彼の前に来たりしもの(10日目:来る)

「やれやれ、ようやっと街に着いたね。なかなか大きな街だよ」

 一行は大きな街にたどり着いていた。道を多くの人々が行き交い、商店も数多く出ている。その街の賑わいは、今までの旅には無かったものだった。

「流石にここではコンラート君の存在を何とかしないとね。騒ぎが起こっては大変だ」

「俺様は抜かりないぜ? もう手は打ってある」

「早いね、ジェフ。なら、コンラート君を隠して運ぶ必要は無いね」

 ランフォードは街の入り口を通る際、マントに隠していたコンラートを外に出してやった。外に出たコンラートは、街をきょろきょろと見回している。

「ここは、俺が来たことの無い街だな。――本当に、この姿を街中で晒していて問題無いのか?」

「いいのだよ、コンラート君。ジェフが手を打ったと言っているからね」

 現に、誰一人としてコンラートに目を留める者はいない。――恐らくジェフは、街の者がコンラートの存在に気付かなくなる魔法でも使ったのだろう。この街全体を、魔法で覆っている気配を感じる。

「――悪いな、ジェフ。俺のために手間を取らせて」

「気にするな、首だけ騎士。騒ぎが起こったら、お前も面倒だろう?」

 そうそう、エルナのような女はいないだろうからな――ジェフはそう続けたが、それにはランフォードも概ね同意だった。

「さあ、買い物に行こうか。コンラート君は何が欲しい?」

「俺はこれがあれば十分だ」

 コンラートは視線を首に巻かれている、つぎはぎだらけのマフラーにやった。それは、エルナからの心尽くしの贈り物。

「そうかね。別に遠慮は必要ないのだよ」

「遠慮はしていない。……ただ……ランフォード、ジェフ。買い物をすると言っているが、路銀は大丈夫なのか?」

 コンラートの表情が落ち着きの無いものになった。ランフォードはコンラートと視線を合わせ、笑ってみせる。

「私たちはあらかじめ、ここの路銀を持っているのだよコンラート君。十分に持っているから、君は安心すればいい」

「そうだったのか。――待ってくれ、どうやってこの国の金を入手したんだ?」

「聞きたいか、首だけ騎士? 俺様、十分に合法的な方法で金を作っているぜ?」

「いやいい! ジェフの合法は何となく怖い!」

 コンラートが慌てて首を振ったので、ランフォードとジェフは声を立てて笑った。



 当座必要になりそうなものを入手してから、屋台で食べ物を買って食べた。

「うん。ここのパンも美味いな」

 旺盛な食欲で食べ物を平らげていきながら、コンラートは満足そうな声を上げた。

「美味しいなら良かったよ、コンラート君」

 少しずつコンラートに食べさせてやるのにも慣れてきたランフォードが、次のパンをちぎって待つ。

「そろそろ宿を取った方がいいだろうね。ジェフ、近くに宿はあるかね?」

「あそこの酒場が、宿を兼ねているみたいだぜ、ラン」

 ジェフが指輪だらけの長い指で、一軒の流行っていそうな酒場を指さす。その店の看板には、確かに宿を営業している旨の印があった。

「ふむ。流行っているならそこまで悪くないだろう。コンラート君、あそこに泊まるので構わないかね?」

「俺は構わない。――ランフォード、悪いが次のパンをくれないか?」

「勿論だよ、コンラート君。夜には酒場の酒を飲もうね」

 ランフォードが次のパンを口元に運ぶと、コンラートはまた嬉しそうに食べる。

 いい昼下がりだね――ランフォードが空を見上げたときだった。日が突然、陰りだしたのは。

「おや? 雨でも降るのかね?」

「――いや、そういう気配はないぜ、ラン」

 そう答えるなり、ジェフのシトリンの瞳が鋭いものになり、周囲を油断なく見回しはじめた。

「――ジェフ? どうかしたかね?」

「……嫌な気配を感じるぜ、ラン」

 何が起こっているんだ? コンラートが周囲を窺いながら、二人に尋ねようとしたが――その言葉は、出なかった。

 兜を抱え、武装した一人の騎士が、歩いてくるのを目にして。

 その騎士は、薄い色の短い金髪を持っていた。前を見据えるのは、綺麗な碧い瞳。すっきりした目元に、引き締まった口元の、若き騎士――。

 その姿は、首だけ騎士――コンラートの生前を思わせる姿だったのであった。



「何だね、あれは……」

 ランフォードは呆然と呟いた。一体、何が起こっているのかわからない。

「コンラート君だね、あの姿は……」

 ランフォードの考えていた通りの、均整の取れた美しい青年だ。

「コンラート君。君に、君そっくりの兄弟がいるとかは……コンラート君?」

 コンラートは、震えていた。がたがたと、唇を震わせて。

「そんなまさか……俺の、ドッペルゲンガーなのか……?」

「ドッペルゲンガー? それは一体……」

「――この辺の伝説とかに出てくる現象だ、ラン。その意味は……」

(その人物の、死の前兆だ)

(――そうなのかね?)

 ランフォードはジェフの送ってきた心話に声を上げそうになったが、何とか踏みとどまった。

(ジェフ……一体、どういうことが起こってるのだね?)

(俺様にもわからない。ただ――何らかの意味はあるんだろうな……)

 ジェフは厳しい表情で、油断なく構えている。いつでも魔法を発動出来る体勢だ。

 コンラートは、彼のドッペルゲンガーを凝視している。恐怖に目を見開きながら。

 ドッペルゲンガーは、一行の前を真っ直ぐ通り過ぎ――姿を消したのであった。



 とんでもないものを見てしまった――。

 早々に宿を取った一行は、部屋におさまっていた。

 コンラートは、よほど衝撃を受けたのであろう。マフラーに顔をうずめて、ずっと黙り込んでいる。

「――黙っていても始まらないぜ、首だけ騎士。こういうときは、酒でも飲むに限る。ラン。少し早いが、酒にしよう」

「それがいいね。部屋でいただいた方が落ち着くだろう。ちょっと待っていてくれるかな、私が買ってこよう」

 ランフォードが部屋を出て行く。静まりかえった部屋には、コンラートとジェフだけが残された。

「――おい、首だけ騎士。俺様に何か聞きたいんじゃないか?」

「どうしてわかる?」

「そんな目でずっと、俺様を見ていたからな」

 さっさと言え、とジェフはコンラートを促す。コンラートは逡巡を見せたが、ようやっと重い口を開いた。

「――ドッペルゲンガーを、ジェフは知っているみたいだから尋ねる。あれは、死の前兆だ。――今の俺は、生きているんだろうか? 死んでいるんだろうか?」

「さあな。俺様にもそれはわからない」

「そうか。――もし俺が、生きているのなら……」

「気に病むな、首だけ騎士。自分のドッペルゲンガーってのは、二度見なけりゃいいんだろう? これは一度目だ。あまり深く考えすぎるな」

 俺様も、何故あんなものが現れたかは考えておく。そうジェフが言ってやっと、コンラートは落ち着いたようだった。

「まあ、今は酒でも飲んで忘れろ、首だけ騎士」

「そうすることにする。――ありがとう、ジェフ」

 気にするな、とコンラートの頭をひとつ撫でてから、ジェフは窓の側に立つ。

 空には、黒い雲が渦巻いている。

 それはまるで、コンラートのこれからの運命を示唆するもののようだった。

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