――……。



 ランフォードはジェフと並んで、コンラートを見守っていた。

 太陽の輝く方向を見たコンラートは、いつまで経っても、動き出そうとしない。

「コンラート君? ……やはり一人では歩けないかね?」

 一人で歩み始めたところでいきなり手を貸しては、反則になるのだろうか。そう思いながらランフォードはコンラートに近付き――声を失った。

「そ……そんな……」

 触れた、先程まで確かに暖かだった頬は、凍り付くように冷たくて。

 その碧い瞳は完全に、生気を失っていた。

「嘘だと言ってくれ、コンラート君……こんな、こんなことが……」

 自分の道を自分で歩もうと決めた瞬間、全てが終わってしまうだなんて。

 あまりの衝撃に、ランフォードはそれ以上何も口に出せなかった。唇は震えるばかりで声は出ず、気付かぬ間に双眸から、次から次へと溢れ出してくるものがある。

 ジェフはコンラートの方に手を伸ばすと、その瞳をそっと閉じてやった。そのコンラートの顔はとても、満足そうで。微笑みさえ浮かべているように見えた。

「……まさか君、こうなることがわかっていたのではないね……」

「いつかはこうなると思っていた。首だけ騎士はいつか、こうなるのだろうと。――だが流石の俺様でも、今だとまではな――」

 硬直したようにその場から一歩も動くことが出来ず、しゃくり上げはじめたランフォードを、ジェフは黙ってその胸に抱き寄せた。




「そんな変わった友達がいたんだな、おっちゃん。ずいぶんと変わってるけど――立派な、騎士だな」

「君ならわかってくれると思っていたよ、正君。そう――コンラート君は最後までまさに、騎士だったよ」

 彼は、自分の終わりが来ることに気付いていたのだろうか? ――いや、気付いていてもそうでなくとも、きっとコンラートは変わらなかっただろう。コンラートは意外に、肝が据わっているところがあったから。そうでなければ、レクトールを追い返すために、自らを囮にしようとは言い出せないだろう。

「生首の騎士か……よく食べて飲んだみたいだけど、食べたものはどこに消えていたんだろうな」

「それは私も謎だったし、ジェフにもわからなかったんだよ。首の断面から出てくることも無かったからね。コンラート君はいつも実に美味しそうに、たくさん食べて飲んだから気持ちよかったよ」

 気付けばだいぶ夜も更けてきた。隣に座る正も欠伸を噛み殺している。

「――正君。今日はうちに泊まっていってはどうかね? 今から暗い夜道を帰らせるのは、少し心配だよ」

「おっちゃんがいいなら、今日は甘えさせてもらおうかな」

「私はいいんだよ。君が泊まってくれたら、きっと麗も喜ぶからね」

 うらら、おいでとランフォードは娘に心話しんわを送る。瞬間、階段をぱたぱたと降りてくる音が聞こえてくる。

「なに、パパ? ――あ、正ちゃん!」

「今日は正君が泊まっていくからね。客間に案内してあげなさい、麗」

「はーい! 行こ、正ちゃん!」

 麗が手を引っ張って正を連れて行く。正がいなくなるとそれだけで広いリビングが、静寂に包まれた。



 ランフォードは空を見上げて、杯の中身を飲み干した。テーブルの上に杯を置きながら、どこへともなく声を掛ける。

「――ずっと聞いていたのだろう、ジェフ?」

「何だ、わかっていたのか」

 音も無くジェフが、ランフォードの後に立った。この地では黒にしている長い髪を揺らして前に回ってくると、先程正が座っていた場所に長い足を組んで座る。

「――随分と、懐かしい話をしていたじゃないか、ラン。首だけ騎士の話か」

「丁度、このくらいの季節に彼と出会ったなと、ふと思い出してね」

 コンラートと出会った血腥い戦場のことを、昨日のように思い出せる。瞳を閉じてやろうとしたら、食ってかかってきた声音まで。

 たくさんの冒険を一緒にした。そしてあの春の日、突然彼は――。

「……ジェフ。正直に話してくれ。君はあの日、コンラート君の時間が終わるのを、知っていたのではないかね?」

 ジェフは肩を軽くすくめた。そのシトリンの瞳を閉じて、小さく息を吐く。

「あのときと同じ返事をするぞ。流石にあの日とまでは、俺様わからなかった。――いつかはああなるとは思っていたが、な」

「どうして、いつかはああなると思っていたのだね?」

「――勘だな。何となく、あいつの砂時計の砂は、止まることなく落ちている。そんな気がずっとしていてな」

 それで別れる際、ジェフはコンラートにあんな質問をしたのか。唐突に感じたジェフの問いの真意が、今になって少しだけ見えた気がした。

「――ねえ、ジェフ。どうしてコンラート君は、あの状態で意思があったのだと思う?」

「さあな。――お前流に言うと、人の不思議なんじゃないか、ラン?」

 くっくっく、とジェフは低く笑った。いつも通り、鮮やかに、少しだけ傲岸に。

「そうだね。人の不思議だ。人はいつも、私たちからすると思いがけないことをするからね。――もう少しだけ、私たちの側に長くいてくれたらいいのだけれども……」

「何を言ってるんだ、ラン。――いつもお前といるだろ?」

 ランフォードは顔を上げた。隣に座るジェフの方を見やると、少し高いところにあるシトリンの瞳と、目が合った。

「こんな考え方があるらしいぜ。人は生き続ける。――誰かが覚えている限り、ってな。ランは首だけ騎士のことを覚えているだろ。だからあいつは、ずっとランと一緒にいるも同然だ。一緒にいて、あちこち旅をしてるんだぜ?」

「そんな考えがあるのだね。――それは、とてもいい考え方だ……」

 ランフォードはコンラートのことを忘れない。何も言わないが恐らく、ジェフも。長い時を生きる二人とともに、コンラートもいて、ふぞろいな旅人たちの旅を、今も共に続けている。――それは何と素晴らしいことだろうか。

「ラン。まだ飲めるか? 久し振りに首だけ騎士の話なんかしたら、俺様無性にこいつが飲みたくなってな」

 ジェフは手を振って、酒瓶を取り出した。――赤の、グリューワインだ。テーブルの上には、いつの間にかコンラートの好んだパンとチーズまで並んでいる。

「勿論一緒にいただくよ、ジェフ」

 グリューワインは程良く温まっている。ランフォードは席を立ってマグカップを二つ、持ってきた。

「私たちの友に、乾杯――」

 二人は軽くカップを合わせる。口にしたワインは、あのとき飲んだものとは当然違うが、どこか懐かしい味がして。

 こうして静かな夜に温かなワインを飲んでいると、ランフォードの膝の上にコンラートがいて、一緒に楽しそうにしている、そんな気がした。

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ふぞろいな旅人たち 月雲 @yueyun

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