首だけ河童(お題12「湖」)

 古びた樹木の表面を想わせる乾いた肌。ぽっかりと空虚に開いた眼窩。糸蚯蚓がのたくった跡のように細かい皺がちりちりと刻み込まれた唇。汚らしく茶色に別変色した乱杭歯。耳元まで裂けた口は半開きでまるで笑っているかのようだった。そして、埃に塗れて縮れた貧相な頭髪の上には、歪な楕円形の板のようなものが被さっている。

「ご所望の河童の頭の木乃伊にございます」

 藍五郎あいごろうは異形の物体を前に置き、両手をきっちり揃え、額を床に擦り付けるようにして深く頭を下げた。

「ほほう。これはなんとも恐ろしげな……」

 立派な白髭をたくわえて垂れ目がちな蓮暁れんぎょう和尚はニヤリと笑って[木乃伊ミイラ]を手に取った。

「紛い物とは思えぬな」

「ご満足いただけましたでしょうか?」

「うむ……この河童めは龍尾湖りゅうびこの主。長い間、人の尻子玉を抜いたり、牛馬を水中に引き込むなど、散々悪さを働いていたが、この度、わしの法力により成敗仕った。頭を落として二度と悪事働けぬようにしてやった。頭は干上がって、これ、この通り……という口上とともに木乃伊を見せてやれば、皆の衆、さぞ腰を抜かすであろうの」

「はぁ……」

 和尚はさも機嫌が良さそうに笑っていたが、藍五郎は何と答えていいか分からず、気の抜けた返事だけをした。それよりも藍五郎にはもっと大切なことがあった。

「それで……和尚様……それを、そのぅ、ナンでございますが……お代の方をお願いできれば……と」

「ははは……そうであった、そうであったのう」

 和尚は豪快に笑ってから、藍五郎の顔を見た。目は笑っていなかった。

「用意がちと間に合わなくてのう。すまんが明日また来てくれぬかの」

「はぁ……」

 藍五郎は仕方がなく手ぶらで寺を出るとのそのそと帰って行った。

――坊さんの考えることはよく分からん。あれは、猿の頭の骨に猪の皮や木の皮を貼り付けてわしが細工をしたもの……あんなものをわざわざ作らせて嘘の話まで作って……そんなにまでして皆にありがたがってもらいたいんじゃろうか?

 藍五郎は納得のいかない面持ちで首を傾げながら、里へと続く坂道を下っていく。

 目の前には龍尾湖の水面が広がり、夏の日の光を受けてキラキラと騒がしく煌めいていた。

――河童どんも滅多に悪さなんぞしないというのに……。

 藍五郎は何度か龍尾湖で河童を見かけたことがある。

 子供の頃に湖で泳いで遊んでいた時。

 畑仕事から帰る夕暮れ時に湖のほとりの葦原を通りがかった時。

 小舟の上で釣りをしている時……。

 紅色のざんばら髪に、ぬめっと光る深緑色の肌。背丈は十歳くらいの子供程度。大きな口と大きな目玉は蛙を思わせるが、その風貌は恐ろしいというよりもどこか愛嬌があり可愛らしかった。それに、河童たちが和尚が言うような酷い悪さをしたという話も聞いたことがない。

 にも関わらず、藍五郎が河童の頭の木乃伊を禍々しく奇怪な異形として作ったのは、注文主である蓮暁和尚に「なるべく恐ろしく」と言われていたからだ。

 そもそも藍五郎はごく普通の百姓であるし、細工物を生業とはしていない。子供の時から手先が器用で、農作業の手伝いの暇を見つけては、獣や鳥の骨を集め、いろいろ好き勝手に組み合わせては化け物のような奇妙なかたちを細工していただけだ。それが高じて、大人になってからも、村の子供達に時々玩具代わりに細工物を拵えてはやっているが、ほとんど無償のものだった。

 そこへ、蓮暁和尚が、どこから聞きつけたのか、藍五郎に「河童の頭の木乃伊づくり」の依頼を持ち込んだ。報酬として示された銭の額はなかなか悪くなかったので藍五郎は引き受けることにしたのだった。

 しかし……。

――初めは前払いというていたのが、ちょっとだけ待っていてくれ、と言われ続けて、とうとう引き渡しの日になってしもうた。そして、今日は今日で、明日になったら……と言う。和尚様は本当にお代を払ってくれるつもりがあるんじゃろか?

