1-4-a さわっていいですか?

 人が夢で見る深海のようだった。

 本来なら光も届かないはずのずっと深い場所。底は見えず、水面みなももまた無限のかなた。


 どこまでもはてしなく、澄んではいても濃く重たい群青ぐんじょうに満ちた場所。孤島の灯台のような氷の柱がひとつだけそびえ立っていて、そのてっぺんに、はいた。


 最初は、そこに咲きかける花に見えた。

 黄色と白の花弁が入り交じる大きなつぼみだ。まだ固く閉じているが、りんとして、光をまとい、みなぎっている。


 雀夜さくやはそれを少し見おろすようにして、氷柱ひょうちゅうの外からながめていた。見えない足場の上に立ち、水の中へ浮かぶようにして。ついさっきまで、せた畳敷たたみじきの八畳間はちじょうまにいたはずなのに。


「ルカ!」


 張られた声で我に返る。雀夜の記憶には新しい声。

 ベージュのスーツを着た若い女性。赤いショートヘア。若草のような緑の目。

 その人物が肩をいからせて立っている姿を想像し、振り向いて、雀夜は固まった。


 浮かんでいたのは、わさび色のドラゴン。


 ドラゴンと、パッと見でそう思ったが、実際のところはあいまいな造形だ。小型犬サイズのぽっちゃりした胴体に、マシュマロのような小さな手足と、先のとがった頭がついている。ウロコはなく、うぶ毛をまとった肌はぷにぷにしていそう。遊園地のギフトショップで山積みにされていそうなヌイグルミっぽさがある。


 その奇怪な小さい生き物は、短い両手を腰らしき部分に当てて、雀夜の胸の高さにフワフワと浮かんでいた。特に翼らしきものは生えていない。太ましい尻尾でバランスは取っているように見えなくもない。そんなことより肩をいからせているようなその姿勢、黒豆のような目に浮かぶ剣呑けんのんな表情を見て、雀夜はいっそう困惑こんわくした。ついいましがた思い浮かべた女性の姿と、不思議と重なりつづけていることに。


「もうッ。やってくれたわね……」


 とがった顔の下の小さな口から、あの赤毛の女性と同じ声がもれる。

 雀夜が舌の上で「キッカさん……?」とつぶやいたとき、耳のすぐそばで、


「だいじょうぶ、雀夜ちゃん?」

 と、また知っている声がした。


 振り向けば、そこにはひよこ色のドラゴン。

 わさび色のと同じかたちをして、同じように浮かぶ現実味のないキャラクター。しかしながら、その心配そうなまなざしと、間違いなくいまの声がその方角その距離から放たれたと雀夜は認めざるをえない。


「ユウキさん?」

「せーかいせーかいっ」


 と、答える役を横取りしながらスィーッと降りてきたのは、腕組みをして逆さに浮いた白いドラゴン。雀夜はひと目見て「あ、事務所でお金を数えていそうな」「どんなマスコットぉ?」と、いやに打ち解けたやり取りを交わす。


「マスコット……」雀夜は改めてひよこ色のほうを見た。


「本当に、魔法生物だったのですね。実在の……」

「ゴメンね、混乱させて。この姿は、本来は契約者以外に見せられなくて……」

「見るまで信じらんねーよなあ?」宙を背泳ぎしながら白いほう。「だいたい、契約勧誘スカウトの実態とズレてるっつーの。見直せとはせっついてんだけどさー」

「先輩。はなちゃんは?」

「置いてきた。フネいでたからな」


 雀夜も見まわす。あの溌溂はつらつとしたツインテールは影もかたちもない。元より自分以外のものは、生物無生物問わずすべてそうだが。


「ここはいったい?」

「舞台さ」答えたのは白い、どうやらヨサク。


「舞台? あのアパートの中に?」

「中といえば中。違うといえば違う」

「?」

「ここはね、天界と人間界のはざまなんだ」


 首をかしげている雀夜を見て、ユウキが補足を入れた。「天界と?」と少し驚いてみせた雀夜に、もったいぶっていたヨサクも「教科書思い出してきたカナ?」と合いの手を入れ、逆さに浮くのをやめて話しだす。


「重なりあう三つの世界。天界、冥界めいかい、人間界。うち天と冥はほとんど初めから争ってて、ニンゲンはずーっと蚊帳かやの外だった。冥界側の旗色が、もう無理ッ、てとこまで悪くなるまではな」

「ボクたちマスコットは、冥界の侵攻しんこうを食い止める手段として、天界から人間界に送りこまれたんだ」ユウキがまた補う。「人間が魔法を使えるようになる、『契約』という武器の、運び手として」


「かくして契約に応じた勇者たち、魔法少女はごくの怪物どもを打ち倒し、冥界が滅んでみんな平和になりました、と。さーて、戦いは終わったが? 武器が残ったよな? 魔法なんてヤベえモノを好きにできる女の子たちを、そのままにしとくわけにはいかねえわけだが」

「だから、魔法を使える場所を限定することにしたんだ。それがこの『マジカル★ステージ・フィールド』。人間界と天界の境界に作りだした、魔法少女のためだけの舞台だよ」

「舞台……」

「おいでなすったぜ?」


 雀夜がもう一度そのシンボリックな単語を口にしたとき、ヨサクが目くばせをした。


 ヨサクの視線の動いた先、氷柱の向こうの彼方かなたに、がまたたいている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る