1-4-b 仕事の話をしませんか?


 星、に見えたそれらは、ヒラヒラとれているようだった。だんだんと雀夜さくやたちに近づいてきてもいる。おそくはない。鳥のような速度。


 自分のメタルフレームの眼鏡越しに光の群れを凝視していて、雀夜は息を飲む。

 深海にいるような気分ではいたが、まさかそれらしいものが流れてくるとは思っていなかった。


 丸い頭と、足のない細い身体。それに小さなツノと、翼のような対のヒレ。

 半透明の体の内側には、青く輝く光点がある。中には光点が金色をした個体もいる。


 クリオネだった。そのシルエットは。水族館でもめずらしい流氷の妖精。


 ただ、雀夜はその遠近感に言葉を失っていた。クリオネたちはまっすぐ向かってきているわけではなく、旋回せんかいするようなどうで少しずつ近づいてくる。だけに、彼らが親指ほどの大きさになってもまだだいぶ距離があることを、目印もなにもない茫漠ぼうばくとした空間でも見て取れてしまった。人間のサイズの、倍以上ある。


「あれが天界の住人ども。要するに、天使だ」


 クリオネが親指ふたつほどの大きさに見えてきたところで、ヨサクが言った。


「魔法少女の仕事は、ひとことで言やぁ、あいつらを喜ばせる」


 星の群れに釘づけになっていた雀夜に、ヨサクはどこかおどかすように言った。「おっと、いかがわしい意味じゃないぜ?」「先輩、怒りますよ?」ユウキにたしなめられれば、てひひっ、とあこぎなごまかし笑いをはさんだが、どこか声色こわいろは冷えていた。


「天使どもは、戦争が終わった途端に、戦争に興味をなくした。元々刹那せつな的な連中でな。人間界にばらいたモノのこともほったらかしてサヨナラだ。ザッケんなって感じだろ?」


 水のない海を泳ぐ天使たちは、確かにただの動物のようだった。

 冥界めいかいが追い詰められてくだした計画は、人間界をさんに収め、天界をはさみ撃ちにするもの。天界は自分たちの身を守っただけだったのだろう。魔物に対抗手段を持たない人間界をあわれんだわけではなく。


「だから、心置きなくしぼり取ってやってんだ。このフィールドは入るのは自由だが、出るのは魔法少女の意思次第。そうやって閉じこめたあいつらから、〝魔力〟をな」

「話が長いですわ」


 氷柱が鳴る。


 そう感じられるくらい、不意に空気すべてが振動した。眼下にそびえる巨大な柱、その表面から伝ったように。


 こだまする声に呼ばれ、つぼみの先がほころぶ。

 氷柱のいただきで、眠るように突き立っていた黄色いつぼみがふくらみかけている。それを見てとると同時に、雀夜は規則正しく続く打音を聞いた。


 まるで脈動。最初は自分の心音とも混同しかけるようなささやかな音。しかし次第に、大きく、速くなっていく。次第に、順調に、急激に、突然に。


 打音が単純さを捨てる。反復する律動リズムを刻み始める。

 音が熱を持つようにふくれあがったそのとき、爆発する竜巻のように激しく、花弁はひらききった。


 共に、重くのびやかなる音色が深海を貫く。


 花弁の内からまろび出たのは、金色の管を巻いてひねって風を迷路に誘いこむ金管楽器テューバだった。しかしアサガオのように大きくひらいた出口は三つある。三つの出口がそろって同時に、熟しきった風の雄叫びを解き放つ。


 となりに浮かぶのは銀の長笛フルート。だがこれも五本が束のようにつながっている。吠えたてるテューバのそばでささやかに、しかし支えるような音色をつむぐ。


 両わきには、にねじれたまま伸び縮みする長金管楽器トロンボーン

 半球状の銅太鼓ティンパニーは二台ひと組。逆さ同士でかみ合わさって激しく回り、震えるばちマレットへ交互にぶつかる。


 浮遊する奇形の楽器たち。思い思いに音を鳴らすその真ん中に、彼女はいた。


 肌に貼りつくような薄く白い衣をまとい、華奢きゃしゃな体で悠然ゆうぜんと立つ。足先からこつ近くまで薄衣うすぎぬおおい、むき出しの首周りデコルテと肩だけがつやを帯びて光る。

 咲ききった黄色と白の花びらは、とりでのように彼女を囲い、その内で波打つ長い髪は、いまや鈍色にびいろの重たい輝きを宿していた。純白のメッシュが増えている。さらに金のメッシュが足され、並んでしまをなす。頭頂部には、ここにも咲きほこる飴色あめいろべん


「ヒェー」ヨサクの浮かれた声がした。「さっすが《輻輳ふくそう特性》。つーかフル四重奏カルテットはやる気満々じゃねーか、


「ルカッ!」薄緑色の小さなキッカも叫ぶ。「軽くなさい! エリア外で大稼おおかせぎしたら、経緯聞かれるんだからっ!」


たいな……」


 オレンジのルージュ。その薄い唇がほころび、空気をゆらした。楽器たちのかき乱す中を、造作ぞうさもなく通る声で。


 レモンイエローのマスカラ。その閉じたまぶたもまた、そろりと切なくひらきだす。


一見いちげんさまもいらっしゃるというのに、手を抜けだなどと。せぬ思い出として、刻んでいただかなくては。でしょう、間鋼まはがねさくさん?」


 空気に触れる首もとには、吸いつくように飾られた、黄昏たそがれいろの宝石がひとつ。八角形をしたそのふちに指をわせながら、緑青色ろくしょういろの目をしたさかき鹿がふくりと笑う。見あげた瞳の奥底に、この場でただひとりの〝ただの少女〟を映しこみ。


「お喜びを。これが最初と、ほこれますわよ?」

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