第14話 月

 空に浮かぶ月を、窓越しに吸血鬼は眺める。


 少女や生首と見た湖の月は、丸く、薄い黄金色に輝いていたが──今、吸血鬼の目に映る月は禍々しいほどに赤く、丸みを帯びてはいなかった。

 秘め事をするには向かない、不吉な夜だ。

 少女と生首は未だ夢の中、起きるまでに時間はある。吸血鬼はに力を込め、温室に向けて足を動かしていく。


 主を生首にした下手人を、腐るままにしておこうと思っていた。


 埋葬なんてしてやる義理は吸血鬼にない。それだけのことを魔法使いは──少女の母は生首達にやったのだ。罪悪感はなかった。

 温室に入る時、なるべく視界に入れないように吸血鬼は気を付けていたので、死体が現在どのような状態になっているかまるで知らない。そのまま虫にでも喰われて土に還れと今までは思っていたが──早急にどうにかしないといけない事情ができた。


『アスター、いつでも言って。カエデ、アスターのお願いなら、協力するよ』


 普段表情の変わらない少女が、無理に笑みを浮かべて言ってきたのだ。吸血鬼から何か言うつもりは毛頭ないが、時間が経つにつれて、少女の方から何かしてくるかもしれない。

 もしも、少女が温室に入ってしまったら──母の死体を見てしまったら。

 考えただけで恐ろしかった。

 少女から憎悪を向けられることより、少女が傷付くかもしれないことが、吸血鬼にとっては何より避けたいことだった。


 生首たる主に、血を与えてくれる少女魔法使い。


 初めて会った時、汚れた床に寝そべる少女の両脚は、それぞれありえない方向に折られていた。誰がやったか訊いたことはないが、想像はつく。

 少女は最初、じっと吸血鬼を見つめるだけだったが、吸血鬼が従者であることを主が伝えたら、身体を無理に動かし、主を吸血鬼に渡そうとしてくれた。

 汚れて痛々しい姿の少女と違い、主は傷一つなく綺麗にされていた。前髪で隠れた顔の左側を覗いても傷はない。


『それなりに丁重に扱われていたが、時折壁に投げつけられることもあった。そんな時はカエデが魔法で治してくれたんだ』


 下手人への殺意はもちろんあった。主が生首になってしまった衝撃もある。それでも、一瞬忘れられるくらい、少女への感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。自然と溢れた涙を少女に渡し、脚を治すよう吸血鬼は告げた。


『小さなお嬢さん、貴女に敬意を』

『……そんなの、いい。逃げて』

『もちろんそうします。できれば、貴女も一緒に』

『それは、できない。お母様と一緒にいてって、お父様と約束した』

『ご尊父はどちらに?』

『知らない』

『ご母堂は?』

『……分からない』


 吸血鬼はひとまず、主を少女に預けてその場から離れると、一気に感謝を塗り潰すほどの怒りに飲まれ、下手人を、そして主の胴体を探し回り──件の温室に辿り着く。


 ──裏切り者が来たぞ。

 ──我々を救え。

 ──胴体を返すんだ。


 あれから数日経った。

 温室内の怨嗟と希求の声は更に小さくなり、鼻を覆いたくなるほどの腐臭に襲われる。ゴム手袋を持ってくれば良かったと後悔しながら、手近な所にあった空の鉢を手に取り、吸血鬼は死体の元へ。

 見るも無惨という言葉が、何となく吸血鬼の頭に浮かんだ。どこもかしこも腐り溶けて変色し、骨も若干見えている。

 持ってきたシャベルはそのまま武器になりそうなくらいに大きく、吸血鬼と死体の間を可能な限り離してくれていた。

 まずは、頭部から。

 不快げに顔を歪ませながらシャベルで掬うと、そのまま鉢に入れる。他の部位は……また後日。容易に運べるサイズにまで切り刻む覚悟は、吸血鬼にはまだできていなかった。

 シャベルをそこらに放り、鉢を持って、吸血鬼は出ていく。


◆◆◆


 少女は目を覚ましていた。


 いつもであれば寝付くまで吸血鬼が傍にいるのに、やることがあるからと、少女がベッドに横になってすぐに部屋から出ていってしまった。

 何をするのかは告げられず、それがひどく気になった少女は、眠りについては何度も目を覚まし、これ以上はもう眠れないだろうからと、起きることにした。


「……シャムロック」


 生首に声を掛けると、閉じた瞼が震える。再度呼び掛けると小さく唸った。


「……寝たい」

「そっか、ごめん」


 それ以降少女は生首に話し掛けず、ぼんやり天井を眺めながら考える。──苦しみ悩んでいる吸血鬼に、何をしてやるべきか。

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