 報酬を当てにして猟師から猿の頭の骨を買い取っていたので、支払いがなければ、只働きどころか、結局、藍五郎が損をしてしまう。

 藍五郎は腕組みをして渋い顔のまま我が家に帰り着いた。


「お前さん」

 その夜、ぐっすり眠った幼い息子の額に止まる蠅を団扇で追い払っていた女房が、ふと、何かに気がついたように藍五郎に声をかけた。寝床でうとうとしかけていた藍五郎はハッとして顔を上げた。

「今夜は湖の火の玉がよう騒ぎますのぅ」

 女房は不思議なものを見たり聞いたりすることがよくある。藍五郎には何も聴こえないが、女房が言うからには、おそらく「そう」なのだろう。

 藍五郎はなんだか気になって「それ」を確かめるために起き上がってのそりと戸口から外に出た。湖の方に目を凝らしてみる。女房の言葉通り、蛍のような光の群れが湖面の上でふわふわふらふらと浮遊しているのが分かった。

 見ているうちに、火の玉達の動きはだんだん激しくなる。しばらくすると湖の中から一際巨大な光の玉が浮かび上がった。すると、他の小さい火の玉達も徐々に落ち着いていくようであった。大きいヤツはどうやら火の玉達の親分のようだ。

 火の玉の親分は夜空に浮上する。そして、ひゅうっと風を切るように飛んだ。真っ直ぐに山の方に向かっていく。寺の建っている山だ。小さな火の玉達も親分に従って次々と寺に向かって飛んでいく。

――面妖な事もあるもんじゃ。

 藍五郎は火の玉達の不思議な飛行を見届けると、ふわっと欠伸をひとつした。火の玉への興味よりも眠気が勝って、再びのそのそと家の中に入っていった。


「和尚様、おはようございます」

 翌朝、早速、寺にやってきた藍五郎は本堂の外から声を掛けた。

 返事はなかった。

 しかし、中で人の気配がする。それも、一人ではなく、狭い本堂の中に幾人もが肩を寄せ合って集まっているような、ガヤガヤとした気配だ。

 藍五郎は耳を澄ます。

 どすん、ばたん、ごとん!

 不意に、何かが取っ組み合っているような、転がり回っているような騒がしい音がした。

 怒鳴りあって罵り合うような声も途切れ途切れに聞こえてくる。

 中に踏み込んでよいのかどうか、藍五郎は迷った。

 その時、突然ガラリと障子戸が開いた。

 タン、タン、ターン……と、中から鞠のようなものが勢いよく転がり出てくる。

「ひぃっ……!」

 藍五郎は思わず悲鳴を上げた。

 足元に落ちてきたのは蓮暁和尚の生首であったからだ。

「くそっ……してやられた……くそ……!」

 和尚の生首はゴロゴロ転がりながらぶつぶつと何かを呟いている。

 そこへまた本堂の暗がりの中からヒュウッと風を切って飛び出してきたものがあった。

 これもまた生首である。

 謎の生首は和尚の生首に体当たりをする。二つの生首はドゴンドゴンと繰り返しぶつかり合いながらその場に跳ね回る。そうしているうちに、和尚のつるりとした禿頭にもう一つの生首がガブリと噛みついた。

「ぎゃっ!」

 叫び声とともに和尚の首の付け根からもさもさした毛だらけの塊がぽんっと飛び出してきた。もう一つの生首はさらにそれもガブリとやる。

「ぎぃっ!」

 和尚の頭の形が崩れた。後頭部がぐにゃーっと伸びて顔面も押し潰されたようにくしゃっとなる。伸びたところからは下に向かってにょきっと四本の突起が生え、そして、潰れて小さくなった顔の中心もぷくっと突き出てくる。ぬっぺりした和尚の頭を覆い尽くすように、ゴワゴワとした茶色い毛が忽ちのうちにびっしりと群生した。

「狸……」

 藍五郎は唖然として呟いていた。

 いつの間にか和尚の生首は完全に一匹の狸に変化してしまっていたのだった。

「ぎゃんっ!」

 狸は鋭く一声鳴くと、慌てふためいたように走り去った。寺の裏手の竹林の中に一目散に消えていく。

 藍五郎は何が何やら分からずただポカンとして狸を見送った。

 本堂の中からはどっと大勢の笑い声が上がった。

「お前さんかえ。俺の頭を拵えてくれたやつはよぉ」

 急に話しかけられて藍五郎はビクリとした。

 声は足元から聞こえている。

 おそるおそる視線を下に向けた。

 毒々しい緑色の生首と目が合った。生首は上目遣いにニンマリと笑う。その風貌には見覚えがあった。

「も……もしかして、あんた……わしが作った河童の……?」

 藍五郎は震える声で訊いた。 

「如何にも」

 生首は嬉しそうだった。

「いや……だが、どうもおかしいぞ。目鼻立ち、大きな口、それに皿の形……よくよく見覚えがある。しかしよぉ、わしはあの頭を木乃伊らしく細工したんじゃ。カサカサに枯れ切って、皺だらけの、恐ろしいかたちに……。それがあんたと来たら……」

「はははは……すべすべのぴちぴちだろうが!」

 河童の生首は口を大きく開けて豪快に笑った。

 確かに、生首の肌は蛙のようにじっとり湿って張りがあり、瑞々しい。これではもう木乃伊とは呼べない。

「おおーい、あれを持ってこい!」

 生首は不意に本堂の暗がりに向かって叫んだ。

 闇に隠れていた者たちが光のもとにぞろぞろと姿を現してくる。

 べちゃっ……べちゃっ……べちゃっ……。

 水気を帯びた足音が重なり響いた。

 驚いたことに彼らは全て龍尾湖の河童であった。

 その群れの中から一匹の河童が生首の傍にしずしずと改まった様子で歩み出る。手に持っているのは徳利である。

 河童は中身を生首の皿にぱしゃりと注いだ。ふわっと酒の匂いが漂う。生首の肌が一段と艶やかになったようだった。

「あの生臭の狸坊主め。寺の蔵の中に般若湯をしこたま溜めておったわい」

 生首がケケケケと笑うと、二十匹はいると思われる河童達もヒヒヒヒヒ、クククク……と忍び笑う。

「これは……これはどういうことなんじゃ? 和尚様は一体どうなされたというんじゃ? それに、あんたは一体何者だ?」

「まぁまぁ落ち着け、今話してやるから。とりあえず、まずは本堂に入ってみよ」

 未だ混乱状態にある藍五郎をなだめるように生首は言った。

 藍五郎は言われるがまま本堂の中に足を踏み入れた。

「お……」

 どきりとして思わず声を出した。

 蓮暁和尚が身に纏っていた墨染の袈裟がふわっと広がって床に無造作に置かれている。袈裟は盛り上がっている。蓮暁和尚の体なのだろうか。それにしては小さい気もする。袈裟の縁からは何か白茶けたものが覗いていた。

 藍五郎は逃げ出したいような気持ちを堪え、思い切って袈裟をめくった。

 息を呑む。

 そこには横たわっていたのは人骨だった。しかも、首から上がない。

「住職はなぁ、もうとっくに死んでいたんじゃよ」

 呆然とする藍五郎の背後から生首の声が語る。

「あの化け狸が殺したのか、それとも別の理由で死んでいたのかは分からん。だが、首を切り落としたのは化け狸じゃろ。真の首はきっとこの近くに埋めてあるんだろうがの。やつは和尚の頭に化けて体を操り和尚になりすましとった」

「まさか、そんなことが……」

「それがあるんじゃよ。あいつは人の体そっくりそのまま化ける程器用ではないからなぁ。頭に化けるのが精一杯だったのだろうさ」

 生首は配下の河童に抱えられて本堂に上がってきて、藍五郎の隣から骨を見下ろした。

「あんた……一体何者なんじゃ?」

 藍五郎は隣に並んだ生首に改めて訊いた。

「俺か? 俺はなぁ、龍尾湖のぬしだ」

「河童達の親分か?」

「おうよ。だが、体は百年ほど前に朽ち果てた。大鯰と戦ってな……奴を湖から追い出したはいいが俺も深手を負って体は保たんかった。今では龍尾湖に漂う[気]みたいなものに成り果てて生きておる。そこをあの化け狸に目をつけられた。お前さんに拵えさせた河童の頭……あれに俺の[気]を宿して、俺の妖力を自分の思いのままにしてやろうと小賢しいことを思いついたのさ。頭だけ作らせたのは、文字通り、俺に手も足も出させないためじゃろう」

「それを知っていながら、わざわざ木乃伊の頭に乗り移ったちゅうのか?」

「おうよ。調子に乗っているクソ狸にぎゃふんと言わせるためにわざと奴の策に乗ってやったのよ。それで、昨日の夜、河童達と話し合って決めて、この寺まで飛んできたってなわけだ」

 藍五郎は夕べ見た火の玉の群れを思い出した。火の玉の正体は湖の主の[気]と子分の河童達だったようだ。

「化け狸を追い出したら俺はこの頭から出て行くつもりだった。だが、入ってみると案外居心地がいいもんでなぁ……。離れがたくなっちまったぜ。おい、お前さん、名は何という?」

「あ……藍五郎」

「藍五郎よ。この頭、譲り受けてもかまわねぇか?」

「いや……それはもちろんかまわねぇ……ただ……」

「ただ?」

「和尚さんからお代をな……まだいただいてねぇもんで」

「ほほう」

 河童の生首……もとい、龍尾湖の主はニンマリと笑った。

「生憎、俺も河童達も人間の銭コは持っていねぇ。だが、俺達なりの礼をすることはできる。それでいいか?」

 藍五郎はそれ以上何も言うことはできず、ただコクリと頷いた。


 その日以降、藍五郎が湖で釣りをすると、必ず大物の魚が日に何匹も釣れるようになった。河童達が魚を追い込んでくれるからだ。

 おかげで藍五郎の日々の暮し向きは格段に……とはいかないまでも少しだけ楽になった。

 そして、そのうちに村人達の間である噂が流行り出した。龍尾湖で河童の生首が水面すれすれを波を蹴立てて泳いでいたり、ぴょんぴょんと飛沫を上げて飛び跳ね、楽しげに遊んでいる様子が頻繁に目撃されるというのだ。

 人々はそれを「首だけ河童」と呼んだ。はじめは恐ろしがっていた村人達も、次第に慣れて「雨上がりの朝は首だけ河童どんがよく跳ねよるのぉ」等と笑いながら語り合うようにまでなった。

 やがて寺には新しい住職が来た。もちろん今度はちゃんとした人間の和尚である。

 藍五郎は、改めて河童の頭を木彫りで作り、寺に奉納した。

 目鼻立ちも、大きな口も、皿の形も、あの紛い物の木乃伊にそっくり……けれど、今度は恐ろしい風貌ではなく、陽気で楽しげ、豪放磊落な笑い顔になるように作ったのだそうな。

「首だけ河童」の像は、今でもこの寺に伝わり、近隣の人々に愛着を持って親しまれているのだという。

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ATAMA 〜生首徒然物語集〜 三谷銀屋 @mitsuyaginnya

